8月の鯨
これは、封切りとなったときに映画館へ足を運んでみた映画です。時期的にもぴったりなので、だんなと一緒に、「とてもいい映画だから」と、もう一度見てみました。終わった後、私は、また、あー良かった、としみじみしたのに、だんなは、「何これ、何にも起こらないじゃん。いいのは、比較的短かった事と、あとは景色だけ。」感性の無い男じゃ、まったく。
舞台はアメリカはメイン州沖の小島。海沿いの古い家で夏を過ごす年老いた姉妹、セーラとリビーの話です。この姉妹を、サイレント黄金期のスターで、当時すでに93歳だったリリアン・ギッシュと、意地悪女をやらせたら天下一品のベティー・デイビスが演じた事が話題になっていました。
セーラは、目が見えずに、日に日に気難しくなる姉のリビーの面倒を見ているものの、もう年で、すぐ死ぬからと、何かにつけてネガティブなリビーに徐々に業を煮やし始め、リビーを彼女の娘にまかせ、別々に生活を送ったほうが良いのではないかと思い始める。家事をしていない時は、水彩画をしたり、バザーのための人形を作ったりと、常に何かをやっているセーラを、リビーは、「いつも、いつも、大忙し」となじる。海に向かう壁の小さい窓を、景色が良く見えるような大きな窓に取り替えたらどうか、というセーラの希望にも、老人に新しいものは無用、金の無駄と拒絶するリビー。
この2人の他に、主なる登場人物は、姉妹の昔からの親友ティシャ、そして、ヴィンセント・プライス演じるロシア革命を逃げてきた、ロシア貴族の末裔マラノフ氏、家に出入りする大工のジョシュアのみ。満月を一緒に見ようと、セーラに夕食に招待されるマラノフ氏にも、リビーは意地の悪い事を言う始末。ティシャは、セーラにリビーを離れ、自分の家に住むように誘う。
第1次世界大戦でだんなを失い、セーラは、それは長い未亡人生活。それでも、いまだ、結婚記念日には、白バラと赤バラを一輪ずつ摘んで一人お祝いをするのですが、このシーンがやさしくて良いのです。白バラは真実、赤バラは情熱。人生に必要なのはこの2つだけ、真実と情熱・・・と言いながら、白黒の軍服姿の写真の中の彼にむかいグラスをあげるセーラ。
言い争いの後、「そんなに死に急ぐなら、勝手にすればよい。私には、まだ人生が残っている。」というセーラに、ついにリビーは折れて、大工のジョシュアに、レイバーデー(9月の最初の月曜日で休日)が来る前に、ピクチャーウィンドー(大きな窓)を挿入してくれ・・・と頼むのです。そして、和解した二人は、手に手を取って、若かりし日には、毎8月、沖に現れる鯨を楽しみに待った崖まで歩いていく。今年は鯨は戻ってくるだろうかと、海を見つめる2人の後姿で、映画はおしまい。
鯨は第2次世界大戦後、安い蛋白源として、各国捕鯨を盛んに行ったため、数が激減。肉もさることながら、その脂は、かつてはマーガリンの原料にも使われていたんですよね。第2次大戦後の、わりとすぐ辺りが時代設定だと思うので、彼らが若かりし頃、メイン州の海で8月に見た鯨たちも、すっかり見えなくなっていたわけです。
確かに、うちのだんなの言うとおり、何も起こらない、老人たちの心の機微だけを描いた日常スケッチですが、見た後に、心に暖かいものが流れこんで、私は大好きです。リリアン・ギッシュの顔が、なんとなく、私の祖母に似ていたのも気に入った理由かもしれませんし、年取ったら、こんな味のある家具や調度品が置いてある家で、こんな可愛いばあちゃんになりたいな、とも思ったのです。リリアン・ギッシュは、99歳にて睡眠中に静かに息を引き取ったと言います。この映画の中の彼女は、なんだか、そういう大往生をしそうな雰囲気をかもしだしていました。
レーバーデイが秋を運んでくる、というのがアメリカでの感覚のようですね。よく、夏の終わりを描いた映画で言及される事が多いので、そう思うのですが。昨日のイギリスは8月のバンクホリデーと呼ばれる休日(8月の最終月曜日)でしたが、こちらでは、これが終わると、さて、そろそろ秋かいな、という感じ。バンクホリデーはいつも雨・・・というジンクスがありますが、昨日はその通りの惨めな天気でした。今朝のラジオで、年間雨量の5%が降ったなどと言ってましたが、ほんとかな・・・。こういう天気は、映画日和ではあります。
原題:The Whales of August
監督:Lindsay Anderson
言語:英語
1987年
舞台はアメリカはメイン州沖の小島。海沿いの古い家で夏を過ごす年老いた姉妹、セーラとリビーの話です。この姉妹を、サイレント黄金期のスターで、当時すでに93歳だったリリアン・ギッシュと、意地悪女をやらせたら天下一品のベティー・デイビスが演じた事が話題になっていました。
セーラは、目が見えずに、日に日に気難しくなる姉のリビーの面倒を見ているものの、もう年で、すぐ死ぬからと、何かにつけてネガティブなリビーに徐々に業を煮やし始め、リビーを彼女の娘にまかせ、別々に生活を送ったほうが良いのではないかと思い始める。家事をしていない時は、水彩画をしたり、バザーのための人形を作ったりと、常に何かをやっているセーラを、リビーは、「いつも、いつも、大忙し」となじる。海に向かう壁の小さい窓を、景色が良く見えるような大きな窓に取り替えたらどうか、というセーラの希望にも、老人に新しいものは無用、金の無駄と拒絶するリビー。
この2人の他に、主なる登場人物は、姉妹の昔からの親友ティシャ、そして、ヴィンセント・プライス演じるロシア革命を逃げてきた、ロシア貴族の末裔マラノフ氏、家に出入りする大工のジョシュアのみ。満月を一緒に見ようと、セーラに夕食に招待されるマラノフ氏にも、リビーは意地の悪い事を言う始末。ティシャは、セーラにリビーを離れ、自分の家に住むように誘う。
第1次世界大戦でだんなを失い、セーラは、それは長い未亡人生活。それでも、いまだ、結婚記念日には、白バラと赤バラを一輪ずつ摘んで一人お祝いをするのですが、このシーンがやさしくて良いのです。白バラは真実、赤バラは情熱。人生に必要なのはこの2つだけ、真実と情熱・・・と言いながら、白黒の軍服姿の写真の中の彼にむかいグラスをあげるセーラ。
言い争いの後、「そんなに死に急ぐなら、勝手にすればよい。私には、まだ人生が残っている。」というセーラに、ついにリビーは折れて、大工のジョシュアに、レイバーデー(9月の最初の月曜日で休日)が来る前に、ピクチャーウィンドー(大きな窓)を挿入してくれ・・・と頼むのです。そして、和解した二人は、手に手を取って、若かりし日には、毎8月、沖に現れる鯨を楽しみに待った崖まで歩いていく。今年は鯨は戻ってくるだろうかと、海を見つめる2人の後姿で、映画はおしまい。
鯨は第2次世界大戦後、安い蛋白源として、各国捕鯨を盛んに行ったため、数が激減。肉もさることながら、その脂は、かつてはマーガリンの原料にも使われていたんですよね。第2次大戦後の、わりとすぐ辺りが時代設定だと思うので、彼らが若かりし頃、メイン州の海で8月に見た鯨たちも、すっかり見えなくなっていたわけです。
確かに、うちのだんなの言うとおり、何も起こらない、老人たちの心の機微だけを描いた日常スケッチですが、見た後に、心に暖かいものが流れこんで、私は大好きです。リリアン・ギッシュの顔が、なんとなく、私の祖母に似ていたのも気に入った理由かもしれませんし、年取ったら、こんな味のある家具や調度品が置いてある家で、こんな可愛いばあちゃんになりたいな、とも思ったのです。リリアン・ギッシュは、99歳にて睡眠中に静かに息を引き取ったと言います。この映画の中の彼女は、なんだか、そういう大往生をしそうな雰囲気をかもしだしていました。
レーバーデイが秋を運んでくる、というのがアメリカでの感覚のようですね。よく、夏の終わりを描いた映画で言及される事が多いので、そう思うのですが。昨日のイギリスは8月のバンクホリデーと呼ばれる休日(8月の最終月曜日)でしたが、こちらでは、これが終わると、さて、そろそろ秋かいな、という感じ。バンクホリデーはいつも雨・・・というジンクスがありますが、昨日はその通りの惨めな天気でした。今朝のラジオで、年間雨量の5%が降ったなどと言ってましたが、ほんとかな・・・。こういう天気は、映画日和ではあります。
原題:The Whales of August
監督:Lindsay Anderson
言語:英語
1987年
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