ルーム

秋風が吹き始めると共に、うちの旦那は、さっそく、どこぞから風邪菌をもらってきて、私もうつされてしまいました。計画していた外出もキャンセルとなり、ここ2,3日、ティッシュペーパーを絶えず抱えて、鼻ずるずる、咳こほこほ。数日だけでも、室内にこもりきりは、段々、耐えられなくなってくるのです、これが、何年も、小さな場所に閉じ込められたきりであったら、どんな事になるやら。考えただけで、気が狂いそうです。ということで、去年(2015年)公開になって話題を呼んでいた映画「ルーム」を、これを機会にお茶の間鑑賞しました。

何年も行方不明になっていた女の子が、ある日突然、なんの変哲もない郊外の家の庭におかれていた小屋や、民家の地下室に軟禁されていたのを発見され、家族と再会するる・・・などというニュースが時々あります。「ルーム」は、18歳の時に誘拐され、変な男(オールド・ニック)の家の庭にある、改造した小屋に閉じ込められ、7年もそこで過ごしたジョイと、そこで生まれた彼女の子供で、5歳になったばかりのジャックの物語。

2人がルームと呼び、住む小屋には、暗証番号を入れなければ開かない鍵がついており、脱出は難しく、窓もなく。外界が見えるのは、屋根についている小さな四角いスカイライトと、おんぼろテレビのみ。トイレもお風呂もベッドも、小さな台所、流しも、すべてこの小さな空間にあり、飲食料、その他必要なものは、オールド・ニックが夜、届けに来る。

最初から、ほぼ最後の方まで、こうした監禁生活の話かな、と思いきや、映画の中盤で、死体を装い、無事、小屋から担ぎ出された後、脱出したジャックのおかげで、警察がこの小屋を探し当て、母子ともども、自由の身となるのです。そして、後半は、新しい外の世界での生活に適応できずに落ち込むジョイと、徐々に外の世界を受け入れていくジャックの様子が描かれています。

ジョイがルームで、オールド・ニックの虜となっている間に、ジョイの両親は離婚。ジョイのお母さんは、別の、優しそうな彼、レオと一緒に、昔の家に住んでおり、救出されたジャックとジョイは、そこに同居。本当のジョイのお父さんは、犯罪者、オールド・ニックの子供であるジャックを孫として受け入れられず、話しかけることはおろか、面と向かって見ることもできない始末。

ジョイは、失われた青春の7年間を嘆くとともに、ルームに閉じ込められていた間は、何もせずとも生存できたのが、いわゆる自由の身になってから、これからどう生きればいいか、何をすればいいか、の具体的問題が出てくるわけです。ルームという外の制約が無くなり、以後、すべてが自分の責任となっていく事の重さもあるでしょう。ルームでは、仲の良かった母子であったのが、ジョイは、徐々にジャックを突き放し、一人でいたがるようになる。外にある壁は無くなったのに、自分という小さい枠の中で、大きな世界での居場所を探せずに、もがいている感じです。また、テレビのインタヴュー番組に登場し、「子供が生まれた事ですべてが変わった」と発言したジョイに、インタヴュー側が、「子供が生まれたときに、小屋の中での生活を強いるより、子供のためを思って、相手に頼んで、子供を病院などに置いてくるようにするべきではなかったのか。」と、ちょいと意地悪で批判的な質問を受けた挙句、自殺未遂まで犯す。このインタヴューを聞いていて、日本の学校の国語の時間に読んだ、「山椒魚」という短編小説が、ふっと頭を過りました。小さな穴にいる間に、体が成長しすぎて出られなくなった山椒魚。一匹で、そんな中でずっと生活することの恐怖から、たまたま、穴に入ってきたカエルが、外へ出れないようにお尻で出口を塞ぎ、運命共同体として、ずっと一緒にそこで時を過ごす・・・という話でしたか。読みながら、閉所恐怖症的感覚で、窒息しそうな居心地の悪さを感じました。カエルが気の毒ながらも、山椒魚の気持ちも痛いほどわかるのです。

おばあさんと仲良くなり始めるジャックが、ちらりと、「ルームが恋しい」ともらす場面があります。「小さなスペースだったのに。」と言うおばあさんに、ジャックは、「でも、壁は広がったし、マー(お母さん)がいつも一緒にいてくれた。」生まれたときから、小さな空間が全世界で、テレビで見る世界は、「テレビ宇宙」という別な世界だと、マーに教えられてきたジャックですが、他に比べるものが無い・・・となると、小さな空間も、苦にならないものでしょうか。逆に、脱出計画を練るマーに、外へ出る準備のため、ルームは、ほんの小さな小世界で、壁の向こうには更に大きな世界が広がっており、テレビ宇宙は、本当に存在する場所だ、と知らされると、拒絶反応を起こし、事実を受け入れるのに時間がかかっていました。生まれてからずっと信じてきた世界観が転倒するというのは、実際経験してみないと、わからないような衝撃の強いものではあるでしょう。映画「トゥルーマン・ショー」のように、今まで送ってきた生活が、実際は、架空のものであった、なんていうのも衝撃ですが、似たような感覚ではないでしょうか。

ジャックは、最初は長い髪をしていて、男の子の名前にかかわらず女の子なんじゃないか、と思ったようなきれいな顔をした子です。旧約聖書に出てくるサムソンの伝説の様に、サムソン風の長い髪の毛は、力の秘密と信じ、外の世界に出ても、髪を切るのを拒んでいたジャックですが、苦しんでいる様子のマーを助けるため、自分の力をあげたいから、自分の髪を切ってマーに上げてと、おばあさんに頼み、やっとすっきり髪を切って、見栄えも正真正銘の男の子に変身。マーはジャックの髪パワーのおかげで、新しい生活に立ち向かう元気がでる・・・というもの。軟禁生活を耐えられたのも、ルームから脱出できたのも、新しい大きな世界に立ち向かえるのも、ジャックがいたところが大きい。一人より二人、それに子供の新しいことを受け入れる無限の可能性というのは、馬鹿にできないものです。

最後の方に、「マーも、僕も、何が気に入るかわからないから。何でも試してみることにした。」とジャックのナレーションが入り、2人でハンバーガーをぱくついている姿を映していたのが、なんともアメリカ。せっかく、何でも試す心意気なら、ハンバーガーにパクつくシーンより、水泳しているところとか、ハイキングしているところとか、ギター弾いているところとか、もっと気の利いたシーンを挿入すればよかったのに、などと思いましたが・・・。ハンバーガーを試して気に入ったから、毎日そればかり食べて、ルームから出た後、2人とも、まるまる太ってしまいました~ちゃん、ちゃん・・・なんて事にならなければいいが。

このハンバーガーシーンに、あれっとずっこけたのを除けば、とても良い映画でした。上にも書いた、ジャックの「(ルームの)壁は広がった」という言葉が、私には特に印象的でした。外部の制約はさておき、自分の世界を大きくするのも小さくするのも、最終的には個々人の精神によるところも大きいのかもしれません。・・・などと、かっこよく締めくくりながらも、早く風邪を治して、外の空気と紅葉を楽しみに、元気よく外出したいところです。

原題:Room
監督:Lenny Abrahamson
言語:英語
2015年

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