ウィリアム・ティンダルと聖書の英語訳
Did you know that Thomas a Becket was canonized as a SNAKE? Rose Bell says he was ... also that William Tyndale WROTE the New Testament.
トマス・ベケットが「スネーク(蛇)」として崇められたっていうのは知っていた?ローズ・ベルは、そうだと言い張るのよ。それから、ウィリアム・ティンダルは、新約聖書を書いたんだって。
これは、カナダのプリンス・エドワード島を舞台にした「赤毛のアン」シリーズの第2冊「Anne of Avonlea」(邦題:アンの青春)からの引用。学校で教えるようになったアンが、子供たちが、大真面目でおかしな事を言うので、教えるのはとても楽しい、と喋るくだりです。子供たちの言う、その、おかしな事のいくつかを上げているのですが、カンタベリー大主教であった、トマス・ベケットは、暗殺された後、Saint(聖人)と定められたのを、Snake(蛇)となったと信じ、また、聖書を初めて英語に翻訳したウィリアム・ティンダルを、聖書を書いた人物と勘違いした子供がいた・・・という話です。
日本でも根強い人気の「赤毛のアン」ですが、これを始めて読む時、ウィリアム・ティンダルが一体何者かを知っているティーンエージャーは、日本では、きわめて少ないのではないでしょうか。アンが、学校で教えていたのは、彼女が16~18歳の時と、まだかなり若い設定ですから、当時のカナダのティーンエージャーは、ウィリアム・ティンダルの名は、トマス・ベケットと並び、知っていて当然のような存在だったのでしょうが。
イギリス人、ウィリアム・ティンダル(William Tyndale 1494~1536年)は、亡命先のアントワープで、火刑となります。彼の罪は・・・聖書を英語に翻訳したこと。
チューダー朝のイギリスにおいては、聖書と言えば、ラテン語で書かれ、王族貴族、教会関係者、学者等の、エリート階級のみしか理解できないものでした。ラテン語を解しない一般のイギリス人は、教会や神職者に教えられ、伝えられた事を、鵜呑みにするのみ。カソリック教会を通しての教えは、一部、実際は聖書に含まれていない事項もあり、また、全民が、教会の教えに従い自分たちの身分をわきまえた行動を取る、という意味で、一般人が聖書が読めない、というのは、エリート階級にとっては、好都合な事であったわけです。よって、ウィリアム・ティンダルの時代は、聖書を一般人のわかる英語に翻訳するという事は、死罪に値する犯罪。
12歳の時から8年間、オックスフォードで学び、その間、一般市民が、教会や聖職者の口を通してのみ、神の言葉に触れるというのは、おかしいと感じ始めるティンダル。そして、仲介者を通さずに、個々人が直接、神の言葉を理解できるための、英語の聖書の必要性を感じ始めるのです。また、聖書の研究もラテン語を通してでなく、それが書かれた最初の言語・・・新約聖書の場合は、ギリシャ語で理解し読む事をはじめ。
一時は、故郷のグロスターシャー州で聖職者となったものの、現存のカソリック教会のあり方に対する不満を声にするようになります。折りしも、ドイツでマルティン・ルター(英語発音はマーティン・ルーサー)が、カソリック教会に対して宣戦布告、宗教改革を引き起こし、さらには、聖書をドイツ語へ翻訳していますから。
聖書の英語訳の必要性を更に強く感じるようになったティンドルは、ロンドンへ。ロンドン主教に面会をし、英語訳の話を持ちかけようとしたものの、保守的なロンドン主教に睨まれるだけに終わり。ルターの引き起こしたプロテスタントの嵐が吹き始めたヨーロッパの事情も手伝い、ロンドンは、カソリック教会の権威に挑戦するような、異端を糾弾するためのスパイも多く徘徊。身の危険を感じたティンドルは、1524年、ロンドンから船に飛び乗り、イギリスを去る事となります。
さて、このイギリス国内での異端、プロテスタントの糾弾の先頭に立っていたのは、トマス・モア。「わが命つきるとも」(A Man for All Seasons)などの映画などの影響で、人道的で、気高くも、モラルのある人間・・・のイメージ強い人ですが、ローマ法王を長とする、カソリック教会の制度と組織を非常に重要視していた人物である上、万人が、聖書に何が書かれているかわかるようになると、人それぞれ、自分自身の解釈を行い、統制がとれなくなり、カソリック世界、ひいては、国家が混沌に陥ると信じていたという事。よって、マルティン・ルター的プロテスタントの傾向がある人間、また、聖書を英語に翻訳しようなどというティンドルなどの様な人間にとって、トマス・モアは、非常に恐るべき敵であったのだそうです。スパイを使って異端者を狩り出しては、拷問処刑も、平気で行ったようなので。ドイツからの商人が多く出入りする、ハンザ同盟の本部があったテムズ川沿いのスティール・ヤードも、トマス・モアの指示で、捜査を受け、そこで発見された、大陸から密輸されたルターのドイツ語版聖書などが、没収され燃やされた事などもあったそうです。
話をティンドルへ戻し。ロンドンを去った彼は、まず、ドイツへ向かい、身を隠しながら、ギリシャ語から英語への新約聖書の翻訳に専念。目的は、イングランドの小作人の少年でも理解できるような、英語訳聖書の出版。危険を承知で、印刷を引き受けてくれる出版業者をコロンで見つけたものの、異端探しのスパイによって出版業者が捜査を受け、ティンドルは命からがら、脱出。別の場所にて、1526年、ついに完成した英語の新約聖書を秘密出版。何千ものコピーが、イギリスへ密輸されます。禁本であったものの、イギリスの商人や富裕層の間で、秘密のベストセラーになったとか。ただし、発見されたものは燃やされ、そのためか、このティンドルの英語の新約聖書の初版の完璧なものは、ドイツにひとつ残るのみなのだそうです。セント・ポール寺院にも一冊あるのだそうですが、完璧なものではないのだそうで。
ティンドルの翻訳聖書は、トマス・モアをさらに怒らせ、2人はこの後、宿敵として、出版物でちゃんちゃんばらばらの火花を散らすのだそうです。モアは、ティンドルの友人達で意見を同じくする者達も逮捕、尋問、処刑。そうこうするうちに、トマス・モアの身を滅ぼすきっかけとなる事件・・・ヘンリー8世がアン・ブリンに惚れ、妻キャサリンとの結婚の無効を、ローマ法王に申請し、ローマ法王がこれを拒絶する・・・という事態が起こるわけです。
この頃には、ヘンリー8世の右腕となっていたトマス・クロムウェルは、トマス・モアと対照的に、ティンドルの意見に同情的であったという事。トマス・クロムウェルとアン・ブリンの影響で、ヘンリー8世は、ティンドルに「許してやるから、イギリスへ戻れ」という態度を見せる。1530年に、アントワープに身を潜めていたティンドルに、トマス・クロムウェルが、このヘンリー8世のメッセージを伝えるために使者を送り、説得しようとするものの、ティンドルは、「王が、英語聖書の出版を許してくれない限り、戻らない。」と頑なに拒否。これに対して、ヘンリー8世は「そんな事できん。」よって、トマス・クロムウェルの和解工作は破綻。同年に、ティンドルは、今度は、旧約聖書の最初の5書を、原典のヘブライ語から英語へと翻訳を行っています。
1534年には、ヘンリー8世は、ローマ法王の代わりに、イギリス国内では、自分が教会の長となる事を宣言(首長令)。そして、この首長令を是認する事を拒絶したトマス・モアは、やがて逮捕され、ロンドン塔投獄の後、1535年に打ち首。
こうして、イングランドでの一大ライバルが消えたものの、ティンドルは、ティンドルで、カソリックの神聖ローマ皇帝カール5世(英語発音は、チャールズ5世)の支配下にあったアントワープにて、カール5世の異端スパイにより発見、逮捕され、投獄。何とか、これを助け出そうとしたトマス・クロムウェルの努力も拉致開かず、ティンドルは、1536年の10月、火あぶりの刑となるのです。
火が燃やされる前に、あまり苦しまぬ様にという考慮から、上の版画に見られるように、先に首を絞めて殺してから・・・という処置がとられるのですが、絞首の後、一時的に気を失っただけであったティンドルは、火刑の途中で気を取り戻してしまったそうなのです。体が燃えるのを、じっと絶えながら、最後に口にした言葉は、「神よ、イングランド王の眼を開きたまえ。」
皮肉にも、ヘンリー8世は、1535年、トマス・クロムウェルの薦めもあり、英語の聖書をついに出版。このヘンリー8世の聖書の訳者としては、別の人物の名が載っているそうですが、多くの部分をティンドルの翻訳から頂戴しているという事。1538年には、このヘンリー8世の英語の聖書は、イングランド内の全ての教会に置かれるよう手配されます。ああ、ティンドル、もうちょっと長く、上手に隠れて逃げ延びていれば、全民に理解できる聖書をという彼の夢が叶うのが見れたのに。
聖書の英語訳の中で、一番名高く、一番知られているものは、次世紀、1611年に、ジェームズ1世の掛け声で作成された、「キング・ジェームズ・バイブル」です。うちのだんなの両親の家からもらってきた、新旧合わせた分厚い聖書も、この「キング・ジェームズ・バイブル」なので、当ブログで、聖書からの引用をしてある際は、全て「キング・ジェームズ・バイブル」からのものです。この聖書は、52人の学者によって訳された、という事になっている様ですが、蓋を開けると、新約聖書の84%、旧約聖書の75%は、ティンドルの翻訳から頂いたものなのだそうです。
現在でも、毎年の様に、セルフィーなどの新語が生まれていますが、過去、個人で一番数多くの新語を英語という言語にもたらしたのは、ウィリアム・シェークスピアであったと言います。一方、過去、一番多くの新しい熟語を英語にもたらしたのが、聖書の翻訳という媒体を使ったウィリアム・ティンドルなのだそうです。
*****
ヒラリー・マンテル(Hilary Mantel)による、ヘンリー8世時代の、トマス・クロムウェルを主人公とした小説、「ウルフ・ホール Wolf Hall」を、BBCがドラマ化し、6回もののシリーズとして、現在放送中です。これが、とても良くて、毎週楽しみ。この「ウルフ・ホール」放送に関連して、ヘンリー8世時代の歴史ドキュメンタリーも、いくつか放映され、その中に、ティンドルに関するドキュメンタリーもあり、今回、その詳細を忘れてしまう前に、と、ブログ記事としました。
「ウルフ・ホール」では、いままでは、聖人のごとく描かれていたトマス・モアの闇の面が描かれているのが興味深いです。また、対して、どちらかというと、いつも悪役の扱いだったトマス・クロムウェルの人間的な部分にも逆に脚光があたって。人間、やはり善悪白黒で判断できない、複雑な混合物なのじゃな、と改めて感じます。また、モアにしてみれば、異端を厳しく糾弾し火刑する事で、神に仕えている、よって、良い事をしていると信じていたのでしょうし。宗教が人間生活の根本にある社会での、人間のモラルは、現在の西洋諸国の感覚とはかなりかけ離れたものがあります。しかも、大昔の人間の事、本人たちの取った行動、いくつかの本人他人の手記から、その人物が実際どんな人間であったか、というのを判断するのには、学者により、意見の相違も出る事でしょう。いずれにしても、この時代を振り返り、政治と宗教と法が、分かれて存在する社会に生きられて、つくづく良かったなと思うのです。
トマス・ベケットが「スネーク(蛇)」として崇められたっていうのは知っていた?ローズ・ベルは、そうだと言い張るのよ。それから、ウィリアム・ティンダルは、新約聖書を書いたんだって。
これは、カナダのプリンス・エドワード島を舞台にした「赤毛のアン」シリーズの第2冊「Anne of Avonlea」(邦題:アンの青春)からの引用。学校で教えるようになったアンが、子供たちが、大真面目でおかしな事を言うので、教えるのはとても楽しい、と喋るくだりです。子供たちの言う、その、おかしな事のいくつかを上げているのですが、カンタベリー大主教であった、トマス・ベケットは、暗殺された後、Saint(聖人)と定められたのを、Snake(蛇)となったと信じ、また、聖書を初めて英語に翻訳したウィリアム・ティンダルを、聖書を書いた人物と勘違いした子供がいた・・・という話です。
日本でも根強い人気の「赤毛のアン」ですが、これを始めて読む時、ウィリアム・ティンダルが一体何者かを知っているティーンエージャーは、日本では、きわめて少ないのではないでしょうか。アンが、学校で教えていたのは、彼女が16~18歳の時と、まだかなり若い設定ですから、当時のカナダのティーンエージャーは、ウィリアム・ティンダルの名は、トマス・ベケットと並び、知っていて当然のような存在だったのでしょうが。
イギリス人、ウィリアム・ティンダル(William Tyndale 1494~1536年)は、亡命先のアントワープで、火刑となります。彼の罪は・・・聖書を英語に翻訳したこと。
チューダー朝のイギリスにおいては、聖書と言えば、ラテン語で書かれ、王族貴族、教会関係者、学者等の、エリート階級のみしか理解できないものでした。ラテン語を解しない一般のイギリス人は、教会や神職者に教えられ、伝えられた事を、鵜呑みにするのみ。カソリック教会を通しての教えは、一部、実際は聖書に含まれていない事項もあり、また、全民が、教会の教えに従い自分たちの身分をわきまえた行動を取る、という意味で、一般人が聖書が読めない、というのは、エリート階級にとっては、好都合な事であったわけです。よって、ウィリアム・ティンダルの時代は、聖書を一般人のわかる英語に翻訳するという事は、死罪に値する犯罪。
12歳の時から8年間、オックスフォードで学び、その間、一般市民が、教会や聖職者の口を通してのみ、神の言葉に触れるというのは、おかしいと感じ始めるティンダル。そして、仲介者を通さずに、個々人が直接、神の言葉を理解できるための、英語の聖書の必要性を感じ始めるのです。また、聖書の研究もラテン語を通してでなく、それが書かれた最初の言語・・・新約聖書の場合は、ギリシャ語で理解し読む事をはじめ。
一時は、故郷のグロスターシャー州で聖職者となったものの、現存のカソリック教会のあり方に対する不満を声にするようになります。折りしも、ドイツでマルティン・ルター(英語発音はマーティン・ルーサー)が、カソリック教会に対して宣戦布告、宗教改革を引き起こし、さらには、聖書をドイツ語へ翻訳していますから。
聖書の英語訳の必要性を更に強く感じるようになったティンドルは、ロンドンへ。ロンドン主教に面会をし、英語訳の話を持ちかけようとしたものの、保守的なロンドン主教に睨まれるだけに終わり。ルターの引き起こしたプロテスタントの嵐が吹き始めたヨーロッパの事情も手伝い、ロンドンは、カソリック教会の権威に挑戦するような、異端を糾弾するためのスパイも多く徘徊。身の危険を感じたティンドルは、1524年、ロンドンから船に飛び乗り、イギリスを去る事となります。
さて、このイギリス国内での異端、プロテスタントの糾弾の先頭に立っていたのは、トマス・モア。「わが命つきるとも」(A Man for All Seasons)などの映画などの影響で、人道的で、気高くも、モラルのある人間・・・のイメージ強い人ですが、ローマ法王を長とする、カソリック教会の制度と組織を非常に重要視していた人物である上、万人が、聖書に何が書かれているかわかるようになると、人それぞれ、自分自身の解釈を行い、統制がとれなくなり、カソリック世界、ひいては、国家が混沌に陥ると信じていたという事。よって、マルティン・ルター的プロテスタントの傾向がある人間、また、聖書を英語に翻訳しようなどというティンドルなどの様な人間にとって、トマス・モアは、非常に恐るべき敵であったのだそうです。スパイを使って異端者を狩り出しては、拷問処刑も、平気で行ったようなので。ドイツからの商人が多く出入りする、ハンザ同盟の本部があったテムズ川沿いのスティール・ヤードも、トマス・モアの指示で、捜査を受け、そこで発見された、大陸から密輸されたルターのドイツ語版聖書などが、没収され燃やされた事などもあったそうです。
話をティンドルへ戻し。ロンドンを去った彼は、まず、ドイツへ向かい、身を隠しながら、ギリシャ語から英語への新約聖書の翻訳に専念。目的は、イングランドの小作人の少年でも理解できるような、英語訳聖書の出版。危険を承知で、印刷を引き受けてくれる出版業者をコロンで見つけたものの、異端探しのスパイによって出版業者が捜査を受け、ティンドルは命からがら、脱出。別の場所にて、1526年、ついに完成した英語の新約聖書を秘密出版。何千ものコピーが、イギリスへ密輸されます。禁本であったものの、イギリスの商人や富裕層の間で、秘密のベストセラーになったとか。ただし、発見されたものは燃やされ、そのためか、このティンドルの英語の新約聖書の初版の完璧なものは、ドイツにひとつ残るのみなのだそうです。セント・ポール寺院にも一冊あるのだそうですが、完璧なものではないのだそうで。
ティンドルの翻訳聖書は、トマス・モアをさらに怒らせ、2人はこの後、宿敵として、出版物でちゃんちゃんばらばらの火花を散らすのだそうです。モアは、ティンドルの友人達で意見を同じくする者達も逮捕、尋問、処刑。そうこうするうちに、トマス・モアの身を滅ぼすきっかけとなる事件・・・ヘンリー8世がアン・ブリンに惚れ、妻キャサリンとの結婚の無効を、ローマ法王に申請し、ローマ法王がこれを拒絶する・・・という事態が起こるわけです。
この頃には、ヘンリー8世の右腕となっていたトマス・クロムウェルは、トマス・モアと対照的に、ティンドルの意見に同情的であったという事。トマス・クロムウェルとアン・ブリンの影響で、ヘンリー8世は、ティンドルに「許してやるから、イギリスへ戻れ」という態度を見せる。1530年に、アントワープに身を潜めていたティンドルに、トマス・クロムウェルが、このヘンリー8世のメッセージを伝えるために使者を送り、説得しようとするものの、ティンドルは、「王が、英語聖書の出版を許してくれない限り、戻らない。」と頑なに拒否。これに対して、ヘンリー8世は「そんな事できん。」よって、トマス・クロムウェルの和解工作は破綻。同年に、ティンドルは、今度は、旧約聖書の最初の5書を、原典のヘブライ語から英語へと翻訳を行っています。
1534年には、ヘンリー8世は、ローマ法王の代わりに、イギリス国内では、自分が教会の長となる事を宣言(首長令)。そして、この首長令を是認する事を拒絶したトマス・モアは、やがて逮捕され、ロンドン塔投獄の後、1535年に打ち首。
こうして、イングランドでの一大ライバルが消えたものの、ティンドルは、ティンドルで、カソリックの神聖ローマ皇帝カール5世(英語発音は、チャールズ5世)の支配下にあったアントワープにて、カール5世の異端スパイにより発見、逮捕され、投獄。何とか、これを助け出そうとしたトマス・クロムウェルの努力も拉致開かず、ティンドルは、1536年の10月、火あぶりの刑となるのです。
火が燃やされる前に、あまり苦しまぬ様にという考慮から、上の版画に見られるように、先に首を絞めて殺してから・・・という処置がとられるのですが、絞首の後、一時的に気を失っただけであったティンドルは、火刑の途中で気を取り戻してしまったそうなのです。体が燃えるのを、じっと絶えながら、最後に口にした言葉は、「神よ、イングランド王の眼を開きたまえ。」
皮肉にも、ヘンリー8世は、1535年、トマス・クロムウェルの薦めもあり、英語の聖書をついに出版。このヘンリー8世の聖書の訳者としては、別の人物の名が載っているそうですが、多くの部分をティンドルの翻訳から頂戴しているという事。1538年には、このヘンリー8世の英語の聖書は、イングランド内の全ての教会に置かれるよう手配されます。ああ、ティンドル、もうちょっと長く、上手に隠れて逃げ延びていれば、全民に理解できる聖書をという彼の夢が叶うのが見れたのに。
聖書の英語訳の中で、一番名高く、一番知られているものは、次世紀、1611年に、ジェームズ1世の掛け声で作成された、「キング・ジェームズ・バイブル」です。うちのだんなの両親の家からもらってきた、新旧合わせた分厚い聖書も、この「キング・ジェームズ・バイブル」なので、当ブログで、聖書からの引用をしてある際は、全て「キング・ジェームズ・バイブル」からのものです。この聖書は、52人の学者によって訳された、という事になっている様ですが、蓋を開けると、新約聖書の84%、旧約聖書の75%は、ティンドルの翻訳から頂いたものなのだそうです。
現在でも、毎年の様に、セルフィーなどの新語が生まれていますが、過去、個人で一番数多くの新語を英語という言語にもたらしたのは、ウィリアム・シェークスピアであったと言います。一方、過去、一番多くの新しい熟語を英語にもたらしたのが、聖書の翻訳という媒体を使ったウィリアム・ティンドルなのだそうです。
*****
ヒラリー・マンテル(Hilary Mantel)による、ヘンリー8世時代の、トマス・クロムウェルを主人公とした小説、「ウルフ・ホール Wolf Hall」を、BBCがドラマ化し、6回もののシリーズとして、現在放送中です。これが、とても良くて、毎週楽しみ。この「ウルフ・ホール」放送に関連して、ヘンリー8世時代の歴史ドキュメンタリーも、いくつか放映され、その中に、ティンドルに関するドキュメンタリーもあり、今回、その詳細を忘れてしまう前に、と、ブログ記事としました。
「ウルフ・ホール」では、いままでは、聖人のごとく描かれていたトマス・モアの闇の面が描かれているのが興味深いです。また、対して、どちらかというと、いつも悪役の扱いだったトマス・クロムウェルの人間的な部分にも逆に脚光があたって。人間、やはり善悪白黒で判断できない、複雑な混合物なのじゃな、と改めて感じます。また、モアにしてみれば、異端を厳しく糾弾し火刑する事で、神に仕えている、よって、良い事をしていると信じていたのでしょうし。宗教が人間生活の根本にある社会での、人間のモラルは、現在の西洋諸国の感覚とはかなりかけ離れたものがあります。しかも、大昔の人間の事、本人たちの取った行動、いくつかの本人他人の手記から、その人物が実際どんな人間であったか、というのを判断するのには、学者により、意見の相違も出る事でしょう。いずれにしても、この時代を振り返り、政治と宗教と法が、分かれて存在する社会に生きられて、つくづく良かったなと思うのです。
コメント
コメントを投稿