ヘンリー2世のお家騒動

うちのだんなが、間もなく予定されている骨髄移植にむけての事前治療のため、入院してから1週間が過ぎました。見舞いへ行く前後には、気晴らしになるよう、余裕があれば、何か楽しい事をするようにしています。欝になると嫌ですので。

・・・という事で、友人が舞台劇「The Lion in Winter」(冬のライオン)が、ロンドンのヘイマーケット・シアターでかかっているのを見に行くと聞いて、便乗してきました。この「冬のライオン」は1968年の、ピーター・オトゥールとキャサリン・ヘップバーンの映画の方が有名ですが、もともとは舞台劇です。作者が、米人ジェームズ・ゴールドマンなので、ブロードウェイではかけられた事があるけれども、ロンドンの舞台にかかるのは、これが初めてだとか。主演は、ロバート・リンジーとジョアナ・ラムリーでした。イギリスでは、テレビでもお馴染みの2人ですが、日本では、さほど知られていないかもしれません。

1183年、ヘンリー2世が、クリスマスに、フランスのシノン城(上の写真)へ、自分の家族メンバーと若きフランス王フィリップを招いて起こる騒動、という設定で、季節柄はぴったりの興行ではあります。今の世でも、クリスマスに家族全員集合したはいいが、口論の末、不穏な空気で終わる、というケースは多々ありますが、これは、12世紀版、クリスマスに集まった家族の相続をめぐっての大喧嘩。一応、歴史劇の形はとるものの、半分コメディー調で、くすっとさせられるセリフが沢山入っています。

この作品のあらすじは、以前書いた映画記事「冬のライオン」をご参照下さい。

征服王ウィリアムから始まるノルマン朝3代目の王、ヘンリー1世(上記家系図参照)は、男児の世継ぎ無く、娘のマチルダに後を継がせる事を希望しますが、王亡き後、幾人かの貴族達は、女性の後継者を嫌がり、マチルダのいとこにあたるスティーブンを王として担ぎ上げ、イングランドは、この2人と双方の支持者の間で、一時内戦状態と化します。

マチルダの夫は、フランスはアンジューのジェフリー。この2人の間に生まれるのが、カリスマ王、ヘンリー2世です。ヘンリー2世は、イギリス、プランタジネット朝初代の王。プランタジネットとは、ヘンリーの父のジェフリーが、黄色い花を紋章に使っていた(黄色い花をヘルメットに挿していたという話も聞いた事があります)事に由来し、ラテン語planta genistaから来ています。プランタジネット朝は、また、アンジュー朝の名でも呼ばれますが、こちらも、父ジェフリー由来です。

さて、スティーブンが死んだ後、1154年に、イングランドの王座についたヘンリー。その領土として、イングランド、アンジューは、もちろん、フランスはアキテーヌ(英語読みはアクイテイン)のエレノア(Eleanor of Aquitaine)との結婚により、アキテーヌも獲得。現フランスの中央部のみを領土としていたフランス王よりも、広い領土を持っていたことになります。(上の地図参照)このエレノアという女性は、ヘンリーとの結婚の前には、フランス王ルイ7世と結婚、後、離婚しており、フランス王、イギリス王両方に嫁ぐ、という経歴。性格もそれに見合う、パワフルな女性であったようです。

1169年、ヘンリー2世は、いがみ合う息子達をなだめる目的もあってか、領土を上の3人の息子に分け与えます。長男のヘンリーには、イングランド、ノルマンディー、アンジュー、次男リチャードにはアキテーヌ、3男ジェフリーにはブルターニュ。まだ赤子であった最愛の末子ジョンには、アイルランドを占領して与える予定を立て。子供達に、死ぬ前から領土を分け与え、大失敗したリア王のごとく、上3人の息子達は、それで満足行くどころか、ますます手に負えなくなり、ついに、1173年には、この3人、父に反旗を翻します。この際に、息子達の側にまわったエレノアは、その後、ヘンリー2世の死後まで、イングランド内の城で夫により、軟禁されることとなります。

劇中では、エレノアは、クリスマスのために、一時的に軟禁されていた城から出され、シノンを訪れる。また、時代設定である1183年には、長男ヘンリーはもう死亡しているので、いまやティーンエージャーとなったジョンと、上の息子達リチャードとジェフリーの3人の間で、父の領土のうち、誰が何を得るかでいがみ合いとなります。芝居での性格描写では、リチャードは戦争好き、ジェフリーは、絶えず何かを企んでいる狡猾な男、ジョンは、取り立てた取り得もない、にきび面でふてくされたティーンエージャーとして描かれています。また、リチャードにホモの気がある設定なのですが、この真偽はいかに。

芝居の中、ヘンリーは、恩知らずの息子達に愛想を尽かし、エレノアを離縁し、その後愛人と結婚して新しく男児を生ませて後継者にしたいと思い立ち、3人のろくでなし息子達を城内に監禁するのですが、最終的に親の情けで、3人とも逃がしてしまう。まあ、このあたりは史実ではないでしょうが。

史実に戻ると、1189年、リチャードは、フランス王フィリップと組して、再び、父に反旗を翻すのです。疲れ果てたヘンリーは、シノン城にて、リチャードとフランス王の側に寝返った貴族達の名のリストの中に、最愛の息子ジョンの名を見つけ、がっくりときて、生きる気力も失せたのか、その後間もなく城内で息を引き取ります。ヘンリーの死体は、近くのフォントブロー修道院へ埋葬され、後、エレノア、そして息子リチャードも、この場に埋葬されます。芝居の始まる前に、舞台の上には、フォンテンブローにある、ヘンリーとエレノアの上の写真の棺のレプリカが置かれていました。

生き残った2人の息子達、リチャードとジョンはそれぞれ、リチャード1世(獅子心王)、ジョン王としてイングランドの王座に着くのですが、ヘンリーのお気に入りだったジョンは、いまや、イングランド史上最悪の王様のレッテルを貼られている事もよくあります。まあ、彼が、父親とは似ても似つかぬ駄目王であったため、マグナ・カルタが生まれたわけではありますが。リチャード1世に関しては、以前の記事「英語とフランス語」をご参照下さい。

いづれにしても、子孫に残す、大いなる遺産を抱えた一家には、それなりの悩み、災いがあるものです。それとはうって変わって、マザーグースの歌に、「何も持たない老婆がおった」というのがありましたね、そういえば。かなり本題からははずれますが、ついでに載せて、訳しておきましょう。

There was an old woman
And nothing she had
And so this old woman
Was said to be mad.
She'd nothing to eat
She'd nothing to wear
She'd nothing to lose
She'd nothing to fear
She'd nothing to ask
And nothing to give
And when she did die
She'd nothing to leave.

何も持たない老婆がおった
そして老婆は気違いと言われ
食べるもの無く
着るものも無く
失うもの無く 
怖いもの無く
欲しいものも無く
与えるもの無く
そして老婆が死んだ時
何ひとつとて残さなかった

そんな方が気が楽と言えば、楽なのでしょうか。いずれにしても、親戚や周囲の人間が、財産欲しさに、ハイエナか禿げたかのごとく、自分の死を待つ、という事はないでしょうね、こういう人には。

*シノン城の写真は英語のウィキペディアより、フォンテンブロー修道院内の写真は、ウィキコモンより、それぞれ拝借しました。

コメント