チャリング・クロス街84番地

ロンドンのチャリング・クロス・ロードは、トラファルガー広場北東部を過ぎた辺りから、オックスフォード・ストリートまで南北に延びる道路。専門書等を扱う古本屋の多い道として知られてきました。今では、その本屋の数も減ってきている感じですが。

アンソニー・ホプキンズとアン・バンクロフト主演の「84 Charing Cross Road」(チャリング・クロス街84番地)という題名の映画がありました。ニューヨークに住むアメリカ人女性と、ロンドンのチャリング・クロス・ロード84番の古本屋で働くイギリス人男性との大西洋を隔てた、実話に基づく友情の話。ただ、この2人は手紙でやり取りするのみで、一生会わずに終わるのですが。

原作は、1970年、同名で出版された、米女流作家ヘレーン・ハンフ(Helene Hanff)によるもの。チャリング・クロス・ロード84番にあった古本屋、Marks & Co のマネージャー、フランク・ドエル(Frank Doel)と彼女自身との約20年に渡る手紙のやり取りをまとめたもの。後、1981年には、舞台化もされています。

1949年、ニューヨークに住む、当時は、まだ名も無い女流作家ヘレーンは、絶版となっている、あまり名の知れない英文学の本を探し回る過程で、チャリング・クロス・ロード84番にある古本屋、Marks & Co に問い合わせの手紙を出す。店のマネージャー、フランクは、彼女の望む本を探し当て、丁寧な手紙と共にニューヨークへ送付。・・・こうして始まる二人の文通。

彼女の文体は、機知に飛んでユーモラス。美しく装丁された古本と文学への愛情という共通の情熱を持ち、本の売買を通じながら、2人は本を語り、世情を語り。初めての、フランクからのビジネス・レターが、「ディア・マダム」で、始まっているのを読んで、ヘレーンは、

I hope madam doesn't mean over there what it means over here.
マダムという言葉が、イギリスでは、アメリカで使われる意味と違うといいけれど。

という感想をもらしますが、アメリカでは、マダムは「比較的高齢の女性」というニュアンスでもあるのでしょうか?

彼女は、映画内では、過去好きな人がいたような事を匂わせていますが、生涯独身を通した人。この映画を見る限りでは、独身生活を楽しみ、それなりに幸せだった人の感を受けます。寝室、書斎、キッチン、居間が、全部一部屋に収まり、手狭ながらも、趣味の良い、彼女の古いアパートに住んで、彼女の様な暮らしをしてみたい気もしましたから。

この頃、イギリスは、終戦後数年経っていながら物資不足で肉や日常必需品はまだ、配給に頼る状態。そんな話を友人から聞きつけて、ヘレーンは、クリスマスなどに、肉類やフルーツ等の缶詰の沢山入った小包を、フランク及び、古本屋の従業員宛に送る。そして、そのうち、フランクのみならず、店の他の従業員達からも感謝の手紙が届くようになる。また、ジュディー・デンチ扮するフランクの奥さんからも、お礼の手紙が行き。

20年に渡る、時代背景の移り変わりの逸話も、色々盛り込まれています。

イギリス労働党アトリー内閣の終わり頃の、1951年に開かれた、フェステバル・オブ・ブリテンと称された、ロンドンのテムズ川沿いサウスバンクでのお祭りに、フランク夫妻が出かけるシーンもありました。このフェステバル・オブ・ブリテンは、うちのだんなの両親も、はるばるヨークシャー州からオートバイに乗って出かけて行ったそうです。
そして、その後の総選挙では、労働党が敗れ、チャーチルと保守党がカムバックを果たす。
さらには、ジョージ6世の急死。エリザベス女王の戴冠式は、フランクは友人を招いて、皆でテレビでその様子を眺めるのですが、「God save our gracious Queen...」と国歌が流れ出すと、一同、テレビの前で起立したのが、時代がかって面白かったです。
60年代になると、ロンドンはミニスカート姿の女の子達が闊歩し、フランクは手紙で、「若者は、カーナビーストリートに出かけていく」というようなくだりを書いています。

ああ、そうそう、本屋で、ティータイムに従業員達が紅茶をいれるシーンがありましたが、使っていたティーポットは・・・やはり、ブラウン・ベティーでした!そして、老齢の従業員がいわく、

What would we do without our cups of tea? Life would be insupportable, would it not?
一杯の紅茶が無かったら、我々はどうなる事やら?人生やっていられないだろうな。

ヘレーンは、イギリス、及び、ロンドンを訪ねるつもりでいながら、経済事情等で、のばしのばしとなり、渡英が実現する前の、1968年に、フランクは急死。フランク亡き後、彼女が実際に、閉店となってしまったMarks & Co に足を踏み入れるのは、すでに「チャリング・クロス街84番地」が出版された後の1971年の事。

映画の最後は、クリネックス・ティシュを用意です。84番地の空っぽの店の中へ入ってきたヘレーンが、「ほら、私、ここよ、フランキー!やっと来たわよ。」と言って、にこっと笑う。これには、涙がどーっと出てくるのです。映画はここで終わっていますが、彼女は、後に「The Duchess of Bloomsbury Street」という本を出し、この際のイギリス旅行の事を記述しているそうです。

当時はまだEメールというものがありませんから、実際ペンを握り、または、タイプライターを叩いて、書き、郵便局へ行って、切手を貼って出して、返事を待って・・・その過程が、テクノロジーが発展した現在から見ると、何ともなつかしいものがあります。時間がかかる分、便りを受ける事の嬉しさは、今よりあった気がします。Eメールのインボックスの中に眠っている古いメールの記録よりも、小さな引き出しの中に、リボンをかけて取ってある過去の手紙の束の方が、ロマンがあるのも同じこと。

学生の頃、ペンパルなどを持っている友人もいましたが、大体において、2,3年たつと、そのうちやりとりが間遠になり、やがて消滅、というケースが多かった気がします。本の売買を兼ねてであっても、あれやこれやと話題も豊富な手紙のやりとりが、20年続くというのは、やはり、かなり気が合ったのでしょう。フランクが亡くなった後、ヘレーンに宛てた奥さんからの手紙には、「フランクはいつも、機知に飛んだあなたの手紙を楽しみにしていました。私は、実は、少しやきもちを焼いたりもしたのです。」という様な事が書かれていました。生涯の心の友、というやつです。

原題:84 Charing Cross Road
監督:David Hugh Jones
言語:英語
1987年

コメント

  1. おはようございます
    今日は曇り、でもすこし暖かいです。昨日は骨董市に出かけて、小さな貝細工のピルケースを買いました。何の役にもたたない物ですが、鳥の細工あって、見ているだけでうれしくなります。まさに無駄遣いです。
    この映画、面白そうですね。アンバンクラフトは大好きです。サリバン先生、卒業の母親など大人の女性を感じます。手紙の持つ優雅さとか奥ゆかしさはメールにはないですもの。ラヴレターだって違いますよね。初めて英語で手紙を送った時の気持ちも特別でした。
    ぜひ,この映画みたいです。

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  2. いつも感心しながら読ませていただいています。
    初めての投稿ですが、あの人の奥ちゃんです^_^;
    この映画大好きです。
    初めてロンドンに行った時、迷わずチャリング・クロスに行ってみました。
    神田の古本屋街を想像していたら、思いがけず小さな規模で驚きました。
    ブラウン・ベティーは、「ノッティングヒルの恋人」にも、さりげなく登場してたような?
    今度はぜひ購入してきたいと思います。

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  3. せつこさん、
    面白いですよ。アン・バンクロフトも、少々風変わりでエネルギッシュな独身女性でいい味出してました。アマゾン・ジャパン辺りで、DVD売っていると思います。
    アンティークにご興味おありでしたら、下のプチ・アールデコさんとご主人が、アンティーク関係で、骨董市などもやられているようです。近ければ、買いに行かれては。

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  4. プチ・アールデコさん、
    こんにちは。愛妻家ご主人からお噂はかねがね。

    何度も見たくなる映画ですね。チャリング・クロス・ロードは今は、ただの普通の道路といった感じですが。昔は、もっと本屋の数も多かったのかもしれません。
    ノッティングヒルにも、ベティー登場してましたか。イギリス人で、このポットの名前を知らない人もわりと多く、うちのも、「名前あるわけ?ただのスタンダードのポットでしょ。」だそうです。安いので、1ダースくらい買って帰ってください。持って行くのが大変でしょうが。

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