アイ

アイの城跡からの眺め アイ(Eye)というサフォーク州の小さな町に行ってきました。このアイと言う名は、目玉のアイではなく、島を意味する言葉からきたそうで、初めてここに集落ができた時は、周辺を水で囲まれており、その後もしばらくは湿地で、大水の後などは島状になっていたようです。今は、そんな形跡などは一切ありません。 ここにたどり着くには、まずロンドンのリバプールストリート駅から、ノーフォーク州の州都 ノリッチ へ行く電車に乗り、(Diss)という駅で下車。ロンドンからは、ディスまで約1時間半。ディスからは、タクシーかバスとなります。私たちは、当然、けちってバス。駅の近くのバス停からは10分足らずで到着。 まずは、周辺の地と、素晴らしいという評判のセント・ピーター・アンド・セント・ポール教会の塔を見下ろせる、城跡のある小山の上に登りました。 アイにあった最初の城は、ノルマン人征服のすぐ後に建てられます。ヘンリー2世の時代の1173年、王の長男が父親に対して反旗を翻した際、当時の フラムリンガム城 の城主であった、ノーフォーク伯、ヒュー・ビゴッド(Hugh Bigod)も反乱側に加わり、アイにあった城を攻撃。やがて反乱は収められ、フラムリンガム城は、ヒュー・ビゴッドから取り上げられ、破壊されるのですが、彼の息子の時代に再び、フラムリンガムの土地はビゴッド家に返され、フラムリンガム城は再築。現在も、その立派な外壁が丘の上に堂々と残っている次第。 一方、アイにあった城は、その後、そのまま、すたれていきます。城内の牢獄には、ブラディー・メアリーこと、カソリックのメアリー1世の時代に、プロテスタント信者たちが、何人か、処刑の憂き目にあう前に投獄されていたそうで、牢獄としては、17世紀まで使用され続けたということ。19世紀前半に、ウォータールーの戦い(ワーテルローの戦い)に参戦した、アイの住人、エドワード・ケリソン(Edward Kerrison)将軍は、この小山の上の城跡に、ウォータールーの戦いで、自分にお供をした従僕のために、隠居用の家を建ててあげたという話で、リビングルームやキッチンの壁などが、崩れかけながらも、今も残っています。慈善家であったという彼は他にも、アイに貧民の子供のための学校なども建設。 さて、城跡から降り、教会へ。教会の墓...