非国教徒たちの眠るバンヒル・フィールズ墓地


 シティー・オブ・ロンドンから少しだけ北上した場所にあるロンドンのイズリントン地区にバンヒル・フィールズ(Bunhill Fields)はあります。

今ではオフィスビルなどに囲まれたこじんまりとしたこの緑地は、国が強いるイングランド国教会のあり方に反対したプロテスタントの非国教徒達が眠る墓地として知られています。いうなれば、体制への反抗者たちの墓。もっとも、非国教徒と一括りに言っても、その中で宗派も意見も違う人たちなどもいたでしょうが、それはさておき。過去の著名な人物たちも何人か埋葬されている場所です。

バンヒルという名は、ボーン・ヒル(Bone Hill)が崩れた名前だと言われており、1549年にセント・ポール大聖堂の納骨堂が撤去された際に、内部の人骨を一挙にここに埋めたため、こんもり丘のようになったという事に由来するようですが、それ以前の古い時代にも埋葬に使われていたのでは、という説もあるようです。

骨捨て場というより、本当の意味での墓地として使用され始めるのは、黒死病がロンドンを襲った1665年の事だそうですが、実際、黒死病で死亡した人々がここに埋葬されたという記録はないようです。また、イングランド国教会が正式にこの地を聖別(consecrate)しなかったため、非国教徒たちが埋葬されるようになってゆき、イングランドのピューリタンたちの墓地として知られるようになります。

バンヒル・フィールドは1853年に、「これで満員御礼!」と以後の埋葬が止められる事となります。実際のところ、後数年は、数えるほどの例外はあったようですが。合計12万人以上がこの比較的狭い場所に埋葬されているのだそうですから、それは確かに満員御礼。

さて、ここに埋葬されている著名人たちを数名上げると、

ジョン・バニヤン:「天路歴程」作者

ダニエル・デフォー: 「ロビンソン・クルーソー」作者

ウィリアム・ブレイク: 画家・詩人

スザンナ・ウェスレー: メソジストと呼ばれるプロテスタントの一派を形成したジョン・ウェスレーの母、今は博物館としても公開されているジョン・ウェスリーの家とチャペルは、墓地から道路を挟んだ向かいにあります。

などなど。

一番目につくのは、やはり、オべリスクのあるダニエル・デフォーの墓。一文無しで亡くなった彼にしては立派ではござらんか、という印象ですが、これは1870年に建てられたもの。

バンヒルでの埋葬が終了となった数年後に、彼の以前からあった質素な墓石は雷に打たれ壊れてしまい、とある新聞の編集者が「クルーソー」を書いた彼のために、もっと良い墓石を作ってあげようではないか、と子供に呼び掛けるキャンペーンを行い、国内の子供たちからお小遣い程度の寄付金を募った結果、できあがったのがこれです。今でいうクラウド・ファンディングですね。


ちょっと写真では読みにくいですが、オべリスクの下の部分に、

当墓碑は、ダニエル・デフォーの埋葬場に、それにふさわしい記念碑を建てようと、イングランドの少年少女たちへ「クリスチャン・ワールド」新聞が訴えた成果である。1700人の力を合わせた貢献を表す。1870年9月

と刻まれています。



こちらはウィリアム・ブレイクの墓。シンプルですが、なかなかエレガント。これは、1920年代に作り直されたものだそうです。


墓石の上に、誰かが、小さな梨を乗せていったようです。



ウィリアム・ブレイクの詩に関する追記 (5月12日著)


これを書いた直後に、芥川龍之介の「動物園」という、それぞれの動物についての短い印象を綴った短編を読み、その中の虎の部分にこんなことが書かれていました。

「・・・ウィリアム・ブレエクの有名な詩にうたはれたお前。虎よ、お前は最大のコスモポリタンだ。」

私は詩などには疎く、ブレイクの詩というと、聖歌エルサレムの歌詞くらいしか思い当たらず、芥川の言うこのウィリアム・ブレイクの有名な詩すら知りませんでした。彼の版画は色がきれいで、漫画チックなのが好きで、イギリスに始めて来たころ、テートブリテン美術館であったブレイクの展覧会などにも足を運んだのですが。

さて、この虎の詩を探してみると、「The Tyger」という昔の綴りを使ったタイトルのものが確かにありました。虎よ、お前のような動物を一体だれが創造したのか・・・その創造主は、羊を作ったものと同一であるか・・・のような内容の事を歌っています。全文は、英語のウィキペディアのこちらのページで読めます。上に載せたブレイクの虎のイラスト入りの文章も、このページから拝借しました。なお、エルサレムの歌詞と訳は以前のポストに書きましたので、それはこちらまで

ついでに、うちのだんなにも、「ブレイクの虎のポエムを知ってるか?」と聞いてみると、「タイガー、タイガー、バーニング・ブライト、ていうのなら知ってる。誰が書いたのかは知らない。ふうん、ウィリアム・ブレイクなの。」という返事。文学っ気が全くない、うちのだんなが知っていたということは、やはり有名なんだな、と改めて思いました。

以上、まったくの余談となりましたが、ブレイクの墓の事を書いた直後に、芥川のこんな記述に出くわした偶然も捨てておくのはもったいないかと、ここに記しておきます。

コメント

  1. Miniさん
    デフォーから墓地つながりでブレイクだなんて!私にとって「エルサレム」は中学生の頃、擦り切れるほど聴いたエマーソン・レイク&パーマーの「恐怖の頭脳改革」(何というアルバム名でしょう!)のそれです。イギリスの人たちの大切な歌だったのですね。
    「虎」は、古本市で買い求めた土居光知訳の「ブレイク詩集」(昭和28年出版)に載っているのを見つけました。「虎よ、虎、輝き燃える...」ご主人様の覚えてらした部分はこんな邦訳でした。その古い詩集の裏表紙に、前の持ち主によってブルーの細字の万年筆の文字でこう書かれていました。
    1955年4月7日
    Mis.◯◯ヨリ贈ラル
    この恋人たちも「虎」を読んだでしょうか。
    Miniさんの文章を読むと色々なことを思い出します。
    長々と失礼いたしました。

    返信削除
    返信
    1. ブルーの万年筆の前の持ち主の走り書き、いいですね。どんな人たちだったかいろいろ想像できて。小説家なら、そんな事から、面白い短編に仕立てられそうな気がします。
      「恐怖の頭脳改革」全く知りませんでした。あとでインターネット上であるか探して聞いてみます。

      削除

コメントを投稿