ルーブルにて(パリ紀行2)

 パリのルーブル美術館の周辺を歩いていた時の事。

前から歩いてきた、少々お肌の色が濃いめの中年女性が、いきなり道にかがみこみ、何かを拾い上げる様子。立ち上がった女性の手には、ぴかりと光る大き目の金色の指輪。

女性は、私と主人にむかって、「何てラッキーなの!金の指輪を拾ったわ!」と英語で話してきました。そして、「あなた達にあげようか?欲しいでしょ?」ちょっとウサンクサイと思った私達は、「要らない。あなたがキープすればいい。」と足早に立ち去りました。

200メートルも行かぬうち、また、別の女性が出現し、かがみこみ、指輪を掲げて、「あら、私ったらラッキーね!」と始めました。

これは、どうやら最近流行の、詐欺か、スリの手法に違いない。「あなた達、英語喋る?」と指輪をかかげ、接近してきた女性に「ノー」と言って、再びそそくさと退散。振り向くと、彼女は、即座に別の通行人に指輪をちらつかせていました。

帰国してから、インターネットで調べて見ると、ありました。金の指輪を拾ったふりをする女性の話。相手が、指輪を欲しいというと、金を請求したり、また、つけてあげると、手に触って、時計を盗んだり、ポケットの内容物を盗んだりするそうです。以前は、ルーブル周辺で、相手の体にソフトクリームをぶつけて、洋服を拭いてあげるふりをして、財布を抜くというスリが沢山いたという話が徘徊していましたが、今のトレンドは、金の指輪女です。ご注意あれ。
ルーブル美術館は2回目です。前回も感じたのですが、この美術館は、ロンドンのナショナル・ギャラリーと大英博物館を合体させた様なところだと。

モナリザを含む有名絵画はもちろん、エジプト、ギリシャなどの古代の物品、彫刻類が集結。広いので、一日かけて歩き回ります。最後は足を引きずるようにして。美術館めぐりも体力が勝負。美術館を去る時には、くたびれ果てて、日が暮れて、となるのです。

ルーブルの有名彫刻の配置場所はとても気が利いていると思います。視覚的インパクトが強いドラマチックな場所に飾ってあるので、思わず「おー!すごい!」

それにしても、モナリザの人気ぶりはたいしたものです。「モナリザはこちら」の矢印を追って、他の観光客とともに、ぞろぞろと歩き、カルト宗教の聖地へでも巡礼に行く気分。絵の前も、バシバシ写真を撮る人でいっぱい、じっくり見るどころの騒ぎではないのです。という私も、それでは、とばかりに写真を撮ったのですが、こんなにぼけちゃうのだから、絵葉書買ったほうが良かったんでしょうけれどね。

モナリザとは対照的に、このヨハネス・フェルメールの「レースを編む女」の前には、意外な事に、ほとんど人がおらず、ゆっくりと鑑賞できたのです。特別展でフェルメール展などがあると、押すな押すなの人ごみで、小さな絵が人の頭で良く見えない、などという騒ぎになるのでしょうに、ここでは、ひっそりと人目を避けて隠れており、「仕事に集中できるように、私がここにいるのは内緒にしてね。」と言っているようでした。


この他、とりあえず今回は、大好きな18世紀フランス画家、シャルダンの絵だけはしっかり見よう、と心してルーブルへ踏み込みました。

当時のフランス絵画の題材として、最も高く評価されていたのは、英雄的、道徳的意義も高いとされた歴史、聖書、神話などを基にしたもの。静物画、人物画、風景画の類は、画題としては劣るものとされていました。

シャルダンは、その劣るとされる静物画で画家としてのスタートを切ります。また、フランスでも人気となってきていたオランダ17世紀の日常を描いた絵画に影響を受け、日常の1シーンから取った室内人物画も手がけ、成功した画家です。

おちついたトーンで描かれたシャルダンの静物画・・・普通の台所にありそうななべや食材、食器や道具類に、それは簡素な美しさを感じます。日常シーンでは、絵の中の人物は、往々にして仕事や物事に没頭し、空間に漂うのは、静けさ。20世紀フランス絵画の巨匠、セザンヌが影響を受けた画家だというのも納得。

シャルダンによる、女性がいる室内画は、フェルメールにも似た雰囲気を出していますが、当時のフランスでは、フェルメールはまだ知られていなかったそうです。私にとっては有難い事に、フェルメールの「レースを編む女」同様、シャルダンの絵の回りにも、ほとんど人がいなかったので、比較的小さめのサイズの彼の絵を、近寄ってゆっくり見ることができました。当時の油絵の白絵の具には、鉛が使われていたそうで、白を良く使っていたシャルダンは、後年、鉛の影響で目の炎症による視力の衰えを起こし、以後はパステルに切り替え、パステルの自画像なども残しています。

「絵が語りかけてくる」などというのは、ちょっとこそばゆくなるような常套句かもしれませんが、シャルダンの絵を見ていると、大声で叫んでいる様な派手な絵とは違った意味で、その静かな美しさが、ささやき声として心に広がっていく気がします。

Jean Baptiste Siméon Chardin (1699-1779)
上の絵:The Copper Water Urn
下の絵:The Return from Market

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