アマデウス

イギリスの戯曲家ピーター・シェーファーの芝居「アマデウス」(Amadeus)を元にして作られた同題名の映画は、公開からすでに30年です。オーストリア土産のモーツァルトクーゲルを食べた、という単純な理由から、この「アマデウス」もう一度見たくなり、DVDを購入しました。何よりもこの映画がいいのは、芝居の中のキャラクターを重視して、客引きのための大スターを使っていないこと。シナリオは、ピーター・シェーファー本人が担当。

オーストリアの天才音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)。そして、モーツァルトの才能と音楽に驚嘆、感動しながらも、同時に強い嫉妬に身を焼く、ウィーンのヨーゼフ2世に仕える宮廷音楽家アントニオ・サリエリの話でした。

モーツァルトのミドル・ネームである「アマデウス」とは、神の愛を意味します。ラテン語の「amare」(愛する)と「Deus」(神)をくっつけた名。モーツァルト誕生時の本名は、ヴォルフガング・テオフィラス・モーツァルト(Wolfgang Theophilus Mozart)、とミドル・ネームは、やはり「神の愛」を意味するギリシャ語源のものだったのですが、本人が、このラテン風ミドル・ネーム「アマデウス」の方を好んで使ったそうです。

音楽を通して、神への愛を捧げようと子供時代に誓ったサリエリではあったものの、その神が、脳天気で、往々にして下品、時に傲慢なモーツァルトの様な人物へ、溢れるほどの音楽の才を与えながら、自分には、それを評価する能力と凡才しか与えてくれなかった事に憤りを感じ、神への愛は憎しみに変わる。そして、復讐に、神が愛する天才、アマデウス・モーツァルトの成功を阻止し、破壊させる事を決意するに至るわけです。アントニオ・サリエリは、それまでは、ほぼ名の知れていなかったマーリー・エイブラハム。ぴったしでしたね。モーツァルトの死後、彼の名声とその音楽の評価が高まるに連れ、自分の評判が消え、忘れられていくのを見てきた、年老いたサリエリ。彼は、ある雪の日に自殺未遂を図り、精神病院に担ぎ込まれ、そこで、牧師を相手に、モーツァルトを死に追いやった過去のいきさつを語り始めるという形式で描かれています。

私は、これ、映画館でなく、声が吹き替えがされている日本のテレビで見ました。ですから、今回、英語でもう一度見て、特にモーツァルト(トム・ハルス)と彼の奥さんのの英語が、とても、とても、アメリカンなのに、少々たじろぎました。あたりまえですけどね、アメリカ映画ですから。もともとは、ドイツ語で喋る人たちの話を英語で作り直しているのだから、イギリス英語であろうとアメリカ英語であろうと、設定として最初から嘘は嘘なわけですし。ある意味、サリエリをイラつかせた、映画のモーツァルトの、とっぽい兄ちゃんぶりが、彼の強いアメリカ英語で、もっと前面に出て効果がある気もします。あと、あの甲高い笑い声。

映画の撮影は、当時まだ共産圏のチェコスロバキア(現チェコ共和国)の首都プラハで行われ、共産圏であったがゆえに、近代化を逃れた昔の建物がそのままの姿で残っている事が多く、18世紀後半を舞台にした物語には最適。劇場内のシーンも、プラハの劇場で、ここは、「ドン・ジョバンニ」の初演が行われ、実際にモーツァルトも、指揮棒を振った場所。モーツァルトは、ウィーンよりもプラハで認められる事が多く、プラハへ移ったらどうだ、という友人もいたようですが、本人、なんとか、ウィーンで成功したかったらしいです。また、映画撮影当時は共産圏であったがゆえに、現地スタッフの半分は政府のスパイであったなどという面白い話もあります。キャストが宿泊したホテルの部屋内にも盗聴器が隠してあったそうで。それでも、チェコスロバキア、映画ロケ隊が落としてくれるお金が欲しかったのでしょう、撮影が許され、映画の美しい映像に一役も二役も買っています。

物語を離れた、本物のサリエリは、実際、音楽の先生としても認められ、貧しい人物からは金を取らなかった、という、人間的にできた部分もあったようです。モーツァルト人生の最後の方には、2人は、それなりに普通の人間関係を結んでいたようですし。ただ、モーツァルトが若死にした後、すでに、サリエリが殺したのでは、という噂が浮上したというので、「火の無いところに・・・」というやつで、2人の間に、嫌悪やいざこざはあったのかもしれません。現代でも、職場での出世をめぐっての勢力争いはありますし、多少の嫉妬は、人間にはどうしても付きまとうものでしょう。それを、自分の中でどう処理するかが問題で。本物のサリエリにも、嫉妬の心があったとしたら、少しずつ、自分の中で、それを鎮火していったのかもしれません。「アマデウス」で、ライバルを死に至らしめる「凡人の庇護聖人」と描写されて、気の毒ではありますが、これで、彼の知名度も上がり、彼の音楽のリバイバルにも繋がり、悪い事ばかりではないか。

5歳にして作曲を行ったといわれる神童ぶりを発揮したモーツァルト。ザルツブルク大司教に仕える音楽家であった父は、息子の才能に気付くと、ヨーロッパ各地で息子をプロモートするため、家族全員、馬車であちこちを移動する、旅芸人の生活をしばし送るのです。ヨーロッパの宮廷で王侯貴族の前でも演奏を行い。映画でも言及されていたように、子供時代に演奏したウィーンの宮廷では、マリー・アントワネットにも遭遇。モーツァルトが35歳で他界するのは、1791年と、フランス革命勃発の少し後。マリー・アントワネットがギロチンにかかるのは、1793年となりますが。

旅をしていた子供時代に、イギリスにも来ており、ジョージ3世の前でも演奏しているのです。目隠しをしたり、手が見えないように、手の上にハンカチを被せて演奏するなどの芸も行ったそうで、映画内では逆さに担がれて、ピアノを弾くという芸を見せていました。昔、「柔道一直線」という日本のテレビドラマで、足でピアノを弾く登場人物などいましたね、そういえば。さすがのアマデウスも、それはできないでしょう。大体、足の指も長くないとね。それにしても、誰が脚本を書いたのか、すごい事考えたものです。ともかく、モーツァルト、青年になってからも、結婚してからも、ヨーロッパを旅して仕事を探す、という事は何度もしているようです。

本物のモーツァルトの妻コンスタンツエは、歌が上手く、音楽をとても愛する人間であったそとか。夫婦仲がむつまじかったのは本当で、音楽への愛で結ばれていたような話も聞きます。モーツァルトには、もっと出世に繋がる結婚相手を探して欲しかった父レオポルドは、生涯、コンスタンツエと自分の意に背いた息子を許せないまま、遺産は、一切息子に残さず。

モーツァルトは、ウィーンでは、フリーメイソンのメンバー。職業互助会的な役目を果たすと共に、「人間は平等に作られている」というリベラルな傾向を持ったというフリーメイソンの活動は、フランス革命などの影響から、社会の不安定を導く脅威と見られるようになっていき、徐々に下火になったようです。また、召使が主人を操る、オペラ「フィガロの結婚」や、「魔笛」も、根本に、人間は平等というメッセージが潜んでいるようです。

ウィーンでは、時に、友人達に借金依頼の手紙をしたためた貧乏生活。モーツァルトの才能を高く評価し、また、モーツァルトも、才能を称えていた友人のハイドンは、「あのように才能のある人物が貧しいとは!」と嘆いていたようです。また、「明日は明日の風が吹く」的、浪費家の傾向があったのも、まずかったかもしれませんし。いつも妊娠していたというコンスタンツエ。6人生まれた子供のうち、4人は幼児期に死亡。夫婦共に常に体調が悪く、モーツァルトも、しょっちゅう風邪をひいていた様子。当時、暖房と言えば暖炉の火だけのウィーンの冬、想像するだけで、震えてくる。それに、冬季、貧しい家庭で、服を洗濯したり、乾かしたりするのも、大変な苦労でしょう。寒さをしのぐために、夫婦二人で、室内でダンスをしているのを見たという友人の手記も残っているようです。死んだ後のモーツァルトの遺体は、映画の通り、貧乏人のための共同墓地。

たえず金の心配にさいなまれ、若死にしてしまうモーツァルトの様な天才の人生と、宮廷音楽家として成功し、教師としても崇められ、快適な生活を送る、それなりの才能を持ったサリエリ的人生と、どちらを送りたいか・・・。私は、後者かな、などと思います。そう考えるところが、凡人なのかもしれません。

原題:Amadeus
監督:Miloš Forman
言語:英語
1984年

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