コンスタブル・カントリー

BBCの大学対抗のクイズ番組「ユニバーシティー・チャレンジ」を見ている時に、こんな問題がありました。「1824年、フランスの若手画家達が、あるイギリス画家の絵がパリのサロンに展示されたのを見て、それに触発されることにより、バルビゾン派の誕生に至った。そのイギリス人画家は誰か?」

答えは、ジョン・コンスタブル(John Constable 1776-1837)。この頃、他国の画家に影響を与えたような英の画家と言えば、ウィリアム・ターナーとコンスタブルくらいでしょうから、この2人のうち、どちらかを言えば当たる・・・かな。回答者は、おそらくバルビゾン派の絵がどんなものか知らなかったためか、「ターナー」と答えて、間違ってしまいましたが。(コンスタブルもそうですが、ターナーの画法は後、フランス印象派へ影響を与える事となります。)

周辺の自然からインスピレーションを得る、ミレー、コローに代表される牧歌的なバルビゾン派絵画の源泉は、コンスタブルがこよなく愛し、何度もキャンバスに残した、彼の生まれ育った土地にあるわけですか・・・。今は「コンスタブル・カントリー」と呼ばれ、毎年、多くの観光客をひきつける、このコンスタブルの生まれ故郷は、エセックス州とサフォーク州の州境を、スタワー川が流れる周辺です。

コンスタブルは、少し前の世代の、同じサフォーク州(サドベリー)出身であるトマス・ゲインズバラの影響を受けているのですが、ゲインズバラが、当時、絵画の世界では、劣るものとみなされていた風景画では生計を立てられず、風景を描くのが好きでありながらも、肖像画の大家となったのに比し、コンスタブルは、率直に自然を描く風景画家として成功。

比較的裕福な農家を営んでいたコンスタブルの父は、また、小麦と石炭の商人でもあり、スタワー川のほとりの小集落フラットフォード(Flatford)に、小麦を引くための水車小屋(フラットフォード・ミル、Flatford Mill)を所有していました。上の写真がそれです。コンスタブルは少年時代、この辺りで、良く時を過ごし、彼の代表作には、周辺の風景が多く描かれています。実際、1812年から1825年の間、毎年のロンドン、ロイヤル・アカデミーでの展覧会で、彼が、スタワー川が主な題材となる絵を展示しなかったのは、2回だけだったという事です。フラットフォード一帯は、今は、ナショナル・トラストにより管理、維持され、昔ながらの姿を留めています。

彼は、1799年にロイヤル・アカデミー(美術学校)へ入学し、ロンドンに寄宿を始めるのですが、結婚し、ロンドンへ永久に移り住む1816年まで、両親の家を自宅とみていたということです。

上は、彼が、結婚直前の1816年に戸外で描きはじめた「フラットフォードの水車小屋」(Flatford Mill、ロンドン・テート・ブリテン蔵)。後に残していく故郷で過ごした少年期へのノスタルジアの集結のような懐かしさの漂う絵になっています。

コンスタブルは、フラットフォードについて、こう語っています。

I associate my "careless boyhood " to all that lies on the banks of the Stour. They made me a painter. The sound of water escaping from Mill dams... Old rotten banks, slimy posts... I love such things.

私のいわゆる「悩み無き少年時代」は、スタワー川のほとりにある物全てに関りがある。それらが、私を画家にしてくれた。水車のダムから流れ出る水音、古く朽ちた川べり、ぬるっとした杭・・・そんなものが、私は好きだ。

上の絵は、おそらくコンスタブルの中で一番有名な絵、ロンドン、ナショナル・ギャラリーにある「The Hay Wain」(乾草車)。絵画の左側に描かれている白いコテージ、ウィリー・ロット(Willy Lott)のコテージは、この絵のおかげで、イギリスで最も有名なコテージだ、という話もあります。この記事の一番上に載せた写真を取った場所と、ほぼ同じスポットからの風景を、約200年前にコンスタブルが描いたものです。これは、ロンドンに移り住んでからの作品なので、今までの、数限りない故郷でのスケッチをもとに、ロンドンのスタジオで生み出された絵。この絵が、上のクイズ番組で問題になっていた、1824年のパリのサロンに展示された際、センセーションを引き起こし、後のバルビゾン画家達の他にも、ドラクロアが、非常に感銘を受け、彼は、後にコンスタブルを、「近代フランス風景画の父」と呼んだと言います。

なんでも、この白いコテージの主、ウィリー・ロットは、コンスタブルと同じく、この地が大好きで、家から離れて寝泊りしたのは、一生のうち4日のみだった、という話が伝えられています。そんなウィリー・ロットに共感を持ったか、コンスタブルは、「乾草車」を描く以前にも、何度も、この家を描いています。

コンスタブルの父は、水車小屋で轢いた粉を、ロンドンの市場に送り出すため、小船に積み込んで、スタワー川の河口の町まで運送していたわけです。積荷を降ろした帰りの船は石炭を積んで戻ったという事。水車小屋のすぐそばには、こうした小船を作っていたドライ・ドックもあります。

実際にここで船を作っている様子もコンスタブルは描いています。「Boat-building near Flatford Mill」 (フラットフォード・ミル付近の船作り、ヴィクトリア&アルバート博物館蔵)。

川沿いをしばらく歩くと、川の水位を調節して船の行き来を可能にするためのロック(水門)があります。

こちらも、ちゃんと絵に登場。「The Lock」(ザ・ロック、水門、ルガーノのティッセンン=ボルネミッサ・コレクション蔵)。

ナショナル・トラストのカフェが入っているブリッジ・コテージの前にかかる古い橋の袂には、ボート乗り場があります。過去2,3回、私もここでボート漕ぎをしました。(というより、私の場合は、人に漕がせて、自分は景色を楽しむ・・・というずるいものですが。)

お天気の日は、スタワー川を、沢山のボートが行きかいます。この人たちも楽しそうですわ。

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コンスタブル・カントリーのメインのアトラクションは、上記フラットフォードですが、その他、イースト・バーゴルトと、デダムの事も書いておきます。

彼が実際住んでいた両親の家があったのは、フラットフォードから北へ少し行った所にある、イースト・バーゴルト(East Bergholt)という、小さな愛らしい村。

イースト・バーゴルトにある、セント・メアリー・ヴァージン教会は、本来ならば、鐘塔の中に釣り下がって、ディンドン鳴っているはずの5つの鐘が、教会敷地内の小屋(上写真)の中に収まっている事で有名です。これは、16世紀前半に、鐘塔を作る予定だったのが、資金切れでできなくなってしまい、非常手段として、鐘を小屋に収めて、塔は作られないまま終わった・・・という情けないエピソードの結果です。なんでも、この資金を出す予定だった人物は、やはりサフォーク州にあるイプスウィッチ出身であり、ヘンリー8世の下で枢機卿を務めた、トマス・ウルジーだったと言われていますが、彼が、ヘンリー8世の離婚問題をめぐり失脚、後、死亡してしまったため、話はおじゃんとなったわけです。

少年コンスタブルが通った学校は、ここから南西へ少し降りた村、デダム(Dedham)。フラットフォードからは、川沿いに西へ行ったところです。イースト・バーゴルトから、デダムとスタワー川を望む景色も、デダムの教会の塔が小さく風景の向こうに見える様子も、彼の幾つかの絵に残っています。 上の絵は、「The Stour Valley and Dedham Village」(スタワーの谷とデダムの村、ボストン美術館蔵)。絵の中心、やや右よりに描小さく見えるのがデダムと、その教会の塔。

こちらの写真は、イースト・バーゴルトからデダムへ歩く途中で取ったもの。右手に小さく見えるのが、デダムの教会です。

イギリス(ヨーロッパ)の田舎は、日本の様に、あちこちに自販機やら、巨大な看板やらが目に入らないのがいいのです。自販機がないと不便?でも、その代わりに、デダムのこんな可愛いティールームで、足を休めて、ポット・オブ・ティーを頼んだ方がずっと良いのでは。

デダムのハイストリートに並ぶ家の一軒には、こんな古めかしいバス停のサインがかかっていました。今も、ここにバスがとまるのか・・・それは未確認です。

デダムの教会を近くでで見るとこんな感じです。

コンスタブル・カントリーは、ロンドンのリバプール・ストリート駅から電車で約1時間のマニントリー駅(Manningtree)で降りて、残りは徒歩可能。駅からフラットフォードまでは、約30分もあれば大丈夫でしょう。途中、ほとんど、車を見ることなく、牧歌風景の中を歩けます。急ぎの時は、フラットフォードのみ、時間があれば、イースト・バーグホルト、デダムも含めて、一日かけて歩いてみましょう。何はともあれ、ウィリー・ロットのコテージとフラットフォード・ミルだけは見逃さないように。

ちょっと前に見たイギリスの電車の旅のテレビ番組で、この地を紹介していましたが、マニントリーの駅で、駅員さんが、コンスタブル・カントリーには、世界中から人が来る、そして、「日本人も沢山やって来る。」と言っていました。が、私は、この駅に何度か降り立ったことがありながら、一度も日本人を見た事はありません。駅員のおじさん、私と、連れの日本人の友達を見て、「日本人がたくさん来る。」と言ったわけではないよね・・・などと勘ぐってしまいました。ついでながら、駅を出て、フラットフォードとは反対方向の、東にあるマニントリーの町は、悪名高き魔女狩り将軍、マシュー・ホプキンス出身地でもあります。

私も、コンスタブル・カントリーへは大好きで、上記の通り、過去何回か行った事がありますが、前回行ったのは、去年の4月。今年と全く対照的なそれは暑く乾燥した4月でしたっけ。以前の記事、「夏のような4月」に載せた写真は全て、コンスタブル・カントリー周辺で取ったものです。

尚、コンスタブルの絵画の画像は、すべてウィキメディアから拝借。また、この記事を書くにあたっては、かなり以前、ロンドン・テート・ギャラリー(テート・ブリテン)で催された、コンスタブルの風景画展覧会のカタログを参考にしました。

*コンスタブルと雲*

コンスタブルは、また、雲を描かせたら天下一品、とも言われます。

以前、テレビで雲に関するドキュメンタリーを見ている時、番組のプレゼンターをしていた、雲鑑賞協会のメンバーが、コンスタブルは、それぞれの種の雲の特徴を知り尽くしている、という話をしていました。 1802年に、英アマチュア気象学者ルーク・ハワード(Luke Howard)によって書かれ、現在の雲の分類方法の元となった論文、"On the modification of clouds" (雲の分類について)も、読んで知っていたらしいという話です。

特に、ハムステッドに引っ越してからは、飽きることなく、数限りない雲と空のスケッチをし、更に、そのスケッチをした日付けと時間、その際の天気、風向き、その後の天気などを詳しくしたためていたというので、過ぎていく天気とその空模様にかなりの興味があったのでしょう。

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