ウォルト・ディズニーの約束
メリー・ポピンズ・・・この名を聞くと頭に思い描くのが、にっこりと笑うジュリー・アンドリュースの顔・・・という人はかなり多いことでしょう。私も、子供時代に、パメラ・トラバース(P.L. トラバース)による「メリー・ポピンズ」シリーズを原作を読んだことが無かったので、このスーパー・ナニーのイメージは、やはり、ディズニー映画の中で、朗らかに、
Just a spoonful of sugar helps the medicine go down
お砂糖ひとさじで、薬を飲む(嫌な事する)のも平っちゃら!
と子供たちに歌って聞かせるジュリー・アンドリュースなのです。
「Saving Mr. Banks」(邦題は、ウォルト・ディズニーの約束)という映画を見ました。これは、映画「メリー・ポピンズ」が作成されるまでの裏話。本当は、ディズニーによる「メリー・ポピンズ」の映画化を嫌いながらも、お金が無くなってきて製作を受け入れざろう得なくなってきた、著者パメラ・トラバース。そして、「メリー・ポピンズ」ファンの娘にメリー・ポピンズのキャラクターを使った映画を作る約束したため、長年に渡りパメラ・トラバースを説得し続けるウォルト・ディズニー。この2人の間で、映画製作をめぐってバトルが繰り広げられます。一応、事実には基づきながらも、最終的にはディズニー映画なので、少々、ウォルト・ディズニーに観客が好印象を持つよう、話をまとめている感は否めないです。
映画の脚本を通すのに、著者のOKが要る、という事を条件に、ついに映画化の権利をディズニーに渡すトラバース。当時は、映画化権を受け渡した後は、著者はほとんど関わらないのが常であったため、この著者の介入は、ディズニー側にしては前代未聞の事であったようです。その後、飛行機に飛び乗り、ハリウッドのディズニーのスタジオで、脚本はもとより、歌の歌詞、コスチューム、映画作成の全てに細かく、口を挟み、これも、ノー、あれも、ノー、と難色を示す彼女。
パメラ・トラバースは、オーストラリアにて、アイルランド人で銀行マネージャーの父、スコットランド人の専業主婦の母の間に生まれます。過去をあまり語らない人であったようで、彼女がイギリスに移住してからも、長い間、周りの人間でも、彼女が実際はオーストラリア人であったという事を知らなかった人もいたようです。また、トラバースという名は、父(トラバース・ゴフ)のファースト・ネームで、彼女の本名はヘレン・リンデン・ゴフ。この事も、長らく知られていなかったようです。アル中であった父を、幼い時に無くし、母が自殺未遂をするという経験も持つため、あまり思い出したくない、語りたくない過去であったのか。周囲にほとんど遊び友達のいなかった幼少時代は、外に出て、小枝や葉っぱを使用してミニチュアの公園などを作るのが好きだったという事で、原作メリー・ポピンズのシリーズには、公園が良く登場。映画内でも、大人になった彼女が、この遊びをしている様子が描かれています。想像力を働かせ、妹達に良く、物語を作って聞かせてやっていた事が将来役に立ったよう。若い頃は、一時女優として働いたこともあり。
映画は、トラバースのこのオーストラリアの幼少時代と、彼女の、傍から見るとだめなアル中の父親に寄せる愛情に焦点を置き、これが、彼女の性格の気難しさ、ウォルト・ディズニーの映画化に対する敵意の原因の様に描いています。父と同じように銀行家という設定のメリー・ポピンズの物語に出てくる子供たちのお父さん、ミスター・バンクスの事を、「彼は悪い人間ではない、子供たちを愛している良い人間だ!」と泣き叫ぶシーンがあります。
映画では、ドラマ性を盛り上げるため、著者が脚本にOKしてから、映画化権を渡す・・・という話になっていますが、実際は、トラバースが、ハリウッドに乗り込むのは、映画化権利がすでにディズニー側に渡ってから。また、映画では、ディズニーとトラバースの会合が何回かあるのですが、事実は、トラバースがやってくると知ったディズニーは、顔を合わせるのを好まず、スタジオから離れていたそうで、映画での会合シーンの台詞は、手紙や電話で行われたものが元になっているという事。当然、最後に、トラバースを説得するために、ディズニーがわざわざ、彼女を追ってロンドンの彼女のチェルシーの家に現れて、彼女の過去に触れながら映画化権を受け渡すよう説得する・・・などというお涙頂戴場面は作り話。
映画完成後、トラブルを避けるため、ディズニーはプレミアにトラバースを招待しなかったのを、トラバースは自ら乗り込み、出席。プレミアで映画鑑賞中に泣き出す彼女は、父を思いながら泣いているような解釈で描かれていますが、これも、「アニメは入れない」と約束したディズニーが、アニメを大幅に使用、またメリー・ポピンズの性格描写が、原作とあまりに違うため、映画に対して、怒りと憤りを感じて涙したのが事実のようです。映画「メリー・ポピンズ」が大当たりとなり、続編を作りたくなったディズニーが、トラバースに話を持ちかけても、彼女は、頑として受け入れなかったわけです。
自分の死後に、伝記を書いたり、過去を掘り起こす事をされたくないと、生前に語っていたトラバース。まだ生きていて、この映画を見たら、「メリー・ポピンズ」を見たときよりも、更に憤慨するかもしれません。私の感想として、製作の裏にあった葛藤の事実を知れたのは興味深かったものの、映画自体はちょっとおセンチすぎる、トラバースの複雑な性格の理由が、全てお父さんへの愛情に集中されすぎて、簡略しすぎ、という気がします。
映画内、興味深かったのは、ディズニーの製作側が、バンクス夫人が、原作では、主婦で、他に何もしていないのに、ナニーを必要とするのはおかしい、として、映画の中での彼女を、熱烈なSuffragette(女性選挙権獲得運動のための活動家)という設定にして、だから、子供に手が回らないという説明の背景にするくだり。これは、当時のイギリスとアメリカの意識の違いの反映でしょうか。
また、一番気に入ったのは、ミュージカルの音楽を作成する過程を描いてるシーン。特に、最初に書いた、「お砂糖ひとさじで」・・・の作成中に、ピアノを叩きながら、メロディーがいまひとつしっくり来ない作曲家(シャーマン兄弟)が、ザ・メディスン・ゴー・ダウンという歌詞の部分を、歌詞とは裏腹に、音程をダウン(下げる)するのではなく、アップ(上げる)するのはどうだろう・・・と、試み、それが、大成功。私は音楽の才は全く無いので、楽器を弾ける人、さらには、こうやってピアノを叩きながら、作曲できる人などには、いつも尊敬の眼です。このシャーマン兄弟の、パメラ・トラバースとの交渉に関するインタヴューを以前聞いた事がありますが、一言・・・「ディフィカルト(大変)だった。」
自分の創造した物語が他者の手によって、異質のものになってしまうのが嫌だ・・・という気持ちも理解できますが、本当に嫌だったら、「スノーマン」のレイモンド・ブリッグスの様に、頑としてディズニーの依頼を受け付けない、という手もあります。最終的には、「お金」。頑として拒絶し続けるには、ディズニーの差し出すお金の山にも「ノー!」と言わないと。ロンドンの高級住宅街チェルシーにあった自分の家をあきらめて、もっと安いところに引っ越すくらいの心意気がなかったら、文句を言ってもはじまらない、というのはあります。映画完成後、トラバースは、「魂を売りはらう行為(Sold out)をしてしまった。」という後悔にさいなまれたようです。
第3者から見ると、ジュリー・アンドリュースの「メリー・ポピンズ」は、それなりに、面白く、どの歌もいいな、と思えるんですけどね。メリーの友人のバート役をやったディック・ヴァン・ダイクは、映画内、東ロンドンのコックニー・アクセントを使う努力をしようとしているのですが、そのアクセントが、いまひとつ、妙てけりんで可笑しいと、時に、イギリスのコメディアンなどに、いまだに、おちょくられたりしていますが、人が良さそうで、好感はもてますし。
映画は、原作から独り立ちした、全く違うものと、見切りを付けてあきらめるしかない。そして、なにより、メリー・ポピンズというキャラクターを、以前より更に、世界的に有名なものにしたのもディズニーならではですから。
原題:Saving Mr. Banks
監督:John Lee Hancock
言語:英語
2013年
私も、これを機に、ついに原作のシリーズを読んでみました。そして、読んでみて、なるほど、確かに、原作のメリー・ポピンズという人物像が、映画版とはまるで違うのです。
陽気で朗らか、やさしく歌をうたうジュリー・アンドリュースどころか、原作のポピンズは、厳しく、プライド高く、おセンチなところや、楽しんでいる様子は、外にはほとんど現さず、子供たちとのやりとりも時に諧謔的、まさにエドワード朝イギリスの毅然とした家庭教師風なのです。少々、うぬぼれ気味で、鏡やショップ・ウィンドウに映った自分の姿を見るのが大好き、というのも、面白い。こんな怖いお姉さんを、バンクス家の子供たちはどうして、あんなに大好きだったのか、と思うほど。まあ、それは、彼女の不思議な魔法の力と、彼女が放つ、「この人のそばにいれば、全て大丈夫」という安心感によるのでしょう。そして、彼女から漂う焼きたてのトーストの香りと、パリッと清潔で、のりのきいたエプロンの匂いも、子供たちは大好き。
メリー・ポピンズが、バンクス家が住むチェリー・ツリー・レーン17番にやって来て、ジェーンとマイケル・バンクスをはじめとする、バンクス家の子供たちのナニーとして、しばらく働いては、理由も告げず去っていく事、計3回。東風に乗って現れ、西風に乗って去っていく、最初の物語集「Mary Poppins」(メリー・ポピンズ)。そして、凧に乗って現れ、メリーゴーランドに乗って去っていく「Mary Poppins Comes Back」(帰ってきたメリー・ポピンズ)。ガイ・フォークスの日の花火と共にやってきて、子供部屋に開いた、今まで無かったドアから出ていって二度と戻ってこない「Mary Poppins Opens the Door」(扉を開けるメリー・ポピンズ)。映画「メリー・ポピンズ」は、これらの物語の中からのエピソードやアイデアを取って作られています。メリー・ポピンズのシリーズは、この3作以外にも本が出版されていますが、残りは、すべて、この3回の滞在の間に起こったお話とされています。
「ウォルト・ディズニーの約束」は、メリー・ポピンズの原作を読もうという気にならせてくれただけでも、見たかいがあったなと思う次第です。
Just a spoonful of sugar helps the medicine go down
お砂糖ひとさじで、薬を飲む(嫌な事する)のも平っちゃら!
と子供たちに歌って聞かせるジュリー・アンドリュースなのです。
「Saving Mr. Banks」(邦題は、ウォルト・ディズニーの約束)という映画を見ました。これは、映画「メリー・ポピンズ」が作成されるまでの裏話。本当は、ディズニーによる「メリー・ポピンズ」の映画化を嫌いながらも、お金が無くなってきて製作を受け入れざろう得なくなってきた、著者パメラ・トラバース。そして、「メリー・ポピンズ」ファンの娘にメリー・ポピンズのキャラクターを使った映画を作る約束したため、長年に渡りパメラ・トラバースを説得し続けるウォルト・ディズニー。この2人の間で、映画製作をめぐってバトルが繰り広げられます。一応、事実には基づきながらも、最終的にはディズニー映画なので、少々、ウォルト・ディズニーに観客が好印象を持つよう、話をまとめている感は否めないです。
映画の脚本を通すのに、著者のOKが要る、という事を条件に、ついに映画化の権利をディズニーに渡すトラバース。当時は、映画化権を受け渡した後は、著者はほとんど関わらないのが常であったため、この著者の介入は、ディズニー側にしては前代未聞の事であったようです。その後、飛行機に飛び乗り、ハリウッドのディズニーのスタジオで、脚本はもとより、歌の歌詞、コスチューム、映画作成の全てに細かく、口を挟み、これも、ノー、あれも、ノー、と難色を示す彼女。
パメラ・トラバースは、オーストラリアにて、アイルランド人で銀行マネージャーの父、スコットランド人の専業主婦の母の間に生まれます。過去をあまり語らない人であったようで、彼女がイギリスに移住してからも、長い間、周りの人間でも、彼女が実際はオーストラリア人であったという事を知らなかった人もいたようです。また、トラバースという名は、父(トラバース・ゴフ)のファースト・ネームで、彼女の本名はヘレン・リンデン・ゴフ。この事も、長らく知られていなかったようです。アル中であった父を、幼い時に無くし、母が自殺未遂をするという経験も持つため、あまり思い出したくない、語りたくない過去であったのか。周囲にほとんど遊び友達のいなかった幼少時代は、外に出て、小枝や葉っぱを使用してミニチュアの公園などを作るのが好きだったという事で、原作メリー・ポピンズのシリーズには、公園が良く登場。映画内でも、大人になった彼女が、この遊びをしている様子が描かれています。想像力を働かせ、妹達に良く、物語を作って聞かせてやっていた事が将来役に立ったよう。若い頃は、一時女優として働いたこともあり。
映画は、トラバースのこのオーストラリアの幼少時代と、彼女の、傍から見るとだめなアル中の父親に寄せる愛情に焦点を置き、これが、彼女の性格の気難しさ、ウォルト・ディズニーの映画化に対する敵意の原因の様に描いています。父と同じように銀行家という設定のメリー・ポピンズの物語に出てくる子供たちのお父さん、ミスター・バンクスの事を、「彼は悪い人間ではない、子供たちを愛している良い人間だ!」と泣き叫ぶシーンがあります。
映画では、ドラマ性を盛り上げるため、著者が脚本にOKしてから、映画化権を渡す・・・という話になっていますが、実際は、トラバースが、ハリウッドに乗り込むのは、映画化権利がすでにディズニー側に渡ってから。また、映画では、ディズニーとトラバースの会合が何回かあるのですが、事実は、トラバースがやってくると知ったディズニーは、顔を合わせるのを好まず、スタジオから離れていたそうで、映画での会合シーンの台詞は、手紙や電話で行われたものが元になっているという事。当然、最後に、トラバースを説得するために、ディズニーがわざわざ、彼女を追ってロンドンの彼女のチェルシーの家に現れて、彼女の過去に触れながら映画化権を受け渡すよう説得する・・・などというお涙頂戴場面は作り話。
映画完成後、トラブルを避けるため、ディズニーはプレミアにトラバースを招待しなかったのを、トラバースは自ら乗り込み、出席。プレミアで映画鑑賞中に泣き出す彼女は、父を思いながら泣いているような解釈で描かれていますが、これも、「アニメは入れない」と約束したディズニーが、アニメを大幅に使用、またメリー・ポピンズの性格描写が、原作とあまりに違うため、映画に対して、怒りと憤りを感じて涙したのが事実のようです。映画「メリー・ポピンズ」が大当たりとなり、続編を作りたくなったディズニーが、トラバースに話を持ちかけても、彼女は、頑として受け入れなかったわけです。
自分の死後に、伝記を書いたり、過去を掘り起こす事をされたくないと、生前に語っていたトラバース。まだ生きていて、この映画を見たら、「メリー・ポピンズ」を見たときよりも、更に憤慨するかもしれません。私の感想として、製作の裏にあった葛藤の事実を知れたのは興味深かったものの、映画自体はちょっとおセンチすぎる、トラバースの複雑な性格の理由が、全てお父さんへの愛情に集中されすぎて、簡略しすぎ、という気がします。
映画内、興味深かったのは、ディズニーの製作側が、バンクス夫人が、原作では、主婦で、他に何もしていないのに、ナニーを必要とするのはおかしい、として、映画の中での彼女を、熱烈なSuffragette(女性選挙権獲得運動のための活動家)という設定にして、だから、子供に手が回らないという説明の背景にするくだり。これは、当時のイギリスとアメリカの意識の違いの反映でしょうか。
また、一番気に入ったのは、ミュージカルの音楽を作成する過程を描いてるシーン。特に、最初に書いた、「お砂糖ひとさじで」・・・の作成中に、ピアノを叩きながら、メロディーがいまひとつしっくり来ない作曲家(シャーマン兄弟)が、ザ・メディスン・ゴー・ダウンという歌詞の部分を、歌詞とは裏腹に、音程をダウン(下げる)するのではなく、アップ(上げる)するのはどうだろう・・・と、試み、それが、大成功。私は音楽の才は全く無いので、楽器を弾ける人、さらには、こうやってピアノを叩きながら、作曲できる人などには、いつも尊敬の眼です。このシャーマン兄弟の、パメラ・トラバースとの交渉に関するインタヴューを以前聞いた事がありますが、一言・・・「ディフィカルト(大変)だった。」
自分の創造した物語が他者の手によって、異質のものになってしまうのが嫌だ・・・という気持ちも理解できますが、本当に嫌だったら、「スノーマン」のレイモンド・ブリッグスの様に、頑としてディズニーの依頼を受け付けない、という手もあります。最終的には、「お金」。頑として拒絶し続けるには、ディズニーの差し出すお金の山にも「ノー!」と言わないと。ロンドンの高級住宅街チェルシーにあった自分の家をあきらめて、もっと安いところに引っ越すくらいの心意気がなかったら、文句を言ってもはじまらない、というのはあります。映画完成後、トラバースは、「魂を売りはらう行為(Sold out)をしてしまった。」という後悔にさいなまれたようです。
第3者から見ると、ジュリー・アンドリュースの「メリー・ポピンズ」は、それなりに、面白く、どの歌もいいな、と思えるんですけどね。メリーの友人のバート役をやったディック・ヴァン・ダイクは、映画内、東ロンドンのコックニー・アクセントを使う努力をしようとしているのですが、そのアクセントが、いまひとつ、妙てけりんで可笑しいと、時に、イギリスのコメディアンなどに、いまだに、おちょくられたりしていますが、人が良さそうで、好感はもてますし。
映画は、原作から独り立ちした、全く違うものと、見切りを付けてあきらめるしかない。そして、なにより、メリー・ポピンズというキャラクターを、以前より更に、世界的に有名なものにしたのもディズニーならではですから。
原題:Saving Mr. Banks
監督:John Lee Hancock
言語:英語
2013年
私も、これを機に、ついに原作のシリーズを読んでみました。そして、読んでみて、なるほど、確かに、原作のメリー・ポピンズという人物像が、映画版とはまるで違うのです。
陽気で朗らか、やさしく歌をうたうジュリー・アンドリュースどころか、原作のポピンズは、厳しく、プライド高く、おセンチなところや、楽しんでいる様子は、外にはほとんど現さず、子供たちとのやりとりも時に諧謔的、まさにエドワード朝イギリスの毅然とした家庭教師風なのです。少々、うぬぼれ気味で、鏡やショップ・ウィンドウに映った自分の姿を見るのが大好き、というのも、面白い。こんな怖いお姉さんを、バンクス家の子供たちはどうして、あんなに大好きだったのか、と思うほど。まあ、それは、彼女の不思議な魔法の力と、彼女が放つ、「この人のそばにいれば、全て大丈夫」という安心感によるのでしょう。そして、彼女から漂う焼きたてのトーストの香りと、パリッと清潔で、のりのきいたエプロンの匂いも、子供たちは大好き。
メリー・ポピンズが、バンクス家が住むチェリー・ツリー・レーン17番にやって来て、ジェーンとマイケル・バンクスをはじめとする、バンクス家の子供たちのナニーとして、しばらく働いては、理由も告げず去っていく事、計3回。東風に乗って現れ、西風に乗って去っていく、最初の物語集「Mary Poppins」(メリー・ポピンズ)。そして、凧に乗って現れ、メリーゴーランドに乗って去っていく「Mary Poppins Comes Back」(帰ってきたメリー・ポピンズ)。ガイ・フォークスの日の花火と共にやってきて、子供部屋に開いた、今まで無かったドアから出ていって二度と戻ってこない「Mary Poppins Opens the Door」(扉を開けるメリー・ポピンズ)。映画「メリー・ポピンズ」は、これらの物語の中からのエピソードやアイデアを取って作られています。メリー・ポピンズのシリーズは、この3作以外にも本が出版されていますが、残りは、すべて、この3回の滞在の間に起こったお話とされています。
「ウォルト・ディズニーの約束」は、メリー・ポピンズの原作を読もうという気にならせてくれただけでも、見たかいがあったなと思う次第です。
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