りんごの木のある古い庭

初めてロンドンに住み始めた頃にシェアしていた家の庭にりんごの木があったためか、イギリスの庭にはりんごの木がある・・・というのが、イメージとして定着していました。ニュートンだって、思考の発展にはりんごの木が必要だったわけですし。 1960年代に建てられた我が家の庭の奥の方にも、おそらく最初の住人が植えた古いりんごの木があります。両隣の家の庭にも、かつては、りんごの木がありましたが、片側は、30代前半の夫婦が引っ越してきてすぐに、切り落としてしまい、もう一方のお隣さんは、年寄りだから、芝が刈りやすいようにと、気がつくと、引っこ抜いてしまっていました。今は、この隣人、更に手入れを簡単にしようと、花壇も全て排除し、芝だけ。2週間に一回、庭師が来て芝刈りをするだけの、まるでテニスコートのような庭となってしまっています。 その更に1件先のおばあさんの庭は、昔ながらのイギリスの庭。りんごの木はそのまま取ってあり、芝生は花壇で囲まれ、半分朽ちかけた木製のピクニックテーブルが置かれ。やはり、もう手入れが大変だからと、芝は庭師が刈りに来て、私がたまに草むしりでもしてあげないと、花壇は雑草ぼうぼう。草むしり後の地面に、うちで育てた夏の花を少し分けて植えてあげようか、と言っても、「手入れが出来ないからいい。バラがあるし。」それでも、それなりに、オールドファッションな魅力があり、この周辺では、一番好きな庭でした。りんごの木は、毎年冬の前に、形を整え、伸びすぎた枝を切り落としていたので、放ってあるうちのものより、綺麗な形で、春には白い花、夏は緑に覆われ、秋にはピカピカした真っ赤な実を付ける様子が、うちの2階の寝室から伺えて、私には、朝、カーテンを開くたび、季節を感じる目安のひとつでした。 このおばあさん、今月のある日、友達とお出かけした帰り、 お土産の苺 を持ってうちに寄って来てくれ、ちょっと座ってお喋りしてから自宅へ帰っていったのですが、同じ日の夜、いきなり脳卒中を起こし、数日後、病院で亡くなってしまいました。私たちが病院に見舞いに行ったときには、すでに2度目の卒中を起こし意識無く、その翌日亡くなりました。80代ですから、寿命・・・と言ってしまえばそれまでですが、社交的に出歩くタイプの人だったし、また、お喋りをした1週間後にもうこの世にいないというのは、かなりびっくりです。彼...