ダニエル・デフォーのグレートブリテン島全土旅行記


 ダニエル・デフォー(Daniel Defoe 1660?-1731)は、一般にロビンソン・クルーソーの著者として有名ですが、彼の筆によるものは多岐にわたり、数々の政治的パンフレット、経済・実業関係のもの、当時起こった事件のルポルタージュ、そして、クルーソーに代表される小説などなどを精力的に書いています。

デフォーの同時代人であり、「ガリバー旅行記」の著者の、ジョナサン・スウィフトが、創作活動とは別に司祭としての職を持っていたため、食べる事に必死になる必要がなかったのに比べ、デフォーは、とにかく、食べるためにも書かねばならず、さらには、執筆業以外にも様々な事業にかかわりを持ち、破産もしています。残した作品群からもわかるように、色々な物事に鼻を突っ込み、指を突っ込み、生活上の必要性にかてて加えて、あり余る好奇心、活動力も、彼を動かしていたのでしょう。

さて、そんなデフォーによるイギリス全土の旅行記である、

A Tour thro' the Whole Island of Great Britain, divided into circuits or journies

直訳は、「巡回・小旅行に分かれたグレートブリテン島全土の旅」

という3冊に及ぶ著作は、1724年から1727年にかけて出版された、現代で言う、紀行文学の先駆けです。以前のブログポストでも、何回か言及したことのある著作です。ウィキペディア英語版の、この書に関する記述によると、18世紀には、この書は、ロビンソン・クルーソーを除けば、デフォーの作品群の中で、最も人気で、経済的にも成功した著作であったということです。が、今では、クルーソー、モル・フランダーズ、ペストなどの小説に比べ、著名度は下がっています。日本で、翻訳が出版されているかどうかすら、私は知りません。

この書の皮切りである、イースト・アングリア地方をめぐる時、彼は、1722年4月(ちょうど、今から300年前!)に、出発したという事を書いていますが、内容は、彼自身も書いているように、1回の旅行だけで得た情報ではなく、過去の色々な旅行中の見聞内容、または、人から聞いた話なども盛り込まれているようです。ですから、「巡回・小旅行に分かれた」と、副題につけて、ぜーんぶ一気に回ったわけじゃないんだよ、と付け足しています。デフォーは、スパイとして諜報活動を行っていた事もあり、また自分が関わった政治活動、事業などのため、当時の人間としては、かなりよく、スコットランドを含む、イギリス国内を動き回り、見て回っていたようですので、そうした過去の体験も大いに盛り込まれているのでしょう。

私は、現段階で、この本の中では、自分の住んでいるイーストアングリアについて書かれた1冊目の最初の部分のみしか読んでいません。よく知っている、なじみのある地名が出てくる面白さですね。それが、300年前の人間によってどう描かれているか、何が変わったか、何が変わっていないか、どういう印象をうけていたか、などがとても興味深く、この部分は、わりと何回も読み直したりしています。そのうちに、他の地域の事も全部読んでみたいと思っています。最初から最後まで読むというより、どこか新しい地を訪れるとき、その部分だけ読んでみる、とか、興味がわいた地域の部分を読んでみる、とか、そういう読み方になると思いますが。

以前、19世紀中ごろに出版された、ブラッドショーのガイドブックを持って、イギリスを電車で旅行するというテレビ番組を紹介しましたが、似たような感じで、さらに時代がさかのぼる、デフォーを抱えて、旅行してみるのも一興でしょう。

もっとも、こうした旅行記やガイドブックでなくとも、昔書かれた小説の舞台となった地を訪れるとき、その小説に描かれている当時の風習や風景を思い浮かべながら歩くというのも、同じ感慨を与えてくれるでしょう。その場所を二重に味わえる。

さて、冒頭の部分だけを、ここに少し訳して載せておきます。

私は、旅を終える予定の地から旅に出る。要するに、シティー・オブ・ロンドンから出発する。よって、シティーに関しての記述は、最後、つまり、私の南部への旅の終わりの方にする事となろう。この旅を、周遊(circle)ではなく、巡行(circuit)と称する事が多々あると思う。そこで、題名には、「circuits」という複数形を用いた。というのも、この旅路は、多くの、実に何回にもわたったものであり、すべての行路を一回でやったという印象を避けたいからである。注目するに値すると思った全てについて、よく情報を仕入れておくに越したことはない。

こうして見聞した物事を取り込むため、大いに注意を払い、それらの物事を、より多く見る機会を得たことにより、より詳細なる描写ができる、ということが判明するのを期待したい。

私は、1722年4月3日に出発した。最初は東へと。・・・・・・

と、彼の旅行記は、2012年のオリンピックが開かれた地で、デフォーの時代には村と称されたストラトフォードから始まります。

デフォーの「注目するに値すると思った全てについて、よく情報を仕入れておくに越したことはない。」というスタンスは、当然と言えば、当然ながら、今のSNSや、インターネットで時に遭遇する、怪しげな情報と比べて考えると、とても新鮮なものがあります。

参考までに、英語での全文は、下のリンクから。

https://www.visionofbritain.org.uk/travellers/Defoe

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これを書いてから、ふと松尾芭蕉(1644-1694年)の「おくのほそ道」が頭をよぎりました。

芭蕉は、デフォーより年長で、先に亡くなっていますが、ほぼ同時代人。彼が東北を巡ったのは、1689ー1691年。おくの細道の出版は芭蕉が死んでからの1702年という事。目的こそ違え、それぞれの住む島国を歩き回り、後の世の紀行文の先駆となったわけです。今でも、この周辺を旅する人は芭蕉の目で物を見たりする。デフォーの歩いたイギリスを歩いてみたいと思うのと同時に、いつかもう一度、芭蕉の「おくの細道」巡りもしてみたいところです。平泉などは修学旅行で行ったのですけれどね、子供の時なんて、なーんにも考えてませんでしたから。

まさに、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」です。

コメント

  1. Miniさん
    ちょうど300年後にこの作品に巡り合えるなんて、とても嬉しいです。全文のリンクもありがとうございました。Miniさんの訳は日本語も美しくて!
    奥の細道を巡る旅、魅力的ですよね。私もいつか行ってみたい。
    私は、故郷が四国なので、少しずつお遍路をしています。出来るだけ歩いてまわりたいので、一度にというのは難しく、「巡回、小旅行に分かれた」という感じです。

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    1. 自分自身、全部読んでいないので、大したことは書けませんでしたが・・・。
      お遍路は、私もいつかやってみたいですが、夢で終わりそうな気がします。小旅行に分けて、じわじわ楽しんでください。

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