ウォルサム・アビー

ウォルサム・アビー教会 ロンドンにほど近いエセックス州ウォルサム・アビー(Waltham Abbey)。アングロサクソン最後の王様で、1066年、 ヘイスティングスの戦い で、征服王ウィリアム1世に敗れ戦死したハロルド2世(ハロルド・ゴドウィンソン)の埋葬地であると言われています。実際のところ、本当にハロルドの遺体がここまで運ばれて埋葬されたのかどうかは、定かでないところがあるようですが。 教会外壁のハロルド像 いずれにせよ、ハロルドとウォルサムの関係は、王になる前のハロルドが、エセックス伯であり、ウォルサムに荘園を有していた事に由来。なんでも、体が麻痺状態になってしまったハロルドは、ウォルサムの教会にあった、聖なる十字架に祈りを捧げたところ、体が治ったというのです。奇跡!感謝感激のハロルドは、ウォルサムの教会を建て直し、これは1060年に完成。 話が前後しますが、ハロルドが健康を取り戻すための祈りを捧げたという、聖なる十字架は、デーン人のカヌート王の時代(1017-1035年)にさかのぼる代物です。ウォルサムの土地を与えられていたカヌートの臣下は、サマセット州 グラストンベリー 近郊にも土地を有しており、その土地から石の十字架が発見されます。掘り起こされた石の十字架は、遠路はるばる、ウォルサムの教会に運んで来られ、内部に掛けられます。以後、こうしてウォルサムの教会の中に収められた石の十字架は、病を治す奇跡を起こすと有名になり、多くの人々が訪れる巡礼の対象となります。そして、上述の通り、ハロルドも、この十字架のパワーに助けられることとなるのです。 ウォルサムが、アビー(修道院)のステータスを獲得するのは、ヘンリー2世の時代。自分の忠臣たちによる、カンタベリー大司教であったトマス・ベケットの殺害に、後悔の念を表すため1177年、教会を拡大、僧たちの宿泊場、その他必要な建物も建設され、1184年に、アビーとなります。 ウォルサム・アビーも、他の修道院と同じく、ヘンリー8世の時代に行われた 修道院解散 によって、終焉を見ます。奇跡、巡礼・・・などの迷信をそそるカトリック的習慣はよろしくないと、病を治すパワーのあった十字架も、この際に、どこかへ消えてしまったそうです。取り外されて、どこかへ持っていかれたか、壊されたかしたのでしょう。ヘンリ...