テンプル騎士団の建てた納屋、クレッシング・テンプル
久しぶりに、エセックス州クレッシング(Cressing)にある、クレッシング・テンプル(Cressing Temple)を訪れました。時折、クラフト・フェアーや、ファーマーズ・マーケットなどの催しが開かれる場所で、以前訪ねた際は、クラフト・フェアーをやっており、アート、クラフト系の屋台が立ち並び、敷地内でモリス・ダンスも見学したのでした。(この際の写真は、以前の記事、「モリス・ダンス」まで。)
テンプル(Temple 神殿)などと言っても、内部に神殿があるわけではありません。遡る事1137年、スティーブン王の時代に、スティーブン王の妃マティルダが、テンプル騎士団に、荘園として、この地を与えたのが、名前の由来です。クレッシングは、イングランド内では、一番最初にテンプル騎士団たちに与えられた土地でありました。スティーブン王は、正当な王位継承者と言うには、いささか問題ありの人であったし、王位継承問題で内戦に悩まされた時代でもあったため、テンプル騎士団の様な宗教団体の庇護者と見られることは、大切だったのかもしれません。神様を味方につけるためにも。
ロンドン内の、現在は法律の地域として知られるテンプルも、テンプル騎士団が有した場所でしたね、そういえば。あちらは、テンプル教会というテンプル騎士団の教会もまだ残ってます。
クレッシング・テンプルの敷地内で、一番目に付くのは、バーン(barn)と称される、巨大な中世の2つの木造納屋。大麦納屋と小麦納屋。テンプル騎士団が、周辺で収穫した穀物を貯蔵した場所です。貯蔵された穀物は、地元で売られる事もあり、そのまま中東の聖地まで送られることもあり。
第一次十字軍遠征の後、エルサレムで、キリスト教国からの巡礼者達を守るために設立されたテンプル騎士団が、徐々に、現代の大きな国際企業さながら、キリスト教国の各地に土地を獲得し、富を成し、活動を広げていった、その威力のほどがうかがわれる建物です。当時は、納屋の他にも、チャペルや、大広間、キッチン、鍛冶場など、荘園としての経営に必要なものは全て整っていたわけでしょうが、テンプル騎士団の時代に建設され、現在も残るのは、この2つの納屋と井戸のみ。
13世紀前半に建てられた大麦納屋。現存する、世界で一番古い木造建築の納屋・倉庫とされています。それでも、後に、少しずつ、手が入って、当時と比べ、多少形は変化しているようですが。
大麦納屋の内部。
小麦納屋が建設されたのは、13世紀後半とされます。形自体は、大麦納屋よりも原型をとどめているという事。
こちらが内部。こうした骨組みの作り方は、1300年以降は用いられなくなったのだそうで、そういう意味でも貴重な建物のようです。
騎士団時代に遡る井戸。中を覗くと、もう水は無いですが、わりと深いものです。はしごがかかっていました。
テンプル騎士団がローマ法王により正式に解散となるのは、1312年ですが、1310年には、すでに、イングランドのエドワード2世が、クレッシング・テンプルをテンプル騎士団から取り上げ、別の宗教団体である聖ヨハネ騎士団(ナイツ・ホスピタラー、Knights Hospitaller)に授与しています。そして、しばらく、クレッシングは、聖ヨハネ騎士団の荘園として、同団体に営利をもたらす事となります。やはり、裕福だったのでしょう、1381年に起こった農民の反乱、ワット・タイラーの乱で、襲撃の対象のひとつとなり、金目の物は盗まれ、本などを焼き落とされるという憂き目に会っています。
ヘンリー8世のイングランドの宗教改革により、聖ヨハネ騎士団からも土地が没収されてしまった後は、個人の手を点々と渡り、その間、いくつかの他の建物も壊されては、再建され、多少の変化を見。現在、クレッシング・テンプルは、エセックス州自治体所有で、一般に公開されています。
この場所で一番好きなのは、綺麗に再現された、赤レンガの塀に囲まれた、チューダー時代のウォールド・ガーデンですね。ハーブなどがあちこちに植えられています。
昨今、地方自治体の財政状態は悪化で、色々なサービスの削減などを行っていますが、クレシング・テンプルも、その節約の一環となり、訪れた日に、受付の女性が、少々涙ぐんだ目で「今日は、ここでの私の仕事最後の日。ほとんどの人員が解雇された・・・」などと言っていました。そのため、ちょっと一服用に、あてにしていた内部のカフェもクローズされていました。残念。これからは、最小の人員できりもりするようです。
そういえば、今回の解雇をまるまる免れた一人は、園芸担当の人だと言っていた気がします。ウォールド・ガーデンの世話をしている人でしょう。
こんな歴史ある美しい場所、完全閉鎖などになっても嫌だし、気の毒なので、ウォールド・ガーデンの外にある植物販売コーナーで5鉢ほど植物を購入。コテージガーデン風の可憐な植物たちが並んでいましたから。私が、植物買ったからって、メンテナンスの役に立つような金額からはほど遠く、気休めですけどね。まあ、敷地内のトイレのトイレットペーパーは、何個か買えるかな、これで。だから、糞の役にも立たないわけではない・・・。普通のガーデンセンターで、あまり見ないような植物を購入できたし、それはそれで、ハッピーです。
納屋は、上記フェアの他にも、結婚式ヴェニュー等として貸し出され、それも収入源となっているようです。
と、いう事で、次回は、ここの納屋を建てた、テンプル騎士団について、もう少し詳しく書く事にします・・・こちら。
追記
これを書いた1年後、再訪した際、ティールームは新しい会社により経営されて繁盛しており、納屋もガーデンも、しっかりオープンしていました。めでたし、めでたし。再開したティールームについては、こちらまで。
テンプル(Temple 神殿)などと言っても、内部に神殿があるわけではありません。遡る事1137年、スティーブン王の時代に、スティーブン王の妃マティルダが、テンプル騎士団に、荘園として、この地を与えたのが、名前の由来です。クレッシングは、イングランド内では、一番最初にテンプル騎士団たちに与えられた土地でありました。スティーブン王は、正当な王位継承者と言うには、いささか問題ありの人であったし、王位継承問題で内戦に悩まされた時代でもあったため、テンプル騎士団の様な宗教団体の庇護者と見られることは、大切だったのかもしれません。神様を味方につけるためにも。
ロンドン内の、現在は法律の地域として知られるテンプルも、テンプル騎士団が有した場所でしたね、そういえば。あちらは、テンプル教会というテンプル騎士団の教会もまだ残ってます。
クレッシング・テンプルの敷地内で、一番目に付くのは、バーン(barn)と称される、巨大な中世の2つの木造納屋。大麦納屋と小麦納屋。テンプル騎士団が、周辺で収穫した穀物を貯蔵した場所です。貯蔵された穀物は、地元で売られる事もあり、そのまま中東の聖地まで送られることもあり。
第一次十字軍遠征の後、エルサレムで、キリスト教国からの巡礼者達を守るために設立されたテンプル騎士団が、徐々に、現代の大きな国際企業さながら、キリスト教国の各地に土地を獲得し、富を成し、活動を広げていった、その威力のほどがうかがわれる建物です。当時は、納屋の他にも、チャペルや、大広間、キッチン、鍛冶場など、荘園としての経営に必要なものは全て整っていたわけでしょうが、テンプル騎士団の時代に建設され、現在も残るのは、この2つの納屋と井戸のみ。
13世紀前半に建てられた大麦納屋。現存する、世界で一番古い木造建築の納屋・倉庫とされています。それでも、後に、少しずつ、手が入って、当時と比べ、多少形は変化しているようですが。
大麦納屋の内部。
小麦納屋が建設されたのは、13世紀後半とされます。形自体は、大麦納屋よりも原型をとどめているという事。
こちらが内部。こうした骨組みの作り方は、1300年以降は用いられなくなったのだそうで、そういう意味でも貴重な建物のようです。
騎士団時代に遡る井戸。中を覗くと、もう水は無いですが、わりと深いものです。はしごがかかっていました。
テンプル騎士団がローマ法王により正式に解散となるのは、1312年ですが、1310年には、すでに、イングランドのエドワード2世が、クレッシング・テンプルをテンプル騎士団から取り上げ、別の宗教団体である聖ヨハネ騎士団(ナイツ・ホスピタラー、Knights Hospitaller)に授与しています。そして、しばらく、クレッシングは、聖ヨハネ騎士団の荘園として、同団体に営利をもたらす事となります。やはり、裕福だったのでしょう、1381年に起こった農民の反乱、ワット・タイラーの乱で、襲撃の対象のひとつとなり、金目の物は盗まれ、本などを焼き落とされるという憂き目に会っています。
ヘンリー8世のイングランドの宗教改革により、聖ヨハネ騎士団からも土地が没収されてしまった後は、個人の手を点々と渡り、その間、いくつかの他の建物も壊されては、再建され、多少の変化を見。現在、クレッシング・テンプルは、エセックス州自治体所有で、一般に公開されています。
この場所で一番好きなのは、綺麗に再現された、赤レンガの塀に囲まれた、チューダー時代のウォールド・ガーデンですね。ハーブなどがあちこちに植えられています。
昨今、地方自治体の財政状態は悪化で、色々なサービスの削減などを行っていますが、クレシング・テンプルも、その節約の一環となり、訪れた日に、受付の女性が、少々涙ぐんだ目で「今日は、ここでの私の仕事最後の日。ほとんどの人員が解雇された・・・」などと言っていました。そのため、ちょっと一服用に、あてにしていた内部のカフェもクローズされていました。残念。これからは、最小の人員できりもりするようです。
そういえば、今回の解雇をまるまる免れた一人は、園芸担当の人だと言っていた気がします。ウォールド・ガーデンの世話をしている人でしょう。
こんな歴史ある美しい場所、完全閉鎖などになっても嫌だし、気の毒なので、ウォールド・ガーデンの外にある植物販売コーナーで5鉢ほど植物を購入。コテージガーデン風の可憐な植物たちが並んでいましたから。私が、植物買ったからって、メンテナンスの役に立つような金額からはほど遠く、気休めですけどね。まあ、敷地内のトイレのトイレットペーパーは、何個か買えるかな、これで。だから、糞の役にも立たないわけではない・・・。普通のガーデンセンターで、あまり見ないような植物を購入できたし、それはそれで、ハッピーです。
納屋は、上記フェアの他にも、結婚式ヴェニュー等として貸し出され、それも収入源となっているようです。
と、いう事で、次回は、ここの納屋を建てた、テンプル騎士団について、もう少し詳しく書く事にします・・・こちら。
追記
これを書いた1年後、再訪した際、ティールームは新しい会社により経営されて繁盛しており、納屋もガーデンも、しっかりオープンしていました。めでたし、めでたし。再開したティールームについては、こちらまで。
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