トリングの自然史博物館
トリング自然史博物館
2013年の夏、チルターン丘陵のハイキングへ出かけた際、ロンドンのユーストン駅より電車で45分ほどのところにある、ハートフォードシャー州のトリング(Tring)という駅から歩き始めたのですが、先週、このトリングの町内にある自然史博物館へ足を運びました。
トリング自然史博物館(The Natural History Museum at Tring)は、現在は、ロンドンにある自然史博物館の管理下で分館となっていますが、そもそもは、19世紀後半に、金持ちの個人収集家が始めた動物学博物館。その金持ちとは、ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド(Lionel Walter Rothchild)、有名な銀行家ロスチャイルド家のご本家の一員です。本人、ウォルターというミドル・ネームで呼ばれる事を好んだそうで、ウォルター・ロスチャイルドとして知られています。
ウォルターは、7歳で、両親に「僕は動物学博物館を作る」と宣言。10歳で、蝶、甲虫、魚、鳥、小動物などの収集を初め、18歳で、ケンブリッジにて動物学を勉強、21歳の誕生日に、父親から、トリング・パークに、博物館を建てるための土地とお金をプレゼントとしてもらったのだそうです。いいなあ。そして、1892年、24歳の時に、博物館の一般公開が開始。
ウォルターは、ロスチャイルド本家の長男であったため、1889年から1908年まで、家業である銀行業に従事する事を余儀なくされるものの、銀行家としての才も、熱意も無かったようで、1908年には、父親から、もうやらんでもよろしい、とのお許しが出たようです。1915年の父の死後は、一時的にロスチャイルド銀行の経営は、弟チャールズに受け継がれますが、彼が2年ほどで体を悪くした後は、銀行業は、もっと金融の才のある従弟たちにより経営。ちなみに、この弟チャールズも昆虫学者で、日本を訪れており、日本が非常に気に入っていたのだそうです。ウォルターは、子孫を残さなかったため、ロスチャイルド男爵号は、チャールズの息子によって引き継がれます。ウォルターはまた、1910年まで、保守党国会議員でもありました。ウォルターの死後、1937年に、博物館は、大英博物館へ寄付され、上述の通り、今は当時、大英博物館の一部であった自然史博物館の管理下となっています。
町の外れ、トリング・パークのすぐわきにある、ビクトリア朝、レンガ造りの博物館は、外目はちょっと大き目な屋敷風。中に足を踏み入れるや、いきなり、白熊やら、ライオンやらの、多数の動物のはく製とご対面で、ちょっとどきっとしました。外観の平凡さからは、予想できない内部の展示物。その違和感が不思議です。
ショーケースの中、所狭しと並ぶ、はく製。ウォルターは自分自身でも、収集を行ったようですが、幾人かの収集家、探検家等に依頼して、世界各地から、色々な動物の標本を集めまくったそうです。なにせ、世界中にネットワークを持っていたロスチャイルド家ですから。現在、こんな事したら、動物愛護や保護団体から文句がきそう。中には、いまや絶滅してしまったドードーなどの標本も飾られていましたから。
象のはく製の脇には、「この象牙は本物ではありません」との但し書きが書かれているのが目に入りましtあ。本物の象牙だと思って、盗もうとする人物を、未然に防ぐためかもしれません。そういえば、数日前、ラジオのニュースで、象牙を持たないアフリカ象の数が増えているのだと言っていましたっけ。というのも、普通に牙を持った象は、象牙を目当に殺されてしまったりするものの、何かの異変でたまたま牙を持たない象は、人間の魔の手から免れて、その遺伝子を子孫に残し、本当なら少数派であったのが、段々とその数を増やしつつあるのだそうです。牙を持たないという事が、生存のチャンスを延ばす望ましい特徴となったという、これも自然選択による進化のなぜるわざですね。
ウォルターは、変わり者であったそうで、シマウマを訓練して、
シマウマに馬車を引かせたりもしていたそうです。
展示標本類は、動物の他、鳥、昆虫、魚も含み、この、びっくり顔の魚を口にくわえたアンコウのはく製が印象的でした。アンコウは、英語ではanglerfishで、漁師魚の意味。
それにしても、「博物館を作りたい」と言って、「それでは。」と、パパがぽーんとお金を払ってくれるとしたら、私だったら何の博物館を建てようか・・・。大正、昭和のレトロ・ポスターや雑誌などを集めてみたいですかね・・・。
トリング自然史博物館の公式サイトは、こちらまで。
町までのハイキング
さて、トリングの町は、駅から約3キロほど離れた場所にあるので、行と帰りはそれぞれ、違った自然の中を通る散歩道を辿り、それなりのハイキングにもなります。
行きは、広々とした草原の中、
帰りは、グランド・ユニオン運河の脇を歩いて駅へ戻りました。
2013年の夏、チルターン丘陵のハイキングへ出かけた際、ロンドンのユーストン駅より電車で45分ほどのところにある、ハートフォードシャー州のトリング(Tring)という駅から歩き始めたのですが、先週、このトリングの町内にある自然史博物館へ足を運びました。
トリング自然史博物館(The Natural History Museum at Tring)は、現在は、ロンドンにある自然史博物館の管理下で分館となっていますが、そもそもは、19世紀後半に、金持ちの個人収集家が始めた動物学博物館。その金持ちとは、ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド(Lionel Walter Rothchild)、有名な銀行家ロスチャイルド家のご本家の一員です。本人、ウォルターというミドル・ネームで呼ばれる事を好んだそうで、ウォルター・ロスチャイルドとして知られています。
ウォルターは、7歳で、両親に「僕は動物学博物館を作る」と宣言。10歳で、蝶、甲虫、魚、鳥、小動物などの収集を初め、18歳で、ケンブリッジにて動物学を勉強、21歳の誕生日に、父親から、トリング・パークに、博物館を建てるための土地とお金をプレゼントとしてもらったのだそうです。いいなあ。そして、1892年、24歳の時に、博物館の一般公開が開始。
ウォルターは、ロスチャイルド本家の長男であったため、1889年から1908年まで、家業である銀行業に従事する事を余儀なくされるものの、銀行家としての才も、熱意も無かったようで、1908年には、父親から、もうやらんでもよろしい、とのお許しが出たようです。1915年の父の死後は、一時的にロスチャイルド銀行の経営は、弟チャールズに受け継がれますが、彼が2年ほどで体を悪くした後は、銀行業は、もっと金融の才のある従弟たちにより経営。ちなみに、この弟チャールズも昆虫学者で、日本を訪れており、日本が非常に気に入っていたのだそうです。ウォルターは、子孫を残さなかったため、ロスチャイルド男爵号は、チャールズの息子によって引き継がれます。ウォルターはまた、1910年まで、保守党国会議員でもありました。ウォルターの死後、1937年に、博物館は、大英博物館へ寄付され、上述の通り、今は当時、大英博物館の一部であった自然史博物館の管理下となっています。
町の外れ、トリング・パークのすぐわきにある、ビクトリア朝、レンガ造りの博物館は、外目はちょっと大き目な屋敷風。中に足を踏み入れるや、いきなり、白熊やら、ライオンやらの、多数の動物のはく製とご対面で、ちょっとどきっとしました。外観の平凡さからは、予想できない内部の展示物。その違和感が不思議です。
ショーケースの中、所狭しと並ぶ、はく製。ウォルターは自分自身でも、収集を行ったようですが、幾人かの収集家、探検家等に依頼して、世界各地から、色々な動物の標本を集めまくったそうです。なにせ、世界中にネットワークを持っていたロスチャイルド家ですから。現在、こんな事したら、動物愛護や保護団体から文句がきそう。中には、いまや絶滅してしまったドードーなどの標本も飾られていましたから。
象のはく製の脇には、「この象牙は本物ではありません」との但し書きが書かれているのが目に入りましtあ。本物の象牙だと思って、盗もうとする人物を、未然に防ぐためかもしれません。そういえば、数日前、ラジオのニュースで、象牙を持たないアフリカ象の数が増えているのだと言っていましたっけ。というのも、普通に牙を持った象は、象牙を目当に殺されてしまったりするものの、何かの異変でたまたま牙を持たない象は、人間の魔の手から免れて、その遺伝子を子孫に残し、本当なら少数派であったのが、段々とその数を増やしつつあるのだそうです。牙を持たないという事が、生存のチャンスを延ばす望ましい特徴となったという、これも自然選択による進化のなぜるわざですね。
ウォルターは、変わり者であったそうで、シマウマを訓練して、
シマウマに馬車を引かせたりもしていたそうです。
展示標本類は、動物の他、鳥、昆虫、魚も含み、この、びっくり顔の魚を口にくわえたアンコウのはく製が印象的でした。アンコウは、英語ではanglerfishで、漁師魚の意味。
それにしても、「博物館を作りたい」と言って、「それでは。」と、パパがぽーんとお金を払ってくれるとしたら、私だったら何の博物館を建てようか・・・。大正、昭和のレトロ・ポスターや雑誌などを集めてみたいですかね・・・。
トリング自然史博物館の公式サイトは、こちらまで。
町までのハイキング
さて、トリングの町は、駅から約3キロほど離れた場所にあるので、行と帰りはそれぞれ、違った自然の中を通る散歩道を辿り、それなりのハイキングにもなります。
行きは、広々とした草原の中、
帰りは、グランド・ユニオン運河の脇を歩いて駅へ戻りました。
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