カフカ的悪夢

 昨日の早朝のラジオをベッドの中で聞いているとき、米の歌手、ブリトニー・スピアーズがついに、彼女の人生をがんじがらめにしていた父親を後見人から解除することが、ロサンゼルス裁判所に認められた・・・というニュースが流れました。その報道の中で、「(これは)スピアーズさんの自由と、父親により、彼女の人生に強要されていたカフカ的悪夢を終わらせる、必要であり、重要な意味を持つ第一歩」(a necessary first and substantial step towards Ms Spears's freedom and ending the Kafkaesque nightmare imposed upon her by her father)  という、彼女の弁護士の言葉が引用されていました。

 Kafkaesque(カフカの様な・カフカ風の)という言葉はわりとよく聞きます。カフカは、もちろん、ある朝、目が覚めると巨大な虫に変わってしまっていた主人公が登場する「変身」などの小説で有名な、フランツ・カフカの事で す。カフカエスクは、彼独特の世界が放つ、不条理な、常識では測りかねない、まるで意味を成さないような苦境を形容するときに登場する表現です。この場合のように、往々にして、「ナイトメア、悪夢」という言葉と一緒に使われる事が多いです。

ちなみに、「-esque」は、もともとはフランス語から来た接尾辞(suffix)で、名詞や人の名前のあとにくっつけて、xx風、xxスタイル、xxのような・・・といった意味の形容詞になります。綴るときには、基本的に間にハイフンは入れません。「-like」などと似た感じですね。Ladylikeで、淑女風。Christlikeで、キリストのような。ついでながら、ドイツ語由来の接尾辞-ishも、「・・・のような」の意味を持つので、ニュアンスは似てます。foolishは「ばかみたいな」。boyish「少年風」なんてのは、「彼女はボーイッシュな髪形が似合う」なんて感じで、半分日本語にもなってますね。

エスクがつく日本人にもおなじみの言葉には、アラベスク(Arabesque)があります。Arab + esqueで、アラブ風、アラブ式。

グロテスク(grotesque) なんてのも、お仲間。grot(to)は洞窟のことですが、洞窟のような、から不均等な、奇妙な、気味の悪い、などのような現在の意味に至ったようです。

ピクチャレスク(picturesque)は、風景画のような、絵のような、の意味。

あとはstatuesque(スタチュエスク)という言葉も思い浮かびます。彫像のような、で、すらりと背が高く、均整がとれた体をしている人を描写するときにつかえる言葉。

カフカ同様、特有のスタイルと雰囲気、世界観を持った作家や、芸術家、音楽家または、個性の強い有名人の名前にエスクをくっつけて、これはxxさん風だね、とやることができます。でも、個人名を使ったエスク言葉の中では、このカフカエスクが一番よく耳にする気がします。それだけ、強烈な印象を醸し出す作風だからでしょうか。ハイフンはつけないと書きましたが、あまり使用されないような人や物事の後ろに、自分で勝手に、「何とか風」となるようにエスクなどをくっつけてみたい場合には、ハイフンを入れたほうが、それとわかって無難のようです。これは-likeでも -ishでも同様。ただし、イギリス、ビクトリア朝の人気作家、チャールズ・ディケンズに関しては、「ディケンズの小説のような」という際、Dickensian(ディケンジアン)というのが常です。特に貧民がひどい状態で住んでいるような様子を描写するのに、「これじゃ、まるで、ディケンジアンだ。」ってな感じで。

私は、カフカは、青春時代、やはり通常通り、日本語訳の「変身」から読み、その後、「審判」「城」と読みました。その中でも、「審判」は、最も記憶に残っている外国小説のひとつです。特に、理由もわからず、主人公、ヨーゼフ・Kが、いきなり逮捕される冒頭シーンと、石切り場で犬のように心臓をえぐられて殺される(処刑される)直前、いくつもの思いがヨーゼフ・Kの頭の中を、叫びのように交差する最後のシーンは、強烈。 「え、そんな!」と思いながら、この部分を何度も読み返したのを覚えています。嘘のような出来事が、まるで当たり前のように、淡々とつづられている、その違和感も面白かったです。

カフカの審判を、私の頭で画像化すると、いつもルネ・マグリットの絵が思い浮かびます。わけもわからないまま、ヨーゼフ・Kを逮捕に来た男たちが、マグリットの描く、無表情のボーラーハットを被った男たちのイメージとダブるのです。なんのためにそこにいるのか、なぜ、そんな恰好をしているのか、なぜ、マネキンのように無表情なのか・・・そんな不思議と不気味の雰囲気がダブるのです。

 また、冒頭のシーンで、とても頭に焼き付いている一節は、その男たちが、気が付くと、ヨーゼフのための朝食を勝手にむしゃむしゃ食べていた、という部分で、ただそれだけなのに、なぜか、とてもシュールに感じ、これが、マグリットの「魔法使い」というこの絵を連想させるのです。 そんなこんなで、私の中では、「審判」のビジュアルはMagritte-esqueです。 

審判(英語の題名はThe Trial)は、オーソン・ウェルズによって1962年に映画化されていています。ヨーゼフ・Kは「サイコ」のノーマン・ベイツ役のアンソニー・パーキンスで、彼の神経質そうな顔は、どことなくカフカにも似ている気がして、白黒画面に長く引く影などに、薄気味悪さが漂っていますが、やっぱり原作のほうがいいな、と感想を持ちましたし、セリフがやたら多くて、見ていて疲れた記憶もあります。あの緊迫のラストが、少々変えてあったのも残念。また、オーソン・ウェルズの解釈より、私の持つマグリットのイメージを保っていたかったからかもしれません。

考えてみれば、民主主義がしっかり機能していない国では、ヨーゼフのように、理由もなく、または、言いがかりのような理由で、逮捕、拘束または処刑されてしまうような事実が、現実のものとして起こっているわけです。

また、ねじが飛び、車輪がはずれ、このままで走り続けられるのかと思うような現在のイギリス社会のゆくえや、地球温暖化を含めた、最近の世界のニュースを聞いて、カフカ的悪夢はもう、そこら中に起こっていて、そのうち、全世界がそれに飲み込まれるのではと、感じる人もいるかもしれません。それでも、石切り場で、ナイフが落ちてくるのを待つしかない状態になった、気の毒なヨーゼフと違い、まだ、助かる方法はある、まだ、なんとかできる、何とかしてほしい。

 青空文庫のカフカの審判

https://www.aozora.gr.jp/cards/001235/card49863.html

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