村の鍛冶屋

私の住んでいる町の一番古い部分にあるのは、昔はマーケットが開かれた、ちょっとした丘の上にある14世紀前半に建てられた教会と、一群の趣の良い建物。そのひとつ(上の写真)は、14世紀後半に建築され、長い間、鍛冶屋として使われ続けてきた建物です。移動や労働を馬に頼っていた時代、馬の蹄鉄(ホースシュー)を作ったり修繕する鍛冶屋は、どんな集落にも必須の商売。マーケットに買出しにやってきて、ついでに、この鍛冶屋で蹄鉄を直し、仕上げに、向かいのパブでひっかける・・・などという昔の営みが思い起こされます。蹄鉄は、幸運を呼ぶラッキーチャーム(幸運のお守り)と言われ、うちの玄関口にも、さびさびの蹄鉄が飾ってあります。春の大掃除もかねて、この蹄鉄、少々、磨きを掛けて、くもの巣も払っておかないと。

さて、つい最近までも、この古い建物は鍛冶屋として経営されていました。当然、現在では、馬の蹄鉄を作る需要は、あまり無いでしょうが、数年前に、庭においてあるベンチの鉄の支えの部分が壊れ、この鍛冶屋へ持って行き、修繕してもらった経験があります。

うちのベンチを修繕してくれている様子を取ったものが上の写真。

鍛冶屋のお兄さんに、こうして、ささっと溶接してもらって、たしか8ポンドくらいの値段だったと思います。せっかくの美男子だったので、マスクを取ったところの写真も取らせてもらいました。ちょとした物を直してもらえる、昔ながらのこういう店いいな、といたく感動したのでした。

ところが、去年の秋に、この鍛冶屋が売りに出ているのに気付きました。商売大変なんでしょうか。うちのベンチを8ポンドで直したところで、大した収入にはならないし。大きな仕事がどのくらいはいるのかもわからないし。この建物の販売には、鍛冶屋として商売を続ける、というのが条件となっているので、いまだ、売れていません。かなり時間かかるでしょうね。不動産の値段が非常に高い上、商売にかかるビジネス・レイト(税金)も高いこの国。伝統の職業と建物を維持するために、鍛冶屋として続けるという条件をつけたいなら、こういう、あまり金になりそうも無い商売は、ビジネス・レイトを掛けない、などのような処置をしないと、成り立たないのではないでしょうか。あのお兄さんは、どうしたのでしょう。新商売を始めたのか、別な場所に移って、まだ鍛冶屋をしているのか。

町のハイストリート(目抜き通り)は、最近、チェーン店ばかりで、どこの町へ行っても特徴がなく、みな同じ、という傾向です。小規模ビジネスが、町に店を出してやっていけるご時勢ではないのです、残念ながら。

子供のとき、東京の下町にあった祖母の家の隣が鍛冶屋で、時々、工場で、火花を散らして作業しているのを覗きに行ったりしていたものです。あの鍛冶屋も気がつくと無くなっていました。

しばしも休まずつち打つひびき
飛び散る火花よ 走る湯玉
ふいごの風さえ 息をもつがず
仕事にせい出す 村の鍛冶屋

などという「村の鍛冶屋」という歌も小学校で習いましたが、今でも歌われているのでしょうか、こういう古い歌詞のもの。現代の子供は、鍛冶屋がどういうものかのイメージもあまり無いのではないでしょうか。

祖母の家のそばには、自転車に乗った紙芝居屋さんも来ていました。紙芝居の始まる前に、10円くらいの駄菓子を紙芝居叔父さんから買って、それをポリポリしながら、近所の子供と一緒に紙芝居を見たものです。ラッパを鳴らして回ってくるとうふ売りも来ており、らっぱの音を聞くと、祖母がつっかけサンダルで、鍋を持って買いに出ていました。近所にあったお茶屋さんは、大きな箱詰めになったお茶を量って売ってくれていたのも覚えています。

ところで、鍛冶屋は英語でブラックスミス(Blacksmith)。ブラックは鉄などの金属を指し、スミスというのは、ドイツ語のシュミット同様、職人の意味の言葉。スミスはまた、アングロサクソン時代に遡り、「打つ」の意味もあるようで、金属を打つ=鍛冶屋となるわけ。場所、建物としての鍛冶場は、英語でフォージ(forge)。これは、また、動詞として、「鍛造する、捏造する」の意味でも使われる言葉です。

「スミス」というのは、イギリスで一番多い苗字で、特に「ジョン・スミス」となると、日本の「山田太郎」にあたる名前で、何かの書類を記入する時の見本などに使われるような、よくある名前の典型。思い出すのは、いつぞやか、大陸ヨーロッパ旅行でヒースローから飛行機に乗った際の出来事。スチュワーデスが回ってきて、「ミスター・スミス!」と呼んだ時、おそらくスミスという苗字の、ある家族が、全員で声を合わせて「Which Smith!?」(どのスミスさんの事?)と叫んで、大爆笑していました。スミスという苗字が多いから、しょっちゅう繰り返す、家族のお定まりジョークなのでしょう。

職業がもとになる名前は、他にもいくつかあります。わらぶき屋根を葺くサッチャーさんもそうですし、パン屋のベーカーさん、仕立て屋のテーラーさん。ミラーさん(Miller)は、風車などを回して小麦を製粉していた職業からきています。

イギリス中にいるスミスさんの全員が、ご先祖様が鍛冶屋というわけではないでしょうが、昔から、良くある名であったため、自分の素性や家系をごまかしたい人物が、スミスという名に改名したりする事などもあったようです。「名前変えたいな、何にしようか、イギリスっぽい名前。うーん、スミスでいいや。」てな事でしょう。せっかく苗字を変えるのなら、もっと華麗な名前にしてもよさそうだ、という気もしますが、ありきたりの名の方が、人目を引かずに、すぐ社会に溶け込めるのでしょう。良く、インドからイギリスへ移住してきた人たちが、母国での自分のカーストを隠す意味もあるのか、パテルと改名する人が多いといいます。そんなこんなで、パテルさんと呼ばれる、インド人は、この国沢山いますが、似たようなものでしょうね。

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