平成がゆく
何やかやと、ばたばたしているうちに、また、前の投稿から、かなりの時がたってしまいました。時が経つ・・・と言えば、平成という時代も、そろそろ幕切れ。平成おじさん、こと当時の小渕官房長官が、「平成」という文字が書かれた色紙を、テレビスクリーンに掲げた姿を見てから、もう30年ほど経っているわけです。
この1989年1月7日、当時、英会話学校で教師をしていた私は、アメリカ人の同僚のアパートに、他の先生たちと集まって、テレビを見ていました。みなで、こたつに輪になって座り、テレビに映った平成の文字を、デジカメの無い当時の事、昔のばかちょんカメラで撮り、ついでにみんなで記念写真。実際に、平成おじさんを写さなかったのが残念でしたが。その時に、何をしゃべったか、何を食べたか、そんなことは一切頭から消えているのに、テレビに映った平成の文字だけは、よく覚えています。
昭和の終わりに、1回イギリスに留学し、また、このすぐ後に、イギリスへ行き、更に数年後には、3回目の正直で、半永久的に渡英し、以来、あまり日本に帰ることもなかったので、平成の時代のほとんどは、イギリスで過ごした事となります。ですから、この時代の日本の社会情勢の変化というのは、全く見ずに過ごしました。
最初のころは、今のように、インターネットで簡単に情報を得たり、スカイプ、Eメールなんぞもなかったので、日本の人たちとの連絡も、いや、こちらで知り合い、後に故郷に帰って行ったヨーロッパの友達とのやりとりも、手紙でした。古風なものです。大体、ブログなるものを、「お、こんな事ができるのか」と始めたのでさえ、まだ10年くらい前の話です。(ひと昔と言われる10年という単位を、「まだ」と表現するあたりが、私も、年取ったな、と感じますが。)
この期間、世界的にテクノロジーの進歩もめまぐるしいものなら、当然、こちらについてからのロンドン、イギリスの様子も変わっています。初めて住んだ、ロンドンのスイス・コテージという、今でも日本人の多い地域で、狭い室内に、ベッド、冷蔵庫、流し、料理用クッカーのついた、当時「ベッドシット Bedsit」と呼ばれる部屋を借り、値段は、今からは考えられないような、週30ポンドくらいだったと記憶します。風呂は共同で、ガスや電気は、自分でコインを入れて作動させるものでした。洗濯物なども、コインランドリーでしたし。たしかに、ボロアパートではありましたが、今では、駅からすぐの便利な場所に、こんな破格の物件を、あの辺りで探すことはできないでしょう。大体、昔は沢山あった、このベッドシットというもの自体も、ロンドンのいわゆる高級住宅地では、ほぼ残っていないのではないかと思います。
ロンドンは、変わらない、などと良く言われます。確かに、古くからの教会、由緒ある建物は残っていますし、道路や小道、区画はそのまま。それでも、シティー・オブ・ロンドンなどでも、昔馴染みだったボロビルなどは、どんどん壊され建て替えられ、一部、今まで無かった高層ビルも次々と建ち、30年の間に、街も、人の雰囲気も変わっていっている。大体、昔の私が働いていたオフィスも、もう取り壊しです。来た当時から比べると、かなり街並みはピカピカになっています。これが、またブレグジットの後、どう変わるのでしょう。
母親とスカイプで、令和が始まるという話をしている時、さかんに、「昔は、ばばちゃん(私の祖母)が、明治、大正、昭和と三時代生きて来たひとだったから、すごいな、そんな三つの時代をまたにかけ、などと思ってたけど、私も、昭和、平成、令和と、三時代のおばあちゃんになっちゃった。」と嘆くのです。「私だって、昭和、平成、令和だから、おなじでしょ。」と言いましたが。100年というと、子供の頃は、ひどく長い期間のように感じましたが、最近では、さほど昔の事ではないという感覚です。10年を、まだ10年というのと同じで。100歳以上、またはそれに近いお年寄りというのは、日本でも多いでしょうし、こちらでも増えています。私が、ばばちゃんの事を考える時、思うのは、生きているうちに、色々昔の話を聞いておけばよかったという事ですね。子供や若い人は、あまり過去の事、老人の昔話などに興味のないものなのかもしれません。当時は、ばばちゃんが子供の頃、どんな社会だったのか、どんな生活をしていたのか、どう思って生きていたのか、全く興味がなかった。残念なことをしたものです。
東京の下町に住んでいた、ばばちゃんの家のそばには、私の子供の頃にまで、夕方紙芝居屋さんがきて、ばばちゃんの家に泊まりに行ったときは、近所の子供たちと、紙芝居屋さんが売る駄菓子を食べながら、紙芝居を見ましたし、豆腐屋さん、金魚売りなども、自転車でやって来ていたものです。良く遊びに行ったお茶屋さんでは、お茶が大箱に入れられ、そこから掬い取って、計量で売るという事をしていました。長屋の様な家が囲んでいた小さな近所の広場では、そこの住民が布団を干せるような、木組みがあり、時に、それを鉄棒の様に使って遊んだ記憶もあります。そんな話ですら、もう、セピア色の感触があるのに、ばばちゃんの子供時代たるや、時代小説の中か大河ドラマのような話でしょう。
歴史が好きだという人はたくさんいます。私もそうです。でも、過去どこまでさかのぼると、それが歴史になるのか。去年、日本に帰り、佐倉の国立歴史民俗博物館で、私が住んでいた団地と全く同じ団地の内装が、展示物として内部にあったのを見た時、自分の子供時代が歴史になってる、と感じたのです。
いや、それに、平成の時代、イギリスであった様々な出来事も歴史です。サッチャーさんが首相の座を追われた事、トニー・ブレアが選挙で大勝利を収めた時に、「これからは世の中はよくなるばかり。」という幸福な雰囲気がみなぎっていた事、その後の必然的な失望。そして現在の、イギリス社会をまっぷたつに分けるようなブレグジット騒動。住み始めたばかりの頃は、普通と思われた人々の習慣や暮らしぶりも、大きく変化していますし。最近は、自分が立っている現在がどんどんと歴史となっていると感じるばかりです。また、ばばちゃんもそうですが、一人一人の過去の人生も歴史なのでしょう。それぞれの人の生きて来た過程には、あなどれない意外な物、興味深い物が色々つまっている。
2000年に生まれた、私の姪が、ロンドンに遊びに来た時、セント・ポール寺院の前で、「ダイアナ妃が結婚したところ。」と言ったところ「ダイアナ妃って誰?」と聞き返され、のけぞったのです。家に戻ってからユーチューブで彼女の結婚式のビデオを見つけてみせたところ、「へえーーーー!」。今は、そういう手段があるから、まだ説明もしやすくなりましたが。
過去、人間の生活を向上させるため、よかれと思って発明されたもの、取り入れられたものの弊害も出てきています。プラスチックの多用によるプラスチック公害がそのひとつ。便利になった暁の、地球温暖化。導入した当時は、「これは、すごい、これは、いい。」でも、その何年後かに思わぬマイナスにつながってくという事があるわけです。戦後に、一般市民の生活を良くするためにと始まった、理想主義にのみ基づいた、イギリスの「ゆりかごから墓場まで」の福祉社会システムも、財政的にもう支えきれなくなりつつあり、崩壊の一途。社会のムードも、振り子のようにあっちにゆれ、こっちにゆれ、歴史も、また、明るい未来にむけて、思うように、まっすぐにには進まず。
誰も、洗濯物を毎日手で洗い、水は井戸まで汲みに行き、ガスも電気もなく、暗くなったらすぐ寝る、買い物には遥かかなたまで歩くか、ほんのささやかな物だけ食べて済ませ、などという生活には戻りたくない。インターネットの便利さも、今では、これを取り上げられたら、困るという人がほとんどでしょう。といいながら、スマホによる弊害なども出てきている。そうした中、過去を振り返り、それはバラ色に見える時もあり、または、あんな不便な事をしてたのか、こんなひどい事をしたのか、と思う時もあり。大体、昔の歴史は、どの国も、xx戦争、○○戦争と戦いの歴史ばかりですし。
最近、生活に無駄のなかった江戸時代の町民の暮らしぶりが見直されているという話を聞いたことがあります。タイムマシンにのって、実際にそこに落とされたら、それはそれで大変でしょうが。バラ色の色眼鏡でも、真っ黒の眼鏡でもなく、客観的に歴史を振り返って、上記のように、これは、しまった、間違ったという反省もあれば、あれは、とっておくべきだった、これは、今の世界に取り入れ再生させた方がいい、という事は多々あるのではないかと思います。歴史を学ぶとき、今自分が立っているこの場所は、どういう経過で生み出されたのかを探りながら、かつての人たちの生活ぶりを見、現在にも通じる、現在だからこそ使いたい、道端に置き去りにしておけない、先人たちの知恵や工夫の落とし物を拾い上げ、いつの日か役に立つかもと、ポケットに詰め込んでいきたいものです。
この1989年1月7日、当時、英会話学校で教師をしていた私は、アメリカ人の同僚のアパートに、他の先生たちと集まって、テレビを見ていました。みなで、こたつに輪になって座り、テレビに映った平成の文字を、デジカメの無い当時の事、昔のばかちょんカメラで撮り、ついでにみんなで記念写真。実際に、平成おじさんを写さなかったのが残念でしたが。その時に、何をしゃべったか、何を食べたか、そんなことは一切頭から消えているのに、テレビに映った平成の文字だけは、よく覚えています。
昭和の終わりに、1回イギリスに留学し、また、このすぐ後に、イギリスへ行き、更に数年後には、3回目の正直で、半永久的に渡英し、以来、あまり日本に帰ることもなかったので、平成の時代のほとんどは、イギリスで過ごした事となります。ですから、この時代の日本の社会情勢の変化というのは、全く見ずに過ごしました。
最初のころは、今のように、インターネットで簡単に情報を得たり、スカイプ、Eメールなんぞもなかったので、日本の人たちとの連絡も、いや、こちらで知り合い、後に故郷に帰って行ったヨーロッパの友達とのやりとりも、手紙でした。古風なものです。大体、ブログなるものを、「お、こんな事ができるのか」と始めたのでさえ、まだ10年くらい前の話です。(ひと昔と言われる10年という単位を、「まだ」と表現するあたりが、私も、年取ったな、と感じますが。)
この期間、世界的にテクノロジーの進歩もめまぐるしいものなら、当然、こちらについてからのロンドン、イギリスの様子も変わっています。初めて住んだ、ロンドンのスイス・コテージという、今でも日本人の多い地域で、狭い室内に、ベッド、冷蔵庫、流し、料理用クッカーのついた、当時「ベッドシット Bedsit」と呼ばれる部屋を借り、値段は、今からは考えられないような、週30ポンドくらいだったと記憶します。風呂は共同で、ガスや電気は、自分でコインを入れて作動させるものでした。洗濯物なども、コインランドリーでしたし。たしかに、ボロアパートではありましたが、今では、駅からすぐの便利な場所に、こんな破格の物件を、あの辺りで探すことはできないでしょう。大体、昔は沢山あった、このベッドシットというもの自体も、ロンドンのいわゆる高級住宅地では、ほぼ残っていないのではないかと思います。
ロンドンは、変わらない、などと良く言われます。確かに、古くからの教会、由緒ある建物は残っていますし、道路や小道、区画はそのまま。それでも、シティー・オブ・ロンドンなどでも、昔馴染みだったボロビルなどは、どんどん壊され建て替えられ、一部、今まで無かった高層ビルも次々と建ち、30年の間に、街も、人の雰囲気も変わっていっている。大体、昔の私が働いていたオフィスも、もう取り壊しです。来た当時から比べると、かなり街並みはピカピカになっています。これが、またブレグジットの後、どう変わるのでしょう。
母親とスカイプで、令和が始まるという話をしている時、さかんに、「昔は、ばばちゃん(私の祖母)が、明治、大正、昭和と三時代生きて来たひとだったから、すごいな、そんな三つの時代をまたにかけ、などと思ってたけど、私も、昭和、平成、令和と、三時代のおばあちゃんになっちゃった。」と嘆くのです。「私だって、昭和、平成、令和だから、おなじでしょ。」と言いましたが。100年というと、子供の頃は、ひどく長い期間のように感じましたが、最近では、さほど昔の事ではないという感覚です。10年を、まだ10年というのと同じで。100歳以上、またはそれに近いお年寄りというのは、日本でも多いでしょうし、こちらでも増えています。私が、ばばちゃんの事を考える時、思うのは、生きているうちに、色々昔の話を聞いておけばよかったという事ですね。子供や若い人は、あまり過去の事、老人の昔話などに興味のないものなのかもしれません。当時は、ばばちゃんが子供の頃、どんな社会だったのか、どんな生活をしていたのか、どう思って生きていたのか、全く興味がなかった。残念なことをしたものです。
東京の下町に住んでいた、ばばちゃんの家のそばには、私の子供の頃にまで、夕方紙芝居屋さんがきて、ばばちゃんの家に泊まりに行ったときは、近所の子供たちと、紙芝居屋さんが売る駄菓子を食べながら、紙芝居を見ましたし、豆腐屋さん、金魚売りなども、自転車でやって来ていたものです。良く遊びに行ったお茶屋さんでは、お茶が大箱に入れられ、そこから掬い取って、計量で売るという事をしていました。長屋の様な家が囲んでいた小さな近所の広場では、そこの住民が布団を干せるような、木組みがあり、時に、それを鉄棒の様に使って遊んだ記憶もあります。そんな話ですら、もう、セピア色の感触があるのに、ばばちゃんの子供時代たるや、時代小説の中か大河ドラマのような話でしょう。
歴史が好きだという人はたくさんいます。私もそうです。でも、過去どこまでさかのぼると、それが歴史になるのか。去年、日本に帰り、佐倉の国立歴史民俗博物館で、私が住んでいた団地と全く同じ団地の内装が、展示物として内部にあったのを見た時、自分の子供時代が歴史になってる、と感じたのです。
いや、それに、平成の時代、イギリスであった様々な出来事も歴史です。サッチャーさんが首相の座を追われた事、トニー・ブレアが選挙で大勝利を収めた時に、「これからは世の中はよくなるばかり。」という幸福な雰囲気がみなぎっていた事、その後の必然的な失望。そして現在の、イギリス社会をまっぷたつに分けるようなブレグジット騒動。住み始めたばかりの頃は、普通と思われた人々の習慣や暮らしぶりも、大きく変化していますし。最近は、自分が立っている現在がどんどんと歴史となっていると感じるばかりです。また、ばばちゃんもそうですが、一人一人の過去の人生も歴史なのでしょう。それぞれの人の生きて来た過程には、あなどれない意外な物、興味深い物が色々つまっている。
2000年に生まれた、私の姪が、ロンドンに遊びに来た時、セント・ポール寺院の前で、「ダイアナ妃が結婚したところ。」と言ったところ「ダイアナ妃って誰?」と聞き返され、のけぞったのです。家に戻ってからユーチューブで彼女の結婚式のビデオを見つけてみせたところ、「へえーーーー!」。今は、そういう手段があるから、まだ説明もしやすくなりましたが。
過去、人間の生活を向上させるため、よかれと思って発明されたもの、取り入れられたものの弊害も出てきています。プラスチックの多用によるプラスチック公害がそのひとつ。便利になった暁の、地球温暖化。導入した当時は、「これは、すごい、これは、いい。」でも、その何年後かに思わぬマイナスにつながってくという事があるわけです。戦後に、一般市民の生活を良くするためにと始まった、理想主義にのみ基づいた、イギリスの「ゆりかごから墓場まで」の福祉社会システムも、財政的にもう支えきれなくなりつつあり、崩壊の一途。社会のムードも、振り子のようにあっちにゆれ、こっちにゆれ、歴史も、また、明るい未来にむけて、思うように、まっすぐにには進まず。
誰も、洗濯物を毎日手で洗い、水は井戸まで汲みに行き、ガスも電気もなく、暗くなったらすぐ寝る、買い物には遥かかなたまで歩くか、ほんのささやかな物だけ食べて済ませ、などという生活には戻りたくない。インターネットの便利さも、今では、これを取り上げられたら、困るという人がほとんどでしょう。といいながら、スマホによる弊害なども出てきている。そうした中、過去を振り返り、それはバラ色に見える時もあり、または、あんな不便な事をしてたのか、こんなひどい事をしたのか、と思う時もあり。大体、昔の歴史は、どの国も、xx戦争、○○戦争と戦いの歴史ばかりですし。
最近、生活に無駄のなかった江戸時代の町民の暮らしぶりが見直されているという話を聞いたことがあります。タイムマシンにのって、実際にそこに落とされたら、それはそれで大変でしょうが。バラ色の色眼鏡でも、真っ黒の眼鏡でもなく、客観的に歴史を振り返って、上記のように、これは、しまった、間違ったという反省もあれば、あれは、とっておくべきだった、これは、今の世界に取り入れ再生させた方がいい、という事は多々あるのではないかと思います。歴史を学ぶとき、今自分が立っているこの場所は、どういう経過で生み出されたのかを探りながら、かつての人たちの生活ぶりを見、現在にも通じる、現在だからこそ使いたい、道端に置き去りにしておけない、先人たちの知恵や工夫の落とし物を拾い上げ、いつの日か役に立つかもと、ポケットに詰め込んでいきたいものです。
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