手を洗うか、足を洗うか

さて、イギリスもイースター・ホリデーに突入しました。本日は、グッド・フライデー(Good Friday)、キリストが十字架にかけられたとされる日。これにちなんで、新約聖書内で、キリストが十字架に送られる直前に起こった出来事に由来するイディオムをひとつ紹介する事とします。

ユダの裏切りを受け、逮捕され、ローマ帝国のユダヤ州総督であったピラトの前に連れて行かれたイエス。群集が、イエスを十字架にかけろと騒ぐ中、イエスは、死刑にかけられる様な罪を犯していないと思いながらも、群集の騒ぎを沈め、事を丸く収めるため、ピラトは、群衆の前で、象徴的に、手を洗ってみせるのです。「無実の人間の血が流れる事には、我輩は、関わり無いので、こうして手を洗うぞ。よって、我の手は、血がついておらず、綺麗じゃ。おぬし達が、もし彼を十字架にかけたければ、それは、そっちの責任だ・・・」とするのです。群集の力にまけた、政治的サバイバル本能のなせる業。「あっしにゃー、関わりのねー事でござんす。」って感じですか。ここから、

wash one's hands of ...
・・・から手を洗う

という表現が生まれ、「・・・を見放す、厄介払いをする、・・・の責任をとらない」的な意味に使われます。

この記述は、マタイ(英語ではマシュー、Matthew)による福音書の27章にあります。

27-22: Pilate saith unto them, what shall I do then with Jesus which is called Christ?  They all say unto him, Let him be crucified.

27-23: And the governor said, Why, What, evil hath he done! But they cried out the more, saying Let him be crucified.

27-24: When Pilate saw that he could prevail nothing, but that rather a tumult was made, he took water, and washed his hands before the multitude, saying, I am innocent of the blood of this just person: see ye to it.

ざっと訳すと、

ビラトは、群集にいわく、このキリストと呼ばれるイエスをどうすればよいのか?
群集は答えた、十字架にかけよと。

ビラトは言った。何故だ、この人物がどんな罪を犯したと言うのだ!しかし、群集の叫びは高まるのみ。この者を十字架にかけよと。

ビラトは、このままでは、群集を沈める事も出来ず、騒ぎが大きくばかりであると判断し、群衆の前で、水をすくい取り、自らの手を洗ってみせた。そして、いわく、私は、この無罪の人物の血が流される事に関して責任は無い。あなた方がその責任を負うべし。

となります。

元となる聖書は、「キング・ジェームズの聖書」。ウィリアム・ティンダル訳の聖書、更には、このキング・ジェームズ聖書に由来する英語のイディオムは、他にも多々あります。

上の絵は、ニューヨークのメトロポリタン博物館蔵の「手を洗うピラト」(Pilate Washing His Hands)。この絵は、約60年前に、だんなのお父さんが購入した、レンブラントの絵がところどころに入っている、我が家のキング・ジェームズの聖書の中にも挿絵として収められています。うちの聖書の説明には、レンブラント作となっているのですが、メトロポリタン博物館のサイトのでは、おそらく、レンブラント本人ではなく、レンブラントの生徒によるもとされています。

******

さて、グッド・フライデーの前の日は、洗足木曜日(Maundy Thursday モーンディー・サーズデー)。キリストが、皆がお互いにお互いを大切にするようにと教えながら、弟子達の足を洗った日ですが、英語には、特に、「足を洗う」というイディオムはありません。

所変わって、日本では、「俺は、やくざな生活から足を洗うこととした」と、「足を洗う」事によって、好ましくない習慣や過去を、捨てる意味に使われていますが、当然、英語に訳すときに、そのまま「wash one's feet」などと逐語訳するとトンチンカンチンな事となります。ただ単に、やめるという意味の言葉、quit、 leave、 give upなどを代わりに使うこととなるでしょう。日本の「足を洗う」という表現は、英語の、嫌で面倒な事を、自分の責任ではないと「手を洗う」行為よりも、再出発的で、肯定的な感じで使われる感があります。

私は、日本では、靴をぬいで室内にあがるので、靴のまま室内にあがっていた西洋より、足が綺麗である事が大切なために、こういう表現も生まれてきたのだろうな、と、勝手に思っています。まあ、手も足も、清潔がなによりですから、汚くなったら、洗いましょう。

コメント