アムステルダム国立博物館(Rijksmuseum)
アムステルダムの国立博物館(ライクスミュージアム Rijksmuseum)。17世紀のオランダ絵画がわりと好きなのに、前回のアムステルダム旅行では、訪ね損ねたので、今回のオランダ旅行の大目的は、チューリップと、この国立博物館でした。ですから、宿も、アムステルダム国立博物館から徒歩圏内に取ったのです。
国立博物館やゴッホ美術館のある、アムステルダム南側に宿を取ると、スキポール空港のすぐ外のバス停から、直行で国立博物館のそばを通るバスが出ているので、とてもラク。空港から、アムステルダム北側にある中央駅まで電車で行って、そこからトラムで南側に戻るより、便利な移動法です。バスの運賃は、現段階で5ユーロ。チケットも、バスの運ちゃんから、乗る時に直接買えました。「ライクスミュージアム行くよね?」と念を押して乗ったので、着いた時に、運ちゃんは「ライクスミュージアム!」と叫んで教えてくれましたし。もっとも、かなりの人数、ここで降りました。乗車時間は約30分。アムステルダムは、公共交通機関が安くて、頻度も多く、助かります。ガソリン税がヨーロッパで一番高い国、そして、駐車料もかなり高いらしく、移動は、多くの市民は自転車か、公共交通網に頼っているのでしょう。
上は泊まったホテルのある通り。静かでした。
さて、アムステルダム国立博物館は、一大改装のため10年も閉鎖しており、2013年の4月に再オープンしたばかり。当初は、10年もかかると思っていなかったようなのですが、長引いてしまった最大の理由が、自転車!国立博物館の建物の中心部分は、トンネルのようになって、アムステルダムの中心部と郊外を繋ぐ通りが走っていたそうですが、改造にあたり、それを塞ぐというのが、最初の設計だったそうです。これに反対して、自転車団体が大抗議を起こし、自転車が、博物館の周りを迂回せずに、中心を走って抜けられるトンネルを、新しいデザインに組み込むように設計をし直す事となり、そのため大変な時間がかかってしまったというのです。
オリジナルの建物自体は、19世紀後半のもので、建てられた当初は、プロテスタントの国、オランダの建物としては、あまりにもカソリック的であるとして、不人気だったという話です。設計をしたピエール・カイペルス(Pierre Cuypers)は、たしかに、カソリック教徒であったのだそうで。また、「ライクスミュージアムの建物は、アムステルダムの中央駅に似てるぞ」と思ったら、こちらの設計者も、同じく、カイペルスでした。
こちらが、アムステルダム中央駅。ライクスミュージアムとは、兄弟の様です。
そんなこんなで、アムステルダム国立博物館は、新装されて2年となりますが、大人気で、訪問日にチケット売り場で並ぶより、前もって、eチケットを買っておいたほうが良いという情報を得、出発前に購入。自宅でプリントして持って行きました。また、キューケンホフと同じように、できるだけ混雑を避けたかったら、9時の開館直後か、午後遅めの時間が良いという情報でした。一番混むのが、10時から2時とか。「それでは、ホテルも近いし、9時調度に乗り込むか!」と思っていたものの・・・ホテルの食べ放題朝食を、たらふく食べ、うんこして、シャワー浴びて、髪乾かして、気がつくと9時半。それから、よっこら歩いて、館内に入ったのは、10時ちょい前・・・皆、こうなっちゃうから、10時から混むわけでしょうね。それでも、チケットだけは、前もって買っておいてよかった。参考までに、eチケットは、購入してから1年間有効ですので、訪問する日を指定する必要はありません。
現在は、特別展として、去年末に、ロンドンのナショナル・ギャラリーでかかっていた後期レンブラント展が催されており、こちらに入ろうと思うと、時間指定が必要。ロンドンのケンウッド・ハウス蔵のレンブラントの自画像なども、今、ここに来ているはず。こちらの展覧会は、私はパスしました。常備展だけでも、見切るのは大変だと思ったので。
100万以上あるという貯蔵品と絵画のなかから、8000点が展示されており、そのうちのひとつを除き、全て、改造前の場所と違う場所に配置になったと言います。唯一つ、改造前と同じポジションを守り続けているのが、レンブラントの「夜警」。レンブラントの妻、サスキアが亡くなった1642年に描かれたこの絵が、「夜警」(The Night Watch)と呼ばれるようになったのは、19世紀になってから。
銃を使用する、アムステルダムの市民自衛団体のメンバーから依頼されたもので、市民パワーで築き上げられた黄金時代のアムステルダムにおいての、団体記念写真のようなもの。当時のこうした団体から依頼された肖像は、この博物館内にも、他にいくつかありますが、金を払ったクライアントを整列させて、各人の肖像をきちんと描くのが当たり前であったものを、レンブラントは、そんな記念写真的要素よりも、アクションとドラマ性を重視した結果、かなり違ったものに仕上がっています。光が当たっている中央左手の少女の存在も謎ですし。ただし、同じ金を払ったのに、小さく描かれてしまったクライアントから苦情が出たという噂話は、うなずける気はします。私も、自分が、隅っこに小さく描かれていたら、全体効果など、二の次で、「え、何これ?私なんでこんな隅っこ?金出したのに~!なに、この意味不明の構図!」と、むっとするかもしれませんから。
レンブラントの絵が面白いのは、本当に当時、その辺の道を歩いていそうな、普通の丸い顔した人たちが右往左往、勝手にあれやったり、これやったりしている様子。以前、この絵に描かれている、アムステルダムの市民自衛団体と言うのは、実際の戦闘や非常時に巻き込まれた事は無く、イギリスの第2次世界大戦中、戦争に行くには年をとりすぎていたおじさんたちが、母国をヒトラーから守るために参加していた自衛団、人呼んでダッズ・アーミー(父ちゃん軍隊)と似たものがあった、などと言う話を聞いた事があります。ダッズ・アーミーは、一応ユニフォームを着用して訓練なぞしていたものの、全く戦闘には関わらず、その愉快な訓練ぶりが、テレビのコメディーなどにもなっていました。そんな話を聞いて以来、ますます、この絵を見るとほほえましくなってしまうのです。
「夜警」は、それでも大きな絵なので、多少の人ごみでもじっくり見れましたが、こちらフェルメールの「牛乳を注ぐ女」は、近くでずっと立っていると、後ろからプレッシャーを感じて、なんとなく気せわしく。ルーブルで見た、やはりフェルメールの「レースを編む女」の周りには人っ子一人いなかったのに・・・。
フェルメールの「小路」も、静かないい絵です。
「夜警」の部屋へと続く、この「名誉の間」と呼ばれるギャラリーには、こうした、フェルメール、ピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーン、フランス・ハルス、ロイスダールなどが並び、オランダ黄金期絵画の一番の見所で、何度も行ったり来たりしました。もし、駆け足旅行で時間の無い人は、このエリアだけは、見逃さないようにしましょう。当然、他に目当てがあれば別ですが。
なにせ、鎖国の日本と外交を許されていた国ですから、日本関係の展示物もいくつか目に入り、出島の模型などもありました。別館として、アジア館というのもあるのですが、その中にも、日本の鎧兜やらが飾られているそうなのですが、こちらは、時間切れで、今回は入りませんでした。
イギリスとも、世界のあちこちで争った海洋国であったので、絵に描かれる船も多ければ、船の模型もあり。
とにかく、オランダの歴史、オランダの美術に焦点を置いてあり、世界各国の名画を一同に集め・・・という他のヨーロッパ大都市の美術館、博物館よりも、ローカル色が強い印象です。また、改造後の展示物の配列は、絵画なら絵画だけ、彫刻なら彫刻、陶器類は陶器類だけ、と物によって分けずに、テーマと時代によって、ひとつのギャラリーに色々なものを展示するという志向を取っているという事。改造前がどんなだったか知らないので、比較はできませんが、興味深く見れ、オランダの歴史も、おさらいしたくなりました。名誉革命では、自国のカソリックの王様を拒絶し、代わりに、オランダからわざわざ別の王様(ウィリアム3世)を呼び寄せた事があるイギリスですし。
アジア館のみでなく、見そびれたものは、当然、沢山あります。でも、まあ、これだけ、イギリスから簡単に行けるのだから、また出向く機会もあると期待して。
ライクスミュージアムのオフィシャルサイトはこちら。チケットもこのサイトで買えます。
国立博物館やゴッホ美術館のある、アムステルダム南側に宿を取ると、スキポール空港のすぐ外のバス停から、直行で国立博物館のそばを通るバスが出ているので、とてもラク。空港から、アムステルダム北側にある中央駅まで電車で行って、そこからトラムで南側に戻るより、便利な移動法です。バスの運賃は、現段階で5ユーロ。チケットも、バスの運ちゃんから、乗る時に直接買えました。「ライクスミュージアム行くよね?」と念を押して乗ったので、着いた時に、運ちゃんは「ライクスミュージアム!」と叫んで教えてくれましたし。もっとも、かなりの人数、ここで降りました。乗車時間は約30分。アムステルダムは、公共交通機関が安くて、頻度も多く、助かります。ガソリン税がヨーロッパで一番高い国、そして、駐車料もかなり高いらしく、移動は、多くの市民は自転車か、公共交通網に頼っているのでしょう。
上は泊まったホテルのある通り。静かでした。
さて、アムステルダム国立博物館は、一大改装のため10年も閉鎖しており、2013年の4月に再オープンしたばかり。当初は、10年もかかると思っていなかったようなのですが、長引いてしまった最大の理由が、自転車!国立博物館の建物の中心部分は、トンネルのようになって、アムステルダムの中心部と郊外を繋ぐ通りが走っていたそうですが、改造にあたり、それを塞ぐというのが、最初の設計だったそうです。これに反対して、自転車団体が大抗議を起こし、自転車が、博物館の周りを迂回せずに、中心を走って抜けられるトンネルを、新しいデザインに組み込むように設計をし直す事となり、そのため大変な時間がかかってしまったというのです。
オリジナルの建物自体は、19世紀後半のもので、建てられた当初は、プロテスタントの国、オランダの建物としては、あまりにもカソリック的であるとして、不人気だったという話です。設計をしたピエール・カイペルス(Pierre Cuypers)は、たしかに、カソリック教徒であったのだそうで。また、「ライクスミュージアムの建物は、アムステルダムの中央駅に似てるぞ」と思ったら、こちらの設計者も、同じく、カイペルスでした。
こちらが、アムステルダム中央駅。ライクスミュージアムとは、兄弟の様です。
そんなこんなで、アムステルダム国立博物館は、新装されて2年となりますが、大人気で、訪問日にチケット売り場で並ぶより、前もって、eチケットを買っておいたほうが良いという情報を得、出発前に購入。自宅でプリントして持って行きました。また、キューケンホフと同じように、できるだけ混雑を避けたかったら、9時の開館直後か、午後遅めの時間が良いという情報でした。一番混むのが、10時から2時とか。「それでは、ホテルも近いし、9時調度に乗り込むか!」と思っていたものの・・・ホテルの食べ放題朝食を、たらふく食べ、うんこして、シャワー浴びて、髪乾かして、気がつくと9時半。それから、よっこら歩いて、館内に入ったのは、10時ちょい前・・・皆、こうなっちゃうから、10時から混むわけでしょうね。それでも、チケットだけは、前もって買っておいてよかった。参考までに、eチケットは、購入してから1年間有効ですので、訪問する日を指定する必要はありません。
現在は、特別展として、去年末に、ロンドンのナショナル・ギャラリーでかかっていた後期レンブラント展が催されており、こちらに入ろうと思うと、時間指定が必要。ロンドンのケンウッド・ハウス蔵のレンブラントの自画像なども、今、ここに来ているはず。こちらの展覧会は、私はパスしました。常備展だけでも、見切るのは大変だと思ったので。
100万以上あるという貯蔵品と絵画のなかから、8000点が展示されており、そのうちのひとつを除き、全て、改造前の場所と違う場所に配置になったと言います。唯一つ、改造前と同じポジションを守り続けているのが、レンブラントの「夜警」。レンブラントの妻、サスキアが亡くなった1642年に描かれたこの絵が、「夜警」(The Night Watch)と呼ばれるようになったのは、19世紀になってから。
銃を使用する、アムステルダムの市民自衛団体のメンバーから依頼されたもので、市民パワーで築き上げられた黄金時代のアムステルダムにおいての、団体記念写真のようなもの。当時のこうした団体から依頼された肖像は、この博物館内にも、他にいくつかありますが、金を払ったクライアントを整列させて、各人の肖像をきちんと描くのが当たり前であったものを、レンブラントは、そんな記念写真的要素よりも、アクションとドラマ性を重視した結果、かなり違ったものに仕上がっています。光が当たっている中央左手の少女の存在も謎ですし。ただし、同じ金を払ったのに、小さく描かれてしまったクライアントから苦情が出たという噂話は、うなずける気はします。私も、自分が、隅っこに小さく描かれていたら、全体効果など、二の次で、「え、何これ?私なんでこんな隅っこ?金出したのに~!なに、この意味不明の構図!」と、むっとするかもしれませんから。
レンブラントの絵が面白いのは、本当に当時、その辺の道を歩いていそうな、普通の丸い顔した人たちが右往左往、勝手にあれやったり、これやったりしている様子。以前、この絵に描かれている、アムステルダムの市民自衛団体と言うのは、実際の戦闘や非常時に巻き込まれた事は無く、イギリスの第2次世界大戦中、戦争に行くには年をとりすぎていたおじさんたちが、母国をヒトラーから守るために参加していた自衛団、人呼んでダッズ・アーミー(父ちゃん軍隊)と似たものがあった、などと言う話を聞いた事があります。ダッズ・アーミーは、一応ユニフォームを着用して訓練なぞしていたものの、全く戦闘には関わらず、その愉快な訓練ぶりが、テレビのコメディーなどにもなっていました。そんな話を聞いて以来、ますます、この絵を見るとほほえましくなってしまうのです。
「夜警」は、それでも大きな絵なので、多少の人ごみでもじっくり見れましたが、こちらフェルメールの「牛乳を注ぐ女」は、近くでずっと立っていると、後ろからプレッシャーを感じて、なんとなく気せわしく。ルーブルで見た、やはりフェルメールの「レースを編む女」の周りには人っ子一人いなかったのに・・・。
フェルメールの「小路」も、静かないい絵です。
「夜警」の部屋へと続く、この「名誉の間」と呼ばれるギャラリーには、こうした、フェルメール、ピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーン、フランス・ハルス、ロイスダールなどが並び、オランダ黄金期絵画の一番の見所で、何度も行ったり来たりしました。もし、駆け足旅行で時間の無い人は、このエリアだけは、見逃さないようにしましょう。当然、他に目当てがあれば別ですが。
なにせ、鎖国の日本と外交を許されていた国ですから、日本関係の展示物もいくつか目に入り、出島の模型などもありました。別館として、アジア館というのもあるのですが、その中にも、日本の鎧兜やらが飾られているそうなのですが、こちらは、時間切れで、今回は入りませんでした。
イギリスとも、世界のあちこちで争った海洋国であったので、絵に描かれる船も多ければ、船の模型もあり。
とにかく、オランダの歴史、オランダの美術に焦点を置いてあり、世界各国の名画を一同に集め・・・という他のヨーロッパ大都市の美術館、博物館よりも、ローカル色が強い印象です。また、改造後の展示物の配列は、絵画なら絵画だけ、彫刻なら彫刻、陶器類は陶器類だけ、と物によって分けずに、テーマと時代によって、ひとつのギャラリーに色々なものを展示するという志向を取っているという事。改造前がどんなだったか知らないので、比較はできませんが、興味深く見れ、オランダの歴史も、おさらいしたくなりました。名誉革命では、自国のカソリックの王様を拒絶し、代わりに、オランダからわざわざ別の王様(ウィリアム3世)を呼び寄せた事があるイギリスですし。
アジア館のみでなく、見そびれたものは、当然、沢山あります。でも、まあ、これだけ、イギリスから簡単に行けるのだから、また出向く機会もあると期待して。
ライクスミュージアムのオフィシャルサイトはこちら。チケットもこのサイトで買えます。
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