ヤン・ステーンの「聖ニコラウスのお祭り」

私は、黄金期17世紀オランダの、こちらではジャンル・ペインティング(Genre Painting )と称される、日常の風景を描いた風俗画が好きです。カメラの無い時代、当時の人たちがどういう生活をしていたのか、どんな環境の中を生きていたのか、どんな服装をしていたのか、というのを覗き見できるのが楽しい。色々な美術館へ繰り出しても、この黄金時代のオランダをはじめ、昔の風俗画を目にすると、その周辺で立ち止まる時間が一番長いです。日本の浮世絵なども、こういうタイプの絵ですね、考えてみれば。

そんな黄金期オランダ画家の一人のヤン・ステーン(Jan Steen 1626-1679)も大好きで、画集も持っています。「ヤン・ステーンの家庭」というと、オランダでは、ぐじゃぐじゃの大混乱の室内を意味するようで、彼の絵の多くは、確かに、人が沢山いる室内で、あらゆる騒動が起こっており、床の上には所狭しと物が散らばっている。

昨日12月6日は、聖ニコラス(聖ニコラウス)の日でした。ヤン・ステーンのこうした混沌の絵画の中でも、最も有名なもののひとつに、アムステルダム国立美術館蔵「聖ニコラウスのお祭り」(The Feast of St Nicholas)という絵があります。オランダを初め他の大陸ヨーロッパの国々では、いまだに、この人気の聖人の日のお祝いは続いているようですが、イギリスでは、聖ニコラスの日を含み、聖人の日は、一般では、ほとんど取りざたにされる事はありません。ですから、12月6日は、普通の日として、誰も何も気付かずに過ぎて行きます。

サンタさんの元祖であるセント・ニコラスは、もともとは、クリスマス・イブではなく、この12月6日の前の晩に、暖炉の前に並べられた靴の中に、子供たちにプレゼントを置いていく事になっていたわけで、絵は、その日の様子を、とあるオランダの家庭を舞台に描いてあるものです。

私の画集による、この絵の説明は、

ほぼ絵の中心に描かれている女の子は、聖ニコラスからもらったプレゼントを抱えていますが、この子の持っているお人形は、洗礼者ヨハネを模したものだそうです。女の子の右手背後に描かれている男の子が手にするのは、やはり聖ニコラスからのプレゼントのゴルフのクラブ、ボールは前景の床の上に転がっています。この男の子は、泣いている兄さんを指差して笑っていますが、この子が泣いている理由は、聖ニコラスは、良い子には贈り物、悪い子にはおしりをぶつための枝を靴の中につめる、という風習で、自分の靴に枝が入っているのを見つけたわけです。この靴は、泣く子の背後に立つ、召使の女の子が抱えているもの。一番後ろに立つおばあさんは、カーテンを開けながら、泣いている子に手招きしていますが、カーテンの後ろに、別のプレゼントがちゃんと取ってあった、という事のよう。右手にある煙突の前で、男の子が歌をうたい、小さい子供を腕に抱えた青年は、「ほら、ここから聖ニコラスは降りてきたんだよ。」と、煙突の中を指し示しています。この腕の中の子供が抱えるジンジャーブレッドは、聖ニコラスを模したもの。そんな喧騒の中、我関せずと、真ん中に座っているおじいさんは、何でも、この時代から30年は遅れた昔風の襟をした洋服を身につけているという事です。

ヤン・ステーンは、ヒッチコックが、必ず自分の映画にカメオ出演するように、絵の中に、自画像を入れていた人ですが、この絵の中には、彼は出演していません。子供たちのうちの2,3人は、彼の子供がモデルではないか、と思われているようです。

洗礼者ヨハネの人形、聖ニコラスのジンジャーブレッドなどの挿入により、比較的カソリックの香りの強い絵になっているという事です。

ヤン・ステーンは、この他にもいくつかの聖ニコラスの祭りをテーマにした絵を描いています。ロッテルダムの美術館所有の上のものには、似たような要素は入っていても、洗礼者ヨハネと聖ニコラスのイメージが描かれていません。だからと言って、このロッテルダムの絵のクライアントが、プロテスタント信者だった、などという憶測は不適当なのだそうです。というのも、当時のオランダでも、偶像崇拝を好まない、カルビン派などの敬虔なるプロテスタントの信者達は、聖ニコラスの日の祝い自体を、一切行わなかったそうですので。

ヤン・ステーンの画集をめくりながら、来年あたり、久しぶりに、海を隔ててすぐそこのオランダにでも旅行したいものだ、と何となく思っています。以前、アムステルダムに滞在した時、1週間近くもいながら、なぜか、アムステルダム国立美術館(Rikismuseum)に足を踏み入れなかったのが、少々心残りですし。

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