ドゥームズデイ・ブック

これはかなり古そうだなと、いう感じの教会の門などに、時折、こういう円形の看板が付いていることがあります。
書かれている文章は、
This community is recorded in the Domesday Book 1086.
(教会を中心にした)当集落は、1086年のドゥームズデイ・ブックに記録されている。

ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)は、ノルマン王朝創始者、征服王ウィリアム(ウィリアム1世)が、1085年のクリスマスに、調査と記載を命じた、イングランドの土地台帳です。各地ごと、どの土地建物を誰が所有しているか、財産はどれほどか、家畜は何匹いるか、それらの価値はどのくらいか、どれだけの人間がその土地で働いているか、細かく記載されています。記述は主にラテン語。

何故、この調査を命じたかはいまだ議論のあるところのようですが、税金徴収が目的というのが良く言われています。また、ノルマン人征服の後、ウィリアムは、自分と共に戦った腹心達に、褒美としてイングランドのあちこちの土地を与えた結果、イングランドの土地の内情も定かでない上、実際、誰が何を持っているのか、混乱をきたしていたので、その整理の為、という話もあります。

ドゥームズデイ(現スペルDoomsday)は、人類最後の日に下される最後の審判。最後の審判よろしく、この書に記載されている事実が絶対で、全ての土地の所有権のいさかいなどは、この書の記録により判断。

2冊作られ、それぞれLittle Domesday と、Great Domesdayと呼ばれているそうですが、リトルの方が調査記載が大変細かくされており、分厚いのだそうです。前者は、ノーフォーク、サフォーク、エセックスをカバーし、後者は、イングランドの残りの地をカバー。ただ、まだ領土にはっきりと入っていなかった北部、更には、ロンドンやウィンチェスターなどの大都市は、あまりにも複雑であるため、含まれていないという事。

ウィリアムの最大の功績と言われているドゥームズデイ・ブックですが、彼はこの直後の1087年に亡くなっています。

当時のイングランドの土地は、およそ250人という少人数の個人によって支配されていたという事です。ノルマン人征服前の懺悔王エドワードの時代も、同じような人数の有力者の間で所有されていたそうですが、違いは、征服後は、この250人のほとんどは、新しくやって来たノルマン人であった事。いわゆる一般的歴史の勉強は、全人口のうち、ほんの一握りのこれら有力者達の行いを辿る事が中心なわけです。

ドゥームズデイ・ブックに記載されている集落に住んでいた農民、一般民衆の日々の生活はどんなだったのでしょうか。どんな事を、日々考えていたのでしょうか。社会の上の者を食べさせる為と、自分とは全く関係ない外国での戦争費用の為に、ひたすら働くのみでは、楽しいものでは無かったでしょうね。

下のリンクのサイトで、ドゥームズデイ・ブックのページの写真などを見ることが出来ます。
The National Archives

コメント

  1. おはようございます
    ドゥームズデイブックというのははじめて知りました。さすがですね。記録はだいじですもの。まるで秀吉の太閤検地みたいですね。こちらは16世紀ですが、これで日本の租税体制は確立して行きますもの。固定資産税には今もってわたしなど理解できないところがあります。
    ところで、このプレートがつけられていつ場所は観光名所になっているのですか?

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  2. 観光名所とは言えないですね。あまり人もいない様な田舎の教会などに、ドゥームズデイのプレートついているのも時々見かけます。1986年に、900年記念に各地の古い集落にこのプレートつけたのだと思います。

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