ブラムリーアップルの歴史

昨日の投稿 に続いてりんごの話題を。今回はブラムリーアップルという、イギリスの料理用りんごの誕生物語。料理用りんごはアップルパイ、アップルクランブルなどのデザートや、ポークと相性のいいアップルソースなどに用いられる 前回の投稿でも書いたよう、種から育てたりんごというのは、人間同様、往々に親の性質を受け継ぐことなく全く違った性質の木に成長してしまう。そのため、りんごというのは、品種の数がとても多いが、ある特別な要素・・・甘い、すっぱい、汁が多い、ジュースにいい、調理に最適、云々をそのまま新しい木に受け継がせたいとき、種には頼れないということになる。そこで接ぎ木(grafting)という方法が登場する。元になる台木に、クローンを作るべき、好ましい品種のりんごから取った穂木を埋め込み合体させ、二本の異なった木を、穂木の性質を受け継いだ一本の木に育てあげる。 オリジナルのブラムリーアップルの誕生は今から200年以上前のこと。ノッティンガムシャー州サウスウェル(サゼルとも発音)という町に住んでいた若い女性、メアリー・ブレイルスフォードが、1809年に、両親のコテージの庭にリンゴの種をいくつか植えたことから始まる。 やがてコテージの持ち主は変わり、マシュー・ブラムリー氏が住むようになっていた1837年に、メアリーの植えた種から育ったりんごの木のひとつが、つやつやと大きく、調理した時に絶妙な舌触りと美味しさを出す実をつけるに至った。 1856年に地元で育苗を営む家庭に生まれた青年、ヘンリー・メリーウェザーは、ブラムリー氏の庭のすばらしい実をつけるりんごに目を付け、氏から接ぎ木のための穂木をいくつか取らせてもらう。このりんごの名を聞かれた時、ブラムリー氏は「吾輩の庭で育ったのだから、ブラムリーだ!」じゃんじゃん、とあいなったわけだ。 やがて、接ぎ木で苗を増やしたメリーウェザー氏は、果実を売り、苗を売り、この新しいりんごの評判を広めていく。ブラムリーアップルは商業的に大成功をおさめ、今やイギリスの料理用りんごとしては押しも押されぬナンバー1だ。ただ、初めにコテージの庭に種を植えたメアリーは、1852年に亡くなっており、自分の植えた種が世界的に有名なりんごになろうとは知らずに終わってしまった。こうして、何の気なしにやった自分の行為が、後々に社会に大きな影響を与える現象を生み...