キッパーで朝食を

「朝ごはん、キッパーにしようよ。」と、うちのだんな。キッパーは、にしんの燻製ですが、月に1回くらい、朝ごはんに食べたくなるようで、その日は、早朝からキッチンが干物のにおいで充満。だんなが、キッパーをグリルの上に並べ、トーストを焼き、紅茶を入れながら、必ずフンフンと歌いだす歌は・・・「ブレックファスト・イン・アメリカ」。単純な人です。

「Could we have kippers for breakfast?(朝食にキッパーを食べてもいい?)」という歌詞の入る「ブレックファスト・イン・アメリカ」は、70年代後半のイギリスのバンド、スーパートランプによるもの。日本では、カセット・テープ、マクセルのコマーシャルに使われたと記憶しています。哀愁に満ちたメロディーとおかしな歌詞の組み合わせが絶妙です。

Could we have kippers for breakfast?
Mummy dear, mummy dear
They got to have 'em in Texas
cos everyone's a millionaire

朝食にキッパーを食べてもいい?
ねえ、母さん、ねえ
テキサスでは食べてるはずだよ
あそこは皆が100万長者だから

つられて歌いだす私も単純な人です。

アガサ・クリスティーの同時代人に、やはり女流推理小説作家にドロシー・L・セイヤーズ(Dorothy Leigh Sayers)がいます。

貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿が登場する彼女の作品のひとつ、「Murder must advertise」(殺人は広告する)の一節に、スコットランド・ヤードの刑事が2人、ロンドン北部のフィンチリーの小さな料理店で、キッパーとポットいっぱいの紅茶で、朝食をするシーンがあります。

このシーンで、2人の刑事が、テーブルに届いたキッパーをまじまじ眺めながら、「・・・ちゃんと料理してあるといいが。火が良く通っていないキッパーを食べようもんなら、残り一日、息がキッパー臭くてたまらんから。」と言ったり、また、小骨をとらずに、ばくっと一口したあと、「なんで、神様は、こんなにも沢山の骨をこの魚に押し込んだのか、全くわからんよ。」と指で骨をほじくりだしながら小言を言ったりする様子も、愉快でした。

1933年の出版。当時は今よりも頻繁にこのキッパーを食べていたのか、彼女の他の作品にも、2,3キッパーを食べるシーンが出てきます。ウィムジー卿のシリーズは、この頃のロンドンの様子もわかり、楽しい本です。変わっている部分もありますが、変わっていない部分が多いのにも驚き。

*ドロシー・l・セイヤーズについては以前の記事「本棚に並ぶ内面史」でも言及していますので、詳しくはそちらまで。

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さて、小骨と格闘しながら、しょっぱいキッパーを食べた後は、バターとママレードのトーストと紅茶で仕上げます。だんなに言わせると、キッパーのしょっぱさと、ママレードトーストの甘さのコンビネーションが最高なのだそうです。最初は、魚はご飯と一緒じゃないとなどと思って、抵抗があったものですが、今は平気でむしゃむしゃ、ごぶり。テキサスでこんなもの食べないだろうなと思いながら。

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