北から眺めるロンドン・スカイライン今昔
ロンドンのプリムローズ・ヒル(Primrose Hill)は、リージェンツ・パークのすぐ北にある公園。中世の時代は、鹿やイノシシもいた森であったのを、エリザベス朝に木々が取り除かれ牧草地となります。プリムローズ・ヒルという名前は、かつて、この地一面に咲いていたプリムローズからきたもの。
他の有名なロンドンの公園に比べると比較的小さめですが、この63メートルの丘の上から、南斜面を臨んだ地平線には、遮るもの無く、ロンドンのスカイラインが一面に広がります。私が前回ここに立った時は、当然シャードなども無く、地平線から突き出す建物の数はもっと少なかったはずです。そして、時代をもっと戻せば、木々のかなたに望めるのは、セント・ポール寺院のドームと、今は高層ビルの陰に潜む多くの教会の尖塔だけだったのでしょう。
セント・ポールのあるシティー西側は、寺院のドームの眺めの阻害にならないように、高層ビルの建設には規制がかけられているようですので、昨今の新しい高層ビル建設は、主にシティーの東側に集中します。どれだけ奇抜な形のビルを作れるか・・・の競争のような感じで、次から次へと、妙な建物がにょきにょきと地平線から生えてくる感じです。今話題の新しいビルは、地階に比べ、上階が外に突き出している、頭でっかちのビル・・・人呼んでウォーキートーキー(トランシーバーの意)。上の写真の左手のものです。今年の夏のとある暑い日、このウォーキートーキーの上階のガラスに、お日様がぎらぎらと照りつけ、その反射した日差しで、ビルの下にとまっていた高級車の一部が溶けてしまった、というお笑いの様なニュースがありました。虫眼鏡で日の光を集め、紙に焼き穴を開けた、子供時代の化学の実験を思い出した次第。
1964年に完成したテレコムタワー(上の写真右)は、建設当時はロンドンで一番高い建物でしたが、今やご老公様で、「最近の若い者は背が高いのう。」というところでしょう。ちなみに、一番上の写真でテレコムタワーが、一番背が高く見えるのは、距離が他の高層より近いためですので、あらかじめ。
上の絵は、18世紀後半に描かれた、風刺画家アイザック・クルックシャンクによる「パスタイム・オブ・プリムローズ・ヒル(プリムローズ・ヒルでの余暇)」。すでにこの頃から、ロンドンの景色を楽しむ丘として、この絵の様に、多くの人たちが家族連れで、えっちら斜面を登ってやって来たのでしょう。この絵のスカイラインを我が物顔で占領しているのは、やはりセント・ポール寺院。プリムローズ・ヒルの丘の上は、19世紀には、決闘をする場所としても、使われたなどと言います。
さて、プリムローズ・ヒルから更に北へ移動。こちらは、ハムステッド・ヒース内南部のパーラメント・ヒル(Parliament HIll)からの眺め。こちらも、ロンドンを眺める場所として、ヒース内の人気スポットです。97メートルの丘。キーツ、シェリー、またその以前にはアディソン、ポープなどの文化人達も、この場所によく足を運んだと言います。
プリムローズ・ヒルより、ロンドンからの距離が遠のく分、地平線までの景色がもっと、ごちゃごちゃとし、また、(これは前景に生えている木のために)地平線も途中で途切れて、一気に全部スカイラインを眺めることはできませんが。
以前は、トレーターズ・ヒル(反逆者たちの丘)としても知られたこの地が、パーラメント・ヒル(議会の丘)と呼ばれるにいたった理由は、1605年の11月、ガンパウダー・プロットでジェームズ1世ともども、議会を爆弾で吹っ飛ばそうと企んだ、ガイ・フォークスを含むカトリックの反逆者たちが、この地に集まって、「やったぜ、わっはっは!」と燃え上がる議事堂を眺めようと計画していた事から。ご存知の通り、ガイ・フォークスは未遂で捕まり、反逆者たちは逮捕処刑され、計画はおじゃんとなってしまうわけですが。
そういえば、ハムステッドにあるナショナル・トラスト所有の屋敷、フェントン・ハウスの窓からも、シティーの景色が見えたと記憶しています。
今では、ここから北を望んだ風景の方が綺麗だし、ハムステッド・ヒースの大きさを感じられ、気分がのびのびします。
上の絵は、画家のジョン・コンスタブルが、ハムステッドに移り住んだ1827年に描いたもので、ハムステッド・ヒースから眺めるロンドン。遠景に見えるセント・ポール以外はほとんど建物とて無く、前景にはロバが・・・。これは、まだ、本当の田舎の風景。このまま、すたこら一直線に、この絵の中を、ロンドン中心部まで歩いていけそうです。まあ、この頃は、ハムステッドはもちろん、ロンドン自体も、人口はずっと少なかったわけですから。コンスタブルが住んだハムステッドの家の写真等は、前回の記事の最後の部分をご参考下さい。
世界都市として人口が増えていくにつれ、建物が増えていくのは避けられない。特に、横への広がりが、行き着くところまで行ってしまったら、後は、上へ上へと、高いビルが建っていく事も必至。今から100年後、プリムローズ・ヒル、パーラメント・ヒルに立ったら、いったいどんな地平線が広がっているのでしょうか。まあ、地平線がどんなに様変わりしようと、イギリスがブレードランナーの様な世界になっていない限り、このふたつの丘が建物に覆われて消えることは、まずないでしょう。
他の有名なロンドンの公園に比べると比較的小さめですが、この63メートルの丘の上から、南斜面を臨んだ地平線には、遮るもの無く、ロンドンのスカイラインが一面に広がります。私が前回ここに立った時は、当然シャードなども無く、地平線から突き出す建物の数はもっと少なかったはずです。そして、時代をもっと戻せば、木々のかなたに望めるのは、セント・ポール寺院のドームと、今は高層ビルの陰に潜む多くの教会の尖塔だけだったのでしょう。
セント・ポールのあるシティー西側は、寺院のドームの眺めの阻害にならないように、高層ビルの建設には規制がかけられているようですので、昨今の新しい高層ビル建設は、主にシティーの東側に集中します。どれだけ奇抜な形のビルを作れるか・・・の競争のような感じで、次から次へと、妙な建物がにょきにょきと地平線から生えてくる感じです。今話題の新しいビルは、地階に比べ、上階が外に突き出している、頭でっかちのビル・・・人呼んでウォーキートーキー(トランシーバーの意)。上の写真の左手のものです。今年の夏のとある暑い日、このウォーキートーキーの上階のガラスに、お日様がぎらぎらと照りつけ、その反射した日差しで、ビルの下にとまっていた高級車の一部が溶けてしまった、というお笑いの様なニュースがありました。虫眼鏡で日の光を集め、紙に焼き穴を開けた、子供時代の化学の実験を思い出した次第。
1964年に完成したテレコムタワー(上の写真右)は、建設当時はロンドンで一番高い建物でしたが、今やご老公様で、「最近の若い者は背が高いのう。」というところでしょう。ちなみに、一番上の写真でテレコムタワーが、一番背が高く見えるのは、距離が他の高層より近いためですので、あらかじめ。
上の絵は、18世紀後半に描かれた、風刺画家アイザック・クルックシャンクによる「パスタイム・オブ・プリムローズ・ヒル(プリムローズ・ヒルでの余暇)」。すでにこの頃から、ロンドンの景色を楽しむ丘として、この絵の様に、多くの人たちが家族連れで、えっちら斜面を登ってやって来たのでしょう。この絵のスカイラインを我が物顔で占領しているのは、やはりセント・ポール寺院。プリムローズ・ヒルの丘の上は、19世紀には、決闘をする場所としても、使われたなどと言います。
さて、プリムローズ・ヒルから更に北へ移動。こちらは、ハムステッド・ヒース内南部のパーラメント・ヒル(Parliament HIll)からの眺め。こちらも、ロンドンを眺める場所として、ヒース内の人気スポットです。97メートルの丘。キーツ、シェリー、またその以前にはアディソン、ポープなどの文化人達も、この場所によく足を運んだと言います。
プリムローズ・ヒルより、ロンドンからの距離が遠のく分、地平線までの景色がもっと、ごちゃごちゃとし、また、(これは前景に生えている木のために)地平線も途中で途切れて、一気に全部スカイラインを眺めることはできませんが。
以前は、トレーターズ・ヒル(反逆者たちの丘)としても知られたこの地が、パーラメント・ヒル(議会の丘)と呼ばれるにいたった理由は、1605年の11月、ガンパウダー・プロットでジェームズ1世ともども、議会を爆弾で吹っ飛ばそうと企んだ、ガイ・フォークスを含むカトリックの反逆者たちが、この地に集まって、「やったぜ、わっはっは!」と燃え上がる議事堂を眺めようと計画していた事から。ご存知の通り、ガイ・フォークスは未遂で捕まり、反逆者たちは逮捕処刑され、計画はおじゃんとなってしまうわけですが。
そういえば、ハムステッドにあるナショナル・トラスト所有の屋敷、フェントン・ハウスの窓からも、シティーの景色が見えたと記憶しています。
今では、ここから北を望んだ風景の方が綺麗だし、ハムステッド・ヒースの大きさを感じられ、気分がのびのびします。
上の絵は、画家のジョン・コンスタブルが、ハムステッドに移り住んだ1827年に描いたもので、ハムステッド・ヒースから眺めるロンドン。遠景に見えるセント・ポール以外はほとんど建物とて無く、前景にはロバが・・・。これは、まだ、本当の田舎の風景。このまま、すたこら一直線に、この絵の中を、ロンドン中心部まで歩いていけそうです。まあ、この頃は、ハムステッドはもちろん、ロンドン自体も、人口はずっと少なかったわけですから。コンスタブルが住んだハムステッドの家の写真等は、前回の記事の最後の部分をご参考下さい。
世界都市として人口が増えていくにつれ、建物が増えていくのは避けられない。特に、横への広がりが、行き着くところまで行ってしまったら、後は、上へ上へと、高いビルが建っていく事も必至。今から100年後、プリムローズ・ヒル、パーラメント・ヒルに立ったら、いったいどんな地平線が広がっているのでしょうか。まあ、地平線がどんなに様変わりしようと、イギリスがブレードランナーの様な世界になっていない限り、このふたつの丘が建物に覆われて消えることは、まずないでしょう。
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