The Field of the Cloth of Gold 金襴の陣

The Field of the Cloth of Gold この絵は、1520年6月、約20日間に渡り、イングランド王ヘンリー8世と、フランス王フランソワ1世の間で執り行われた会合「金襴の陣」(The Field of the Cloth of Gold、ザ・フィールド・オブ・ザ・クロス・オブ・ゴールド)の様子を描いたものです。描かれたのは、ヘンリー8世が死去する2年前の、1545年。 ハンプトン・コート宮殿 内に飾られています。また、数年前に、ロンドンのリッチモンドにある、 ハム・ハウス を訪問した際にも、この絵のコピーがかかっているのを見ました。 金襴の陣が開かれた場所は、当時はイングランドの領土であったカレーのフランス国境近くの土地。ヘンリーは、フランスに強い印象を与えるため、あちらこちらに贅をこらし、一時的に、この場所に、なんと仮の宮殿を建てるという大盤振る舞いをし、周辺にはられた数あるテントも金色の布できらめき、その様子から「金襴の陣」と呼ばれるようになるのです。 当時のヨーロッパ大陸の大国は、ハプスブルク家のカール5世を長とする広大な神聖ローマ帝国と、フランソワ1世のフランス。この両国に比べ、まだ小国でありながら、頭角を伸ばして来ていたイングランドは、両勢力のバランスを取るためには、大切な国。また、東方にはオスマン帝国の脅威も迫り、ヨーロッパ内の団結の必要もとされていたわけです。 こうした背景から、金襴の陣は、イングランドとフランスの友好関係維持が名目上の目的であったわけですが、これが、若き日のヘンリー8世と、フランソワ1世が、初めて対面した場。2人とも、スポーツ万能で、背も高く、教養に富むルネサンス期の王様としての評判を持ち、お互いがお互いの存在を、常に意識しており、実際に顔を合わせるのには、興味津々であったようです。(ヘンリーもこのころは、まだ、たくましくも、スリムで明るく、後の時代の様に、でぶでぶの上、怒らすと頭をちょん切られかねない、怖い癇癪持ちになっていませんでしたから。)金襴の陣の実現に、根回しをして音頭を取ったのは、当時、ヨーロッパ内でも、カリスマ聖職者として名が知れ渡り、イングランドではヘンリーに次いで2番目に重要な人物であったトマス・ウルジー(Thomas Wolsey ウルジー枢機卿)。 イプスウィッチ の肉屋の...