ラドヤード・キプリングのジャングル・ブック
ジャングル・ブック・・・と言うと、どうしてもディズニーのアニメが真っ先に頭に浮かんでしまうのですが、原作である、ラドヤード・キプリング(Rudyard Kipling)著、1894年出版の「ジャングル・ブック」(The Jungle book)を子供時代に読んだという人はどれくらいいるのでしょうか。
私も、この原作を読んだのは、白状してしまうと、つい最近。この本が、狼に育てられた少年モーグリの話だけでなく、他に4編の動物達の物語が入った短編小説集だと、今更気づいた次第です。
モーグリの冒険を語った3つの短編の他、人間の訪れない平和な海岸を求める白アザラシの話、一緒に住む白人家族を守るため、コブラと戦う小さなマングースの話、そして象たちの真夜中のダンスを目撃する象飼いの少年の話、インドの軍隊の駐屯地で夜中会話をする人間に仕える動物達の話、が含まれています。白アザラシの話以外は、キプリングが、生まれて幼少時代を過ごし、大人になってからもしばらく生活したインドが舞台。エキゾチックな風景を想像しながら、お話としては、どれも楽しく読みました。
さて、原作のモーグリの話の内容をざっと書くと、
ジャングルの嫌われ者、虎のシア・カーンが人間の村を襲った際、村からよちよち逃げ出した人間の赤ん坊が、狼夫婦の住むほろ穴へ現れる。狼夫婦は、この子を「蛙のモーグリ」と名づけ、自分達の子供と共に育てる事に。
狼としてジャングルで生きるには、狼の群れに仲間として認められる事が必要。そこで夫婦は、モーグリを、長老狼アキーラが司る狼の会合へ連れて行く。何匹かの若者狼達が不服を唱える中、アキーラは、モーグリを群れの一員とするには、育ての親となる狼夫婦以外に2人(2匹)が、モーグリを支持する事が必要だと、支持者を促す。一匹目の支持者は、狼ではないものの、子狼達に「ジャングルの掟」を教える役を果たしているため、狼の会合に参加を許されている熊のバルー。2匹目は、これまた狼ではなく、幼い頃人間に育てられた黒豹のバギーラ。バギーラは、自分は狼で無いので、贈り物として、殺したての雄牛を一頭、群れに捧げる事で、モーグリが狼の群れに受け入れられる事を確保。以来、この2匹が、モーグリの大切なジャングルの師、そして友となるわけです。
なにせ、ヴィクトリア朝の人の書いたものですから、子供のしつけと規律を守る事を重視。アニメでは、陽気で能天気なだけの熊のバルーなども、モーグリが言う事を聞かず、教えた事を習わないと、お仕置きでモーグリを殴ったりし、モーグリは時に体にあざができている・・・のようなくだりもあるのです。バルーに言わせると、
Better he should be bruised from head to foot by me who love him than that he should come to harm through ignorance.
(モーグリが)浅はかさから、後でこっぴどい目に合うより、モーグリの事を大切に思っているおいらに、今のうちに、頭からつま先まで、あざを作らされた方がいいんだよ。
そして普段はあまり怒らないバギーラからも、一度、大失敗の暁に一発殴られるのですが、
One of the beauties of Jungle Law is that punishment settles all scores. There is no nagging afterward.
ジャングルの掟のすばらしい事のひとつは、罰が全てを水に流す事。罰を与えた後は、一切、がみがみのお小言はないのです。
だそうで、この後、すぐ、モーグリは、けろっとして、バギーラを枕にしてぐっすり眠る・・・。
うーん、愛の鞭と言うやつですが、今の時代に、原作を変えずに、このまま児童文学として読ませるには、少々、まずいと思う人もいることでしょう。
体罰とまでは行かなくとも、規律を守る、上の者の指図を遂行する・・・の様なくだりは、モーグリの話以外の他のストーリーにも、所々顔を出しています。本内の最後のストーリーでも、インドのミリタリー・パレードを眺めていた、インドの将校が、上は軍の上部から下は馬、らくだ、象などの動物に至るまで、命令に従い、それを遂行するから、こんなすばらしいパレードができる・・・と説明するところがありました。それに答えて、一緒にパレードを見物していたアフガニスタンからのゲストは「アフガニスタンでもこうであればよいのに!アフガニスタンでは、個々人が自分の思うままに振舞うのみだから。」とこぼすのです。
と、脱線したところで、話をモーグリに戻し、こうしたバルーの教育の成果で、モーグリは、ジャングルで使われる多くの言葉を習い、「ジャングルの掟」を叩き込まれ、賢い子として成長。
いつかモーグリを殺して食べてやろうと企むシア・カーンは、若い狼達何匹かを言いくるめ、モーグリは、やがて、狼の群れから追放される事になります。前もって、不穏な空気を察知していたバギーラに忠告されていた通り、モーグリは、隠し持っていた火を使って狼達とシア・カーンを脅かし、人間の村へ走って逃げる。
モーグリは人間の村で、虎に子供を盗まれた夫婦に引き取られるのですが、服を身に付けること、室内で眠る事などになかなか慣れられない。また、インド社会のカースト制度(身分差別)が理解できず、自分より身分が下の者の手助けをちょっとしただけで、目上の者に怒られるのが納得いかない。
ある日、家畜の群れの番をしていたモーグリは、兄弟として育った狼から、シア・カーンがモーグリを捕まえようと狙っている情報を仕入れ、兄弟狼と、アキーラの助けを借りて、逆にシア・カーンを殺す事に成功。賞金がかかっていたシア・カーンの毛皮を剥ぎ、狼達と堂々と村へ戻ったところ、英雄扱いされると思いきや、「魔法使い!狼の子!ジャングルの悪魔!」と罵られ、村人達から石を投げられ、モーグリは、再び、味方の狼達とジャングルへ。
自分は狼世界では人間と呼ばれ、人間世界では狼と呼ばれ、どこへも帰属する事ができない・・・
As Mang flies between the beasts and birds, so fly I between the village and the jungle. Why?
(こうもりの)マングが獣たちと鳥たちの間を行ったり来たりするように、僕も、村とジャングルを行ったり来たり・・・どうして?
と嘆く。インドとイギリスの2つの文化を見ながら育った著者の感情が入っているのでしょうか。それでも、モーグリは、ジャングルへ戻り、外の空気を吸って眠り、バギーラ、バルーと再び交友する事は嬉しく・・・。
当本内では、この大筋の他に、モーグリが、猿の大群に誘拐され、バギーラ、バルーが、巨大ニシキヘビ、カーの援助を受けて、モーグリを奪回する話が挿入されています。
物語の最後には、「モーグリは、やがて成人になって結婚しますが、それは大人達のためのお話となります・・・」と暗示しながら、ジャングルへ戻ったモーグリが、その後、人間社会へ再び戻るか、どうなるかは、やはり短編集で、1895年出版の「続ジャングル・ブック」(The Second Jungle Book)に書かれているようです。こちらの方は、まだ読んでいません。
(動物の写真は全てNational Geographic のサイトより拝借しました。)
ディズニーものは、同じ登場人物(動物)を使いながら、かなり原作から離れて作ってあります。映画という枠の中で、話をコンパクトにするためか、物語の大部分は、狼に育てられた主人公モーグリが、狼の集会で、人間の村に帰したほうが良いと決定され、黒雹バギーラが、付き添って、モーグリを村まで連れて行く、その過程を描いたものでした。道中で、クマのバルーに出会い、バルーが、「ディズニー映画ジャングルブックと言えば、この歌ででしょ!」の様な、「The Bear Necessities」を陽気に歌って踊るのです。そして、蛇に襲われる、猿達に誘拐される、シア・カーンとの対決などのハプニングがあり。最初はジャングルに留まりたいと駄々をこねるモーグリが、人間の村の入り口で、水を汲む可愛い子ちゃんに一目ぼれ、そのままバギーラとバルーを後に、村へ入って行ってしまう。後に残された2匹は、「これで良かったんだ」と肩を組んで、「The Bear Necessities」を歌いながらジャングルの中へ戻っていく。ディズニーものも、とても良く出来ていて面白かったので、けなすつもりはありませんが、原作の存在を吹き散らしてしまうほどの、西洋文化に生きる子供達への、ディズニーの影響の強さに、少々辟易となることもあります。
ジャングル・ブックは、1907年に、ロバート・ベーデン・パウエル氏によって始められたスカウト運動にも影響を与えています。
特に、カブ・スカウトのチーム・リーダーは、イギリスでは、ジャングル・ブックの狼の長老の名を取り、「アキーラ」と呼ばれ。カブ(cub)は英語では、狼、ライオン、豹などの獣の子供の事。
うちのだんなも子供の頃、両親に、カブ・スカウトに送り込まれたそうです。始める前は、火をたいたり、釣りをしたり、木の上に家を作ったりと、冒険まがいの事ができると楽しみにしていたらしいのですが、何でも彼のチームのアキーラは、でぶっちょのおばさんで、週1回の、教会のホールでの会合は、いつもつまらないゲームをやらされ、すぐうんざりとなった様子。やめたかったのだけれど、ユニフォームを買ってしまったので、両親に諭され、2年ほど続けたそうです。一方、同じ通りに住んでいた幼馴染は、ユニフォームも買っていなかったので、すぐやめさせてもらったのだと、恨めしそうに言っていました。
「あんな事やっている間に、ギターでも習って、ひける様になっていたら、もっとクールな男になって、もてたかもしれないのに。」だなんて。「もてなかったのを、カブ・スカウトのせいにしちゃいけませんがな。」と私は、心の中で思いました。
*余談:ラドヤードという名前*
キプリングの、ラドヤードというファースト・ネームは、あまり聞かぬ名ですが、これは、スタフォードシャー州にあるラドヤード湖(Rudyard Lake)からきています。1863年に、まだ結婚前のキプリングの両親がこの湖を訪れ、大変気に入り、後に、結婚して、長男が生まれた際に、その子につけた名が、ラドヤード。
ラドヤード湖のサイトは、こちら。
私も、この原作を読んだのは、白状してしまうと、つい最近。この本が、狼に育てられた少年モーグリの話だけでなく、他に4編の動物達の物語が入った短編小説集だと、今更気づいた次第です。
モーグリの冒険を語った3つの短編の他、人間の訪れない平和な海岸を求める白アザラシの話、一緒に住む白人家族を守るため、コブラと戦う小さなマングースの話、そして象たちの真夜中のダンスを目撃する象飼いの少年の話、インドの軍隊の駐屯地で夜中会話をする人間に仕える動物達の話、が含まれています。白アザラシの話以外は、キプリングが、生まれて幼少時代を過ごし、大人になってからもしばらく生活したインドが舞台。エキゾチックな風景を想像しながら、お話としては、どれも楽しく読みました。
さて、原作のモーグリの話の内容をざっと書くと、
ジャングルの嫌われ者、虎のシア・カーンが人間の村を襲った際、村からよちよち逃げ出した人間の赤ん坊が、狼夫婦の住むほろ穴へ現れる。狼夫婦は、この子を「蛙のモーグリ」と名づけ、自分達の子供と共に育てる事に。
狼としてジャングルで生きるには、狼の群れに仲間として認められる事が必要。そこで夫婦は、モーグリを、長老狼アキーラが司る狼の会合へ連れて行く。何匹かの若者狼達が不服を唱える中、アキーラは、モーグリを群れの一員とするには、育ての親となる狼夫婦以外に2人(2匹)が、モーグリを支持する事が必要だと、支持者を促す。一匹目の支持者は、狼ではないものの、子狼達に「ジャングルの掟」を教える役を果たしているため、狼の会合に参加を許されている熊のバルー。2匹目は、これまた狼ではなく、幼い頃人間に育てられた黒豹のバギーラ。バギーラは、自分は狼で無いので、贈り物として、殺したての雄牛を一頭、群れに捧げる事で、モーグリが狼の群れに受け入れられる事を確保。以来、この2匹が、モーグリの大切なジャングルの師、そして友となるわけです。
なにせ、ヴィクトリア朝の人の書いたものですから、子供のしつけと規律を守る事を重視。アニメでは、陽気で能天気なだけの熊のバルーなども、モーグリが言う事を聞かず、教えた事を習わないと、お仕置きでモーグリを殴ったりし、モーグリは時に体にあざができている・・・のようなくだりもあるのです。バルーに言わせると、
Better he should be bruised from head to foot by me who love him than that he should come to harm through ignorance.
(モーグリが)浅はかさから、後でこっぴどい目に合うより、モーグリの事を大切に思っているおいらに、今のうちに、頭からつま先まで、あざを作らされた方がいいんだよ。
そして普段はあまり怒らないバギーラからも、一度、大失敗の暁に一発殴られるのですが、
One of the beauties of Jungle Law is that punishment settles all scores. There is no nagging afterward.
ジャングルの掟のすばらしい事のひとつは、罰が全てを水に流す事。罰を与えた後は、一切、がみがみのお小言はないのです。
だそうで、この後、すぐ、モーグリは、けろっとして、バギーラを枕にしてぐっすり眠る・・・。
うーん、愛の鞭と言うやつですが、今の時代に、原作を変えずに、このまま児童文学として読ませるには、少々、まずいと思う人もいることでしょう。
体罰とまでは行かなくとも、規律を守る、上の者の指図を遂行する・・・の様なくだりは、モーグリの話以外の他のストーリーにも、所々顔を出しています。本内の最後のストーリーでも、インドのミリタリー・パレードを眺めていた、インドの将校が、上は軍の上部から下は馬、らくだ、象などの動物に至るまで、命令に従い、それを遂行するから、こんなすばらしいパレードができる・・・と説明するところがありました。それに答えて、一緒にパレードを見物していたアフガニスタンからのゲストは「アフガニスタンでもこうであればよいのに!アフガニスタンでは、個々人が自分の思うままに振舞うのみだから。」とこぼすのです。
と、脱線したところで、話をモーグリに戻し、こうしたバルーの教育の成果で、モーグリは、ジャングルで使われる多くの言葉を習い、「ジャングルの掟」を叩き込まれ、賢い子として成長。
いつかモーグリを殺して食べてやろうと企むシア・カーンは、若い狼達何匹かを言いくるめ、モーグリは、やがて、狼の群れから追放される事になります。前もって、不穏な空気を察知していたバギーラに忠告されていた通り、モーグリは、隠し持っていた火を使って狼達とシア・カーンを脅かし、人間の村へ走って逃げる。
モーグリは人間の村で、虎に子供を盗まれた夫婦に引き取られるのですが、服を身に付けること、室内で眠る事などになかなか慣れられない。また、インド社会のカースト制度(身分差別)が理解できず、自分より身分が下の者の手助けをちょっとしただけで、目上の者に怒られるのが納得いかない。
ある日、家畜の群れの番をしていたモーグリは、兄弟として育った狼から、シア・カーンがモーグリを捕まえようと狙っている情報を仕入れ、兄弟狼と、アキーラの助けを借りて、逆にシア・カーンを殺す事に成功。賞金がかかっていたシア・カーンの毛皮を剥ぎ、狼達と堂々と村へ戻ったところ、英雄扱いされると思いきや、「魔法使い!狼の子!ジャングルの悪魔!」と罵られ、村人達から石を投げられ、モーグリは、再び、味方の狼達とジャングルへ。
自分は狼世界では人間と呼ばれ、人間世界では狼と呼ばれ、どこへも帰属する事ができない・・・
As Mang flies between the beasts and birds, so fly I between the village and the jungle. Why?
(こうもりの)マングが獣たちと鳥たちの間を行ったり来たりするように、僕も、村とジャングルを行ったり来たり・・・どうして?
と嘆く。インドとイギリスの2つの文化を見ながら育った著者の感情が入っているのでしょうか。それでも、モーグリは、ジャングルへ戻り、外の空気を吸って眠り、バギーラ、バルーと再び交友する事は嬉しく・・・。
当本内では、この大筋の他に、モーグリが、猿の大群に誘拐され、バギーラ、バルーが、巨大ニシキヘビ、カーの援助を受けて、モーグリを奪回する話が挿入されています。
物語の最後には、「モーグリは、やがて成人になって結婚しますが、それは大人達のためのお話となります・・・」と暗示しながら、ジャングルへ戻ったモーグリが、その後、人間社会へ再び戻るか、どうなるかは、やはり短編集で、1895年出版の「続ジャングル・ブック」(The Second Jungle Book)に書かれているようです。こちらの方は、まだ読んでいません。
(動物の写真は全てNational Geographic のサイトより拝借しました。)
ディズニーものは、同じ登場人物(動物)を使いながら、かなり原作から離れて作ってあります。映画という枠の中で、話をコンパクトにするためか、物語の大部分は、狼に育てられた主人公モーグリが、狼の集会で、人間の村に帰したほうが良いと決定され、黒雹バギーラが、付き添って、モーグリを村まで連れて行く、その過程を描いたものでした。道中で、クマのバルーに出会い、バルーが、「ディズニー映画ジャングルブックと言えば、この歌ででしょ!」の様な、「The Bear Necessities」を陽気に歌って踊るのです。そして、蛇に襲われる、猿達に誘拐される、シア・カーンとの対決などのハプニングがあり。最初はジャングルに留まりたいと駄々をこねるモーグリが、人間の村の入り口で、水を汲む可愛い子ちゃんに一目ぼれ、そのままバギーラとバルーを後に、村へ入って行ってしまう。後に残された2匹は、「これで良かったんだ」と肩を組んで、「The Bear Necessities」を歌いながらジャングルの中へ戻っていく。ディズニーものも、とても良く出来ていて面白かったので、けなすつもりはありませんが、原作の存在を吹き散らしてしまうほどの、西洋文化に生きる子供達への、ディズニーの影響の強さに、少々辟易となることもあります。
ジャングル・ブックは、1907年に、ロバート・ベーデン・パウエル氏によって始められたスカウト運動にも影響を与えています。
特に、カブ・スカウトのチーム・リーダーは、イギリスでは、ジャングル・ブックの狼の長老の名を取り、「アキーラ」と呼ばれ。カブ(cub)は英語では、狼、ライオン、豹などの獣の子供の事。
うちのだんなも子供の頃、両親に、カブ・スカウトに送り込まれたそうです。始める前は、火をたいたり、釣りをしたり、木の上に家を作ったりと、冒険まがいの事ができると楽しみにしていたらしいのですが、何でも彼のチームのアキーラは、でぶっちょのおばさんで、週1回の、教会のホールでの会合は、いつもつまらないゲームをやらされ、すぐうんざりとなった様子。やめたかったのだけれど、ユニフォームを買ってしまったので、両親に諭され、2年ほど続けたそうです。一方、同じ通りに住んでいた幼馴染は、ユニフォームも買っていなかったので、すぐやめさせてもらったのだと、恨めしそうに言っていました。
「あんな事やっている間に、ギターでも習って、ひける様になっていたら、もっとクールな男になって、もてたかもしれないのに。」だなんて。「もてなかったのを、カブ・スカウトのせいにしちゃいけませんがな。」と私は、心の中で思いました。
*余談:ラドヤードという名前*
キプリングの、ラドヤードというファースト・ネームは、あまり聞かぬ名ですが、これは、スタフォードシャー州にあるラドヤード湖(Rudyard Lake)からきています。1863年に、まだ結婚前のキプリングの両親がこの湖を訪れ、大変気に入り、後に、結婚して、長男が生まれた際に、その子につけた名が、ラドヤード。
ラドヤード湖のサイトは、こちら。
こんにちは 今日はまるで春のような天気です。東京マラソンが開催されていますが、マラソンには気温が高めでしょうか?
返信削除ジャングルブックはディズニーのアニメしか知らなかったので、興味深く読ませて頂きました。たしかにあのアニメはお気楽すぎますし、人間に都合が良すぎます。私もあまりディズニーを子供に見せることは好みませんでした。ただ、英語の発音が明瞭で、分かりやすいので、娘はあのアニメからだいぶ影響を受けました。
ジャングルブックはインドでオオカミに育てられた双子の姉妹が発見されたニュースとの関連はないのですか?幼児教育の重用性が議論さえるときに、必ず例に引き出されますよね。人間らしく育てるのと動物らしく育てるのと同じ『教育』の時間が必要というのは面白いです。掟はいずれにしろ、叩き込まねばならない。ボーイスカウトはクラスの男の子が数人入っていましたが、私はなんとなく軍隊みたいで、こちらも敬遠していました。
子育てを一応終えた今、「親はなくとも子は育つ」に感慨を持ちます。
有名な児童文学などを、今更読み直して、こんな話だったか・・・と思うことは、わりとよくある経験です。インドでオオカミに育てられた双子の姉妹の話は、私は知らないので、ジャングルブックと関係あるかは、わかりませんが。
返信削除スカウト運動は始まった時代が時代だし、創始者のロバート・ベーデン・パウエルが軍あがりの人なので、ミリタリー的要素は強いのでしょう。教育もこの頃の体罰などは、少々、今では時代遅れに見えながら、今は今で、全くの逆に走ってしまい、この国では、あまりに生徒の権利が強すぎ、教育などまるで出来ない様な環境の学校も多い気がします。