りんご物語

 


庭の奥のりんごの木が例年にないほどの豊作になった。しかも質が良い。この家に住んで四半世紀になろうとしているが、ここまで沢山の質の良いりんごを収穫したことはない。

毎年、実はそれなりにつくのだが、収穫に至るまでに虫に食われる、鳥につつかれるなどのダメージも多いのに、今年はそれもあまりない。虫や鳥の数が減っているのか?と考えると、それは自然にとって良いことばかりではないのだが。

この家が建てられたのは、1960年代で、りんごの木はおそらくその直後に、この家の最初のオーナーによって植えられたのだと思う。よって、樹齢は60年以上。りんごはイギリス国内だけでも2000以上も種類があるというので、うちのりんごの木が何と言う種名かは、記録も残っていないので定かではない。味は甘酸っぱくジューシーで、食べても美味しいが絞ってジュースにするのも適している感じがする。短所は、果肉がやわらかいため、落下すると簡単に傷む。実際、先月遊びに来た友人は、あざだらけだったので、芝の上に落ちたまま放置してあったりんごたちを拾い集め、「もったいない、ジュースにする」と言って持って帰っていた。

かつては、イギリスの庭にリンゴの木というのは定番で、我が家のある通りの家の大半にも、りんごの木が植えられていた模様だ。時が経つと共に、りんごの木というのはオールドファッションとなり、家が売られ、住み手が変わると、邪魔だとばかりに即座に伐採されてしまうようになった。今では、うちの通りで、昔ながらのりんごの木を持っているのは我が家だけではないかと思う。二件先の家が、60年代に植えられたりんごの木を保持していたものの、数年前に、ついに切り倒してしまっていた。この時、木を切りに来たお兄さんと通りで話をした。「なかなか個性のある老木で、実もまだなるというから、切るのは惜しいんだけど。顧客が切ってくれと言うからには仕方ない」と彼は言った。

りんごは、バナナ、アボカド、桃、メロンなどと同じく追熟する。収穫した後も、熟して甘くなっていく。まだすっぱそうな緑のりんごも何個も収穫したが、並べて保存しているうちに赤いクレヨンで上から周囲に何本も線を描いて行くように、少しずつ色づきはじめている。

ブドウ、いちご、ブルーベリー、さくらんぼ、柑橘系果物などが追熟しないのに対し、なぜに追熟する果実があるのか、という理由に関して、東京大学大学院農学生命科学研究科という舌を噛みそうな研究科の記事を読んだ。記事には、いわゆる追熟型果実(クリマクテリック果実)は、地上徘徊性動物(狸やイノシシなど)に食べられて種子をまき散らすことに適応するよう進化したという考えが書かれている。親木を離れて地面に落ちても熟し続けることで、地上徘徊性動物に喜んで食べてもらえれば、種子拡散で子孫を残して行くうえで利点になる。一方で非追熟型果実は、親木にくっついたまま熟し、主に蝙蝠や鳥などの樹上性動物に食べて種をまき散らしてもらうよう進化した。仮説として書かれているが、説得力はある。

りんごは、イギリス原生の雰囲気を漂わせているけれども、イギリスにりんごを導入したのは、やはりローマ人だったようだ。そして、現在の食用のりんごたちの大本山ともいうべきご先祖様は、カザフスタンの天山山脈麓の野生のりんごだという事がDNA判定で証明されているという。ここの野生のりんごを食べた熊や鳥などが、うんこで種を周辺にまき散らし自然拡散させ、やがてローマ人がシリアに育っているりんごを見つけ、今度は人の手で、シルクロードなどを通って世界に広まったようだ。

種から育てたりんごというのは、親と全く違った性質に育つものが多い。りんごの種類が多いというのも、こうした理由があるのだろう。美味なる品種のりんごを継続的に栽培するため、ローマ人はりんごの接ぎ木も行ったようだ。接ぎ木の技術も、りんごと共にローマ人によって、イギリスに導入されたのだろう。

日本への西洋りんごの本格的導入は、明治に入ってからの1871年というので、まだ200年も経っていないことになる。アメリカから75の品種を購入したという。

An apple a day keeps a doctor away.

一日にリンゴ一個で医者いらず

などという諺がある。この諺の真偽はともかく、今年は、我が家だけで消費するには、一日四、五個は食べなければ追っつかない収穫量である。さすがにそれでは腹を壊すだろう。腐らせるのが嫌ななので、近所に配りに行くことになりそうだ。

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