イギリスの芝生

イギリスは、そろそろウィンブルドンを迎える、ローン(芝生)・テニスの季節。テニスコートもさることながら、ロンドン内の公園も一面芝。ロンドン内、歩きつかれたら、その辺の公園に入り、芝の上にごろんと寝転んで、休憩したりと、犬のウンコさえ気をつければ、芝は優れものです。以前、パリに旅行したときに、ベンチが近くに見当たらなくても、「よっこいしょ。」とできる、ロンドンの芝地が恋しくなりましたもの。ロンドンに限らず、イギリス各地の町や村でも、公共の地は芝が一面にひかれている。あまりにも普通の光景なので、「ここも芝、あそこも芝」などと、考える事もないですが。ちなみに、上の写真は、我が家から徒歩2分くらいの場所。

草は英語で、グラス(grass)ですが、芝生はローン(lawn)。このローン(lawn)という言葉が最初に使われたのは、13世紀に遡るそうで、フランス語の「laund」という言葉に由来するといいます。森に囲まれた空き地を意味し、思索の場所としての、修道院の回廊に囲まれた芝生の緑の空間を指したそうです。まるで緑の絨毯の様な美しい芝生をどのように植えるかなどのインストラクションも、すでに13世紀の書物に記載されていると言います。かつては修道院であったウェストミンスターに丹念に芝がひかれるのも13世紀。そして、娯楽のための庭園にも芝が用いられるようになり、やがて、緑の芝の上で興じる、ローンボウルズ(lawn bowls、 bowling)などの遊びも生まれ。

イギリスの村の典型的なボウリング・グリーン
ローンボウルズ用の芝地は、ボウリング・グリーン(bowling green)と呼ばれ、こちらも、多くの町や村の一角に見られます。うちの町の中心には、ボウリング・グリーンが2つもあるのですよね。日本のゲートボール風に、今ではお年寄りのスポーツの感がありますが、ひそかに人気なのかもしれません。

イギリスの大邸宅は入り口から目に届く範囲までずっと芝に囲まれ、そのあちらこちらに木々がそよいでいる、という風景を作り出したのは、18世紀ランドスケープガーデンの大御所、ランスロット・(ケーパビリティー)・ブラウン。庭は大部分芝で、ところどころに植え込みがしてある、というこのパターンが、当然、規模はぐっと小さくなるものの、やがては中流家庭にも浸透していき、現在の一般的イギリスの庭へと定着していったのでしょう。ちなみに、芝刈り機(lawnmower)が発明されたのは、1831年。繊維布地業界のエンジニアであったエドワード・バッディング(Edward Budding)によるもの。芝刈り機登場以前は、鎌(サイス、scythe)を用いての肉体労働。大邸宅の持ち主であれば、雇用人にやらせれば良いし、牛や羊の放牧・・・という事もできたでしょうが、小さめの庭の持ち主には、画期的な発明であったのかもしれません。

庭には芝生、というこのイギリス人のメンタリティーは海を越えて移住した後にも付きまとったのか、アメリカ、そして、一部オーストラリアの郊外の庭にまで、芝生は幅を利かせているようです。以前、オーストラリアで芝生を常に緑に保つため、常時、ホースで水遣りをする住民たちのため、水不足が悪化しているというニュースを聞いた覚えがあります。気候に適した、乾燥に強い植物を植えればいいのに・・・。イギリスでさえ、雨量の少ない夏や、貯水池の水の量が少なくなっている時は、ホースパイプ・バン(hosepipe ban、ホース使用禁止)が出て、庭にホースを使っての大量水まきが禁じられることがあります。芝に水遣りをするというのは、我が家ではやらないですし、近所でやっている人も見かけず、多少、茶色っぽくなっても放ってありますが、エメラルド・グリーンの芝生に誇りを持っている人は、こまめに水撒いてるのでしょう。

最近、庭の芝生のメリット、デメリットが取りざたされています。メリットとしては、子供がいれば、庭の芝生で遊ばせることができる、庭で横になろうと思ったら、芝生の上で大の字になって空を眺められる・・・、またクロウタドリ、スターリン(ホシムクドリ)、ハト、すずめ、コマドリなど、地面でえさをつつくのが好きな鳥たちの、餌場と、憩いの場になる・・・など。

デメリットとしては、上記の様に、真緑の芝を守るために、水資源を大量に使用し、また、雑草を一切なくすために、化学薬品をばらまく人がいるという事。そして、夏季は、しょっちゅう芝を刈る必要がある。野生の昆虫や小動物のために、庭の一部の芝は刈らず、ぼうぼうにしておいた方が良い、という野生保護団体などからの奨励があったりしますが。

ただし、以前から思い続けていたのですが、うちの庭の芝面積、細長く、広すぎるのです。前庭も裏庭も、花壇はほんの一部で、あとはどーっと芝・・・。平均的に、イギリスの一般家庭の庭の80%は芝ではないか、という気がしますが、うちもそう。時折、店で新しい植物を見て、手をだそうとしても、「いったい、これはどこに植えるんじゃ、細長い花壇は、もうぎちぎちだし。」と、あきらめる事も多く、また、昨今、芝刈り係は、ずーっと私。この芝刈りというのも、夏は、本当に面倒くさいのです。二の腕を引き締めるのにいい、と自分に言い聞かせながら、ぶいーんと、芝の上を行ったりきたり。公共の地に、これだけ芝が多い国、自分の庭くらいは、庭の芝面積を減らして、花壇を増やしたいところ。芝生エリアを完全に無くそうとは思いませんが、芝は庭の半分くらいで十分。一方、基本的に、現状維持主義のうちのだんなは、私が芝生をはいで、花壇を増やすのは、あまり面白くないようですが、芝も刈らない人に反対を言う権利は無いですからね。

もっとも、車を2台以上持っている家庭が増えており、以前は前庭であった場所が、徐々に、駐車場と化し、コンクリートやアスファルトで覆われてしまい、大雨が降ったときに、行き場を無くした水が溢れ出して、ミニ洪水につながったりと、問題になっています。たとえ芝生でも、水を吸収できる前庭がそのまま存在している事は、悪いことではないのです。

ロンドンに住む知り合いの一人は、子供が遊びまわる空間作りと、ガーデニングをしなくて済むという理由から、庭一面に、人口芝を導入していました。これが、ぱっと見ると本物そっくりなので、びっくりしたのですが。こちらの水はけはどうなんでしょうね。おそらく、下の地面に吸収できるよう作ってあるとは思うのですが、私は、やっぱり、もっと野生的な庭がいいので、人工芝は、問題外です。

という事で、先月、前庭の、ちょっと暗めの所に、新しく2x1メートルほどの長方形花壇を掘り起こし、椿と、ミヤマシキミを植えて、ちょっとした日本コーナーとなりました。今週は、裏庭に、半径2メートルほどの扇形の新しい花壇作り。

芝生をはがしていく、という作業、結構時間がかかり、更に、その下の圧縮された地面は、掘り起しが大変。ガーデン・フォークでちょこちょこ、土をひっくり返している私を、見るに見かねただんなが、つるはしを持ち出し、がっつん、がっつん。「だから、芝生はそのままにしとけばいいのに・・・ぶつぶつ」と言いながら。昔の墓堀の人とか、大変だったろうなと思いましたよ。40センチくらいの深さまで掘り起こして、ぜいぜいですから。そして、掘り起こした土に、,市販の堆肥を混ぜて戻し。

掘っている途中、非常に頑丈な感じの骨が2本出てきて、「前の住人が殺人犯して、ここに埋めたんじゃないか。」などと冗談言いましたが、頭蓋骨は出てこなかったし、短めの骨なので、「ペットの犬かな。」そのあと、さびた小型の剣の刃が出てきて、「サットン・フーのようなアングロサクソン時代の遺跡を掘り当てるかもよ。」・・・残念ながら、大発見はありませんでした。

夫婦二人で強烈な筋肉痛となりましたが、完成。掘り起こし作業の最中、喜んで、私の足元をちょろちょろ虫を探して跳ね回っていたのは、クロウタドリのメス。かなり沢山、みみずやら芋虫を見つけて、くちばしにくわえ、行ったりきたりしていました。雛がいるのでしょう。また、すずめが、むき出しになった地面の上で、砂浴びをしていました。芝生は一部の鳥にいい、とは言いながら、むき出し地面の方が、もっといいんじゃないのかな。

こんな努力の後も、芝面積は、まだかなり残っています。でも、今年は、もう、これだけで疲れきったので、ここまでですね・・・。だんなも、「ノーモアディギング!」(もう掘り起こしするなよ!)新しい花壇は、以後は、ミミズにがんばって耕してもらいます。なお、剥がした芝のすぐ裏側にこびりついてる土は、わりと養分があるのだそうで、すぐに処理してしまわずに、積み上げてしばらく放って置くと、あとで、堆肥として使えるそうです。ハンギング・バスケットのレイヤーにも利用できます。

新しい花壇は、主に、ゲウム(ダイコンソウ)のコレクションと、赤、黄、オレンジ系の花を植える場所にしました。手前には、そのうち、1年草を植えようと思っています。赤と黄のキンギョソウでも。

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