パーフィックなH.E.ベイツのザ・ダーリン・バッズ・オブ・メイ

前回の記事に載せたブルーベルが、イギリスのあちこちの森林の地面を青く染めるこの季節、本棚から手にとって、ページをめくりたくなる本は、H.E.ベイツ(H.E.Bates)著、「 ザ・ダーリン・バッズ・オブ・メイ The Darling Buds of May」。ブルーベル、バターカップ、イチゴ、ナイチンゲール・・・そんなイギリスの初夏を連想させる言葉が沢山出てきます。

1958年出版のこの小説は、「ガーデン・オブ・イングランド」(イングランドの庭)と称される、豊穣なケント州の田舎を舞台にした大家族、ラーキン家の物語。「ザ・ダーリン・バッズ・オブ・メイ」は、H.E.ベイツによる、ラーキン家を主人公とした5つある小説のうちの最初のものです。私が読んだことがあるのは、この1作目のみ。比較的短く、1,2日で、ぱーっと読めます。イギリスの自然描写を楽しめるほか、コミカルなラーキン家の生活ぶりが面白く、また、戦後間もない、50年代イギリスの社会の様子が伺えるお勧めの一読。

直訳すると、「麗しき5月のつぼみ」となる題名は、瞬く間に過ぎていく、美しい季節と青春を歌ったシェークスピアの有名なソネットの一節からの引用です。

ざっとあらすじを紹介しますと、

シドニー・ラーキン(相性ポップ)は、ケント州にある、30エーカーの土地で、家畜を飼い、近郊の農場での収穫の手伝いの他、何でも屋のような事をして生計を立てる。内縁の妻であるマーと、6人の子供たちとにぎやかに楽しく生活。

子供たちの名がユニーク。乗馬に夢中な美しいお年頃の長女は、マリー・アントワネットを短縮した、マリエット。次女は春に生まれたプリムローズ。双子の女の子は、マーの大好きな花の名を取って、ペチュニアとジニア(ヒャクニチソウの事)。末っ子はヴィクトリア・プラムの実る季節に生まれたヴィクトリア。唯一の男の子は、戦時中の英雄モンゴメリー将軍から取った、モンゴメリー。

一度も税金たるものを払った事がないラーキン家に、5月のある金曜日、税務署から、青年セドリック・チャールトンが、調査に現れる。税金徴収用の書類に、ポップの詳細を記入しようと試みるものの、到着直後、以前、乗馬のショーで見かけたことがあるマリエットに紹介され、彼女の美しさに気もそぞろ。ポップに、税金の話をはぐらかされ、気が付くと、チャールトン氏は、一家と食卓につき、マリエットと森林を散歩し、次々と変わったカクテルを飲まされ、その晩は、マリエッとのパジャマを着て、ビリヤードテーブルの上をベッドに泊まる事となる。セドリックという名(小公子の主人公の名前ですね)は、なんだか牧師みたいで、人間的でないと、ラーキン家の面子は、彼をチャーリーと呼び始める。

かくて、マリエットと、自然の中での生活に魅了され、チャーリーは、ずるずると家族との滞在を延期。一家と共にイチゴ収穫の手伝いに出かけ、また、ラーキン家の敷地内での、乗馬ショーの開催を経験。ついには、マリエットにプロポーズとなります。そして、マーが、新しく、7人目の子供を妊娠したことも発覚となるのです。

出てくる話題から察するに、時代設定は、1950年代初頭の感じです。まだ、ガソリンの配給などが続いており、遅い時間のバスが打ち止めになってしまったのが、チャーリーが帰り損なう理由のひとつとなります。

更には、無料で国民に医療を施すNHS(エヌ・エイチ・エス)のサービスが始まったばかりで、ポップは、NHSに対しては、かなり批判的。NHSサービスの導入は、1948年の労働党政権下での事。もともと、税金には反対のポップは、青白い顔をするチャーリーに、「君は、政府にたっぷり税金払ったのだろうから、NHSをどんどん使え。」のような事を言ったりします。NHSは、あくまで保険。保険料(税金)を払っても、使うことが無ければ、それは、ラッキーと考えないと。反対に、重病にかかったり、事故で大怪我を負ったりすると、NHSのありがたさはひしひし。ポップの友人の医者は、NHSのおかげで、やることの無い暇人が診療室に押しかけるようになり、若い医者は患者を満足させるために必要の無い薬をばら撒くので、金の無駄と嘆くのです。気休めのための薬をばらまく傾向が強いという事に関しては、一理無い事もないですが。高齢化社会に向かう今の世の中、NHS経営の費用はうなぎ登り。いつまで、現状のままのサービスが続けられるのか・・・これは、少々、気になるところではあります。

こちらの税務署は、よーく間違えるのですよね、これが。オフィスで事務の仕事をしていた時に、間違った高額の税金を請求され、すぐ払わねば、利子つくぞと脅され、とりあえず払ったわいいが、間違い発覚で、払いすぎが判明。一度、金を手に入れると、これが、なかなか返してくれないのです。何回かこういう事があったので、わざと、間違って高い金額を言ってくるのではないかと思ったほど。そして、一体全体どんな奴が働いているんだ、などとも思ったものです。チャーリーのような真面目人間だったら、間違える事はないのかもしれないですが。また、政府への信頼が高い国の国民は、さほど納税を嫌がらない、という話を聞いたことがあります。ですから、北欧諸国は、ギリシャ、イタリアなどに比べ、死に物狂いで税金逃れをする人が少ないのだとか。あんなやつらに金払ったところで、何に使われるかわからないから・・・という事でしょう。

ただし、一切税金を払わない、というポップは、ちょっとねー。公共施設を一切使用しないで生活しているなら、まだしも、ロールスロイスを走らせて、道路も多用している彼、その道路の整備のお金なども、他人の払う税金のみに頼っているわけで。子供7人もいれば、そのうち、嫌いなNHSにも、かなりお世話になる事もあるでしょうし、学校だって税金で賄われているし。現金が少ないなどと嘆きながらも、土地を持っているおかげで、家畜も飼える、食物も育てられる。この時代の一般納税者達が、狭い貸家に住み、混みこみ電車の通勤で9時5時の仕事をしていたとしたら、牧歌的生活を楽しむラーキン家が、全く納税をしないとなると、やっぱり、不公平。少しくらいは、税金払いなよ・・・とは思った次第。不動産の値が上がる一方の最近のイギリスでは、親が土地と家を持っているか持っていないかで、子供の人生の難度が決まってきている感がありますし、家と土地を持つか持たないかが、広がりつつあるイギリスの落差社会の分岐線となってきています。

物語の中では、イチゴ摘みの様子が描写されていますが、この本によると、まず、通常、6月はいちご摘み、続いて7月の終わりまでチェリー摘みが行われ、8月には、プラムと梨、そして早いときにはりんご。9月もりんご摘みが続くほか、ビールの材料となるホップ摘み。そして10月にはじゃがいも掘り。大家族で、こうした季節労働を行うと、イチゴだけでも、なかなかの金額が稼げたという事です。特に、ケント州でのホップ摘みには、かつては、コックニー(東ロンドン住人)の労働者が大勢押しかけ、畑のそばに建てられた、プレハブの様な仮住まいでしばし生活しながら、ホリデーも兼ねて働いていた事で有名です。時代変わって、現在、農場での野菜果物の収穫をする労働者の95%は外人、特にポーランドをはじめとする東ヨーロッパからの季節労働者に頼っています。また、現在の、こうした外人季節労働者の3人に2人は男性。

うって変わって、物語の中でいちごを摘んだのは、全員イギリス人、しかも圧倒的多数が女性でした。天気が熱くなってくると、中には、ブラウスなどを脱ぎ捨て、ブラやシミーズ姿でいちごを摘む女性も出てくる。マリエットは、チャーリーに媚を売る女性にライバル意識を燃やし、彼女に食って掛かり、畑の真ん中で、ふたりは取っ組み合いの喧嘩を始めるのですが、他の女性達がこれを取り囲んで野次を飛ばす。おー、何とたくましい、まるでアマゾンの社会。そして、自分のために戦ってくれたマリエットに、チャーリーはさらにポッとなるのです。

酒好きのポップとマーは、しょっちゅう、何らかのアルコールを飲み、「ミルク」と言いながら、紅茶にウィスキーを注ぐ。カクテルの作り方の本以外、書物を読んだ事の無いポップは、チャーリーの語彙の豊富さと博学ぶりに敬意を覚え、特に、チャーリーが、adamant(確固とした)という、テレビですら聞いたことが無いような言葉を使った際には、口ぱっくりで、びっくりぎょうてん。更に、チャーリーは夜寝るときにパジャマを着るという上品ぶりなので、ポップのチャーリーへの尊敬は増える一方。

どっしりとした、おでぶちゃんのマーは、太る以前の若かりし頃は、マリエット同様、美人だったということになっています。貧しい戦後直後という時代背景にかかわらず、卵、牛乳はもちろん、自家製でまかなえるし、家畜のがちょうや豚もたらふく食べられるときて、彼らの食生活は豪快ですから、体重増えてもしかたがないか。ほがらかな彼女が笑うと体全身がゼリーの様にぷるぷる震えるという表現が可笑しく、パーティーの場面で、立ち話していたマーが場所を移動すると、その場所がいきなり大きな空洞になる、というのも愉快でした。

ポップの決まり文句はパーフィック!バーフェクトの事でしょうが、ポップには、景色はパーフィック、食べ物はパーフィック、ドリンクもパーフィック。もくもくとオフィス仕事をしてきたチャーリーは、マリエットに連れられて、ブルーベルの咲く森を散策し、初めてナイチンゲールの歌声を聞くのですが、物語の一番最後も、5月の夜、キッチンのドアを開け放して、森から流れてくるナイチンゲールの歌声をみんなで聞きながら、ポップが「パーフィック」をつぶやくところで終わります。ああ、そうですね、本当に、パーフィック!私のみに限らず、これを読み終わって、大きな田舎家に住み、勝手口のドアを開けると自分が所有するブルーベルの森へ繰り出す事ができ、家の中からも、ナイチンゲールが聞ける、ラーキン家の生活ぶりに、憧れてしまう人は多いことでしょう。

以前、当ブログで、この小説を基にしたテレビドラマに、長女マリエット役で出演した若き日のキャサリン・ゼタ=ジョーンズが、その輝く健康美と愛らしさから、一気にイギリス国内で人気者になったという事を書きました。(この記事はこちらまで。)チャーリーを競っての、いちご畑でのバトル・シーンでの彼女は、そこはかとないお色気も流れ、なかなかでした。

1991年から93年にかけての、このテレビドラマは、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ人気と、ポップとマーが適役であったのも手伝い、大好評で、1作目の放送後、同じ登場人物たちを使ったベイツの別の他の小説、また、クリスマススペシャルなどのために新しいストーリーが作られ、シリーズは全部で11話。良くある話で、1話が最高で、その後は、徐々に質が落ちていき、中には、ちょいと臭い巻きもあります。こういうのも、引き際が肝心ですね。

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