世界で最も旅した絵画?ウィリアム・ホルマン・ハントの「世の光」

セント・ポール大聖堂のThe Light of the World

I am the light of the world. He that followeth me shall not  walk in darkness, but shall have the light of the life. (John's Gospel 8-12)

私は世の光である。私の教えに従う者は、闇の中を歩く事は無く、人生の光を得るであろう。(ヨハネによる福音書8-12)

この聖書に書かれた、キリストの言葉にインスピレーションを得て、ヴィクトリア朝に活躍した、ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)の画家、ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt、1827-1910年)が描いた絵が、「世の光(The Light of the World)」です。

ハントは、「世の光」を、計3枚描いていますが、一番最初の「世の光」を完成させたのは、彼がまだ若き頃の1853年。現在、この最初の物は、オックスフォード大学のキーブル・カレッジ(Keble College)にあります。若手画家として、それまでは、いまひとつであった、ウィリアム・ホルマン・ハントの評判が、これで一気に上がります。いわば、彼の出世作品。

「世の光」の、2つめのヴァージョンは、少々小さめで、最初のものと、ほぼ同時期に描き始め、1856年に完成。こちらは、現在、マンチェスター市立美術館(Manchester Art Gallery)所蔵。

さて、このブログ記事のタイトルの「世界で最も旅した絵画」というのは、この絵の3つめの、他の2つより大きいヴァージョンです。こちらは、最初の2枚の絵から、約50年も経った、1904年に完成。ハントの人生の締めくくりの期に描いています。この頃には、ハントは、視力の衰えがひどく、完成には、イギリスの画家、エドワード・ロバート・ヒューズ(Edward Robert Hughes)の助けをかりているそうです。この絵は、イギリスの社会改革運動家として知られるチャールズ・ブース(Charles Booth)により購入。

1905年から1907年に渡る2年間の間、この3番目の「世の光」は、カナダ、南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリアの都市や町を回るというワールドツアーに出るのです。この間、それは大変な数の人々が、この絵を見、当時、世界的に、最も良く知られていた絵のひとつであったと言います。

大成功のツアーが終わっての帰国後、絵は、ロンドンのセント・ポール大聖堂に寄贈され、現在もセント・ポールの北側袖廊にて、見ることができます。ウィリアム・ホルマン・ハント本人も、セント・ポール大聖堂の地下(クリプト)に埋葬されています。セント・ポール大聖堂の地下には、ウェストミンスター寺院の詩人コーナーならぬ、画家コーナーの様な一角があり、ハントの他にも、ラファエル前派の仲間であったジョン・エヴェレット・ミレーや、ハントが、「世の光」一作目を描き始めた1851年に亡くなっている、大御所ターナーなども埋葬されています。

さて、それでは、この絵が実際、何を描いているかと言うと・・・
明け方、ランプを下げたキリストが、どこかの家のドアをノックしている姿です。絵の額の下の部分には、やはり、聖書からの引用、

Behold, I stand at the door and knock; if any man hear My voice, and open the door, I will come in to him, and sup with him and he with Me. (Revelation 3-20)

見るがよい、私は戸口に立ち、ノックをする。もし誰かが、私の声を聞き、その扉を開けるなら、私は、その者のもとへ行き、共に食事をするであろう。(ヨハネの黙示録 3-20)

が記されています。

キリストが叩くのは、人々の心の扉で、絵の中の扉にはハンドルもなく、更に、その前には、雑草が生い茂り、外からは開けられないようになっている。キリストのノックの音を聞いたら、それぞれの人間が、自分からすすんで、心の扉を開け、キリストを受け入れるしかない、という事です。

美しい絵ではありますが、この絵が、そこまで世界ツアー中にセンセーションを引き起こしたというのは、今から考えると不思議な現象です。余興と言えば、他にあまりなかったのも、人が大勢押しかけて、お芝居にでも行く感覚で、これを見に行った理由の一つかもしれません。実際、こうしたツアーに出た絵画は、「世の光」だけではなかったようですし、考えて見れば、ポスターも絵葉書も簡単に手に入るような時代ではないので、有名な絵を見たかったら、実物を見に行くしかないわけです。「フランダースの犬」の主人公ネロのように、憧れのルーベンスの祭壇画を見るためには、アントワープ大聖堂に入っていくしかなかったように。そして、当時は、まだキリスト教というものが、西洋の国々では、生活の基盤になるものでもあったため、「額に入った説教」などとも表現されたこの絵のメッセージに、感銘を受ける人も多かったのでしょう。

ホルマン・ハントは、他にも聖書をテーマとした絵を描いていますが、聖地を描く時、臨場感ある、忠実な絵画を描く事ができるように、自らも、何度か、中東へ旅しています。

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