アムステルダムの思い出

オランダはアムステルダムを訪れたのは、もう20年ほど前の話になります。以前の職場の同僚が、アムステルダムで一時仕事をしており、アンネ・フランクの家にほど遠からぬ、静かな運河沿いの建物内に、アパートを借りて住んでいたので、「遊びにおいで」の誘いに、当然、「行く行く!」。

おかげさまで、歴史ありそうな建物の最上階を改造した、お洒落な明るいアパートで、快適な1週間を過ごしたのです。(当時は、まだデジカメが無かったので、ここの写真は、すべてスキャンしたものです。)

一番最初に友達に案内してもらったのは、花や蚤の市のマーケット。マーケットで、花をどっちゃり買った彼女は、巨大花瓶にその花達をどーんとつっこんでいました。

その後、一緒に、レンブラント・ハウスとアンネ・フランクの家を訪れ。ゴッホ美術館を訪れ。彼女が大ファンだったK.D.ラングのコンサートが、たまたまアムステルダムに来ていたので、それを聞きに行き。レズビアンのアイコンの様に語られる事もあるK.D.ラングなので、前の列に座っていた女性二人が、歌の最中にチュッチュを始め、「こんなすばらしい歌手を、ただのレズのアイコンのように、いちゃつくのが目的でコンサートに来るなんてゆるせん!」と友達は怒り、コンサートの後の、食事の間も、やたら憤慨していたのを覚えています。

あまり大混雑の繁華街には出ず、彼女が仕事中は、建物を眺めながら、かなり長時間、運河沿いをそぞろ歩きました。ぼーっと歩いている時に、一度、自転車に轢かれそうになり、急ブレーキをかけてとまったお姉さんに、「この部分は、自転車専用ですから、気をつけて」と諭され。

アムステルダムの家の幅が狭いのは、家の横幅が広いと税金が多く課された事情により、税金逃れの結果だったと言いますが、幅を狭くすると、今度は、階段を使って家具を上階に運ぶのが一苦労となってしまい、それぞれの家の上には、家具を外からロープで持ち上げ、窓から運び入れるためのフックが着くようになったのだそうです。税金逃れにより、その地独特の建物ができああがるというのは良くある話です。イギリスの窓税を逃れるための、窓を塞いだ家もそうですしね。その他にもイギリスで、地階の面積で税金が決められていた頃に建てられた、2階が地階より突き出している家などもまだ見られます。

アムステルダム内部の観光以外は、地元のバスツアーに参加して、かつての漁村のフォーレンダムとマルケン、チーズ作りの見学、陶器のデルフト、オランダ内の都市や建物をミニチュアで再現したマドローダムなどをささっと観光してきました。(マドローダムは、子供だましの観光地かな、と思ってさほど期待しないで行ったのですが、小人の国を訪れたガリバーになった気分で見て回り、案外楽しかったのです。)

ガイドさんは、他のヨーロッパ言語を3,4ヶ国語は軽く喋り、まず英語で解説してから、その後、ツアー参加者の需要に合わせて他の言葉で同じ事を繰り返すという、見事なマルチリンガルぶりを発揮。日本語はさすがにやってくれませんでしたが。日本人、私ひとりでしたし。

とにかく、ガイドさんでなくとも、ほとんどの人が英語を喋る上、親切だったので、道を聞くのも、情報を得るのも、比較的らくで、大変な好印象を持った国です。時間切れで、レンブラントの「夜警」がある、アムステルダム国立博物館(ライクスミュージアム)に行きそびれたため、いつの日か、またアムステルダムへ行って、国会博物館入らないとな・・・とずっと思ってはいましたが、月日はどんどん経っていき・・・。飛行時間は、ロンドンから、たった1時間くらいの海を隔てた隣国なのに。

その後、オランダの地に足を踏み入れたのは、10年ほど前、日本に、KLMを使用し、オランダ経由で帰った時の、スキポール空港だけ。その名を聞いただけで憂鬱になるロンドンのヒースロー空港に比べ、スキポールは、明るく清潔で気分良かったのです。おみやげ物の質はいいし、ちょっとした絵画展示場もあり、その時は、好きなヤン・ステーンの絵がいくつか展示されていており、時間つぶしにはもってこいでした。帰りの便の乗り継ぎは、確か、5時間近くあったのですが、そんなこんなで、あちこち見て歩き、ちょっと疲れたところで、全身を伸ばして寝れる安楽椅子のあるコーナーを見つけ、そこで1時間ほどうつらうつらと横たわっていました。使用する人間に快適なように、色々、気を使ってあるのです、この空港。それでまた、私の中でのオランダ株は更に上昇。

80歳の母親が、イギリスへ遊びに来る事となり、調度、チューリップの季節というのも手伝い、「アムステルダムだよ、おっかさん」と、母親を連れ、2泊3日で、「お久しぶりね」と、オランダ旅行に繰り出してきました。日本での子供時代、はじめて、我が家で、知り合いからもらった海外土産は、オランダの小さな木靴でしたね。(同じ人から、ハワイ土産のアロハ人形ももらった記憶があります。)今から思えば、当時、海外旅行など夢のまた夢だった我が家では、このオランダ土産の木靴が、一番、身近に感じたヨーロッパだったのです。

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