バーソロミューの市

バーソロミュー・フェアを描いた1721年の版画
前回の投稿で、イングランド王ヘンリー1世のお気に入りであったラヒア(Rahere)によって創立された聖バーソロミュー修道院、聖バーソロミュー病院の事を書きましたが、今回は、これにちなんで、聖バーソロミュー修道院と病院の維持費獲得のために、やはりラヒアにより始められ、ヘンリー1世によって許可を与えられたバーソロミュー・フェア(Bartholomew Fair、バーソロミューの市)の事を書くことにします。

その前に、まず、双方、日本語で「市 いち」と訳されるフェアとマーケットについて触れておきます。両方とも、店を売る屋台が出る「市場」である事は同じであるものの、フェアが、年に一回の行事であるのに対し、マーケットは毎日の様に立つ、日常の必需品などが売買される市を指します。イギリス内あちこちの村や町に、今もマーケット広場(Market Square)と呼ばれる場所がよくありますが、それは、かつてこうしたマーケットが開かれていた名残の場所です。

フェアと呼ばれるものの多くは、キリスト教の聖人の日に、イングランド各地の、特定の聖人をまつる教会や大聖堂などに、巡礼者たちが大挙して訪れるのを見込んで、周辺に屋台を立てる行商人が多くいた事に由来すると言います。アングロ・サクソン時代からすでに、こうしたフェアは行われていたようですが、王が、特定の団体に対し、「おぬしたち、マーケットを開いてよろしい、フェアを開いてよろしい」という許可(Charter)を与えるようになるのは、ノルマン朝に入ってから。フェアで出店するために、業者が支払う料金などは、フェアを開催する教会や、団体の収入となります。

フェア期間中の、屋台出品者の権利を守る、また、いさかいの解決、治安維持のために、パイパウダー・コート(Pie Powder Court)という法廷も存在していました。パイパウダーという妙な言葉は、フランス語の「pieds poudreux」(汚れた足)から来ているそうで、この法廷で裁かれる者たちは、フェアにやってくるのに歩き回って汚い足をしていたため。

バーソロミュー・フェア(1133~1855年)
722年も続いた、バーソロミューの市は、数多くあったイギリスのフェアの中でも、最も有名なもののひとつです。

ヘンリー1世が、ラヒアに、バーソロミューの市を開いてよろしいとの許可を与えるのが、1133年。聖バーソロミュー修道院のあるスミスフィールドにて、当初は、8月24日の聖バーソロミューの日から3日間開かれた市です。聖バーソロミュー修道院にとっては、フェアの期間中、屋台を構える商人たちからの参加費で資金集めともなり、願ったり。3日というフェアの期間は、その長い歴史の間、延びて2週間となったり、再び短くなったりと、多少の変化があり、また、暦の変更により、開始日も1753年からは、9月3日に移行しています。

1539年の修道院解散後は、フェア開催は、ロンドンの行政機関、コーポレーション・オブ・ロンドンの管轄となり、以降、ロンドン市長(ロード・メイヤー・オブ・ロンドン)が、バーソロミュー・フェアの開会の宣言をする儀式が習慣的に行われるようになります。

始まってから400年ほどの間は、貿易市、特に布地の市として有名で、聖バーソロミュー・ザ・グレート教会に隣接する通りは、現在も、この時代の名残から、クロス・フェア(Cloth Fair)という名で呼ばれています。

だんだんと、売られる商品の種類も増え、場所も拡大していき、特に、17世紀になってからは、貿易市というより、余興的側面がずっと強くなり、「お祭り」と化していきます。上に載せた版画はすべて1721年のものですが、この頃はすでに、商品の売買取引より、綱渡り、人形劇、楽団、見世物、飲酒、食べ物が主に描かれている感じです。芝居小屋も多く立つようになり、動物の見世物、奇形の見世物などもあったそうです。

18世紀も後半となると、あまりにも乱痴気騒ぎとなる、犯罪も起る、また周辺の住民からの苦情なども出始め、コーポレーション・オブ・ロンドンは、徐々に、規制を強めていき、フェアは小規模となり、やがては、1855年にその長い歴史を終えることとなります。

1866年に、バーソロミュー・フェアが行われていた地に建てられたのが、ロンドンの一大食肉市場である、スミスフィールド市場(Smithfield Market)です。

*上記の版画は、ブリティッシュ・ライブラリーのサイトより拝借。
http://www.bl.uk/learning/timeline/large105483.html

コメント

  1. とおりすがり2017/01/25 0:26:00

    いつも楽しみに読んでいます。
    サイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア」という歌に出てくる「フェア」とはどういうものなんだろう、と以前から想像していたのですが、すこし理解が深まったような気がします。

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    1. とおりすがりの方

      読んでくださってありがとうございます。多少でも役に立ったのであれば、うれしいところです。

      スカボロは、ノースヨークシャー州の北海を望む海岸線にあり、丘の上のお城なども風情あり、眺めの良い町です。スカボロ・フェアは、聖母マリア様の昇天を祝う日(聖母被昇天8月15日)から、聖ミカエル(英語マイケル)の日(9月29日)までの45日間という、フェアにしては、かなり期間の長いものです。バーソロミューの市も、世界的に知られていたようですが、スカボロの市も、イングランド各地から、更には、場所柄、北欧、ヨーロッパ大陸からも多く人が訪れたようです。聖母被昇天の日がフェアの初日という事から、ふと考えてみたら、スカボロ城のすぐ下にある教会は、マリア様に捧げたセント・メアリー(マリア)教会でした。ブロンテ姉妹の、アン・ブロンテは、スカボロ療養中に亡くなって、この教会の墓地に埋葬されています。

      うちの町の教会の敷地内でも、初夏に一日、中世フェアと称したお祭りがあり、色々な屋台が立ち並んで、それなりに面白いです。フェアの1,2週間前には、中世フェアに出品する缶詰や、瓶詰、その他もろもろ、寄付してくれないか、と教会の人たちがうちにも回ってきます。

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