透明人間

H.G.ウェルズ著、1897年作の「The Invisible Man」(透明人間)は、「フランケンシュタイン」「ジキル博士とハイド氏」よろしく、化学の力によって得られる可能性に陶酔し、自分を見失うサイエンティスト、グリフィンが主人公。サイエンスというのは、進歩にも繋がるが、悪に通じる事もある、という理由からか、こうした、道をはずした化学者、気違い化学者の話は多いのです。

*****

吹雪のある夜、イギリスはウェストサセックス州の小さな村、アイピング(Iping、実在の村)にある、ホール夫妻経営のイン(居酒屋兼宿屋)に妙な男が現れ、部屋を借りる。コートに帽子、手袋の他に、頭は包帯でぐるぐる巻き、ゴーグルの様なメガネをかけ、部屋に入った後も、人前では、コートすら取ろうともしない。長期、宿に滞在しながらも、日中は、なにやら部屋にこもったまま、実験の様な事を繰り返し、外の世界との交渉はほとんど無く、村の噂の種となる。

数ヶ月経ち、滞った宿代の事で、ホール夫妻との言い争いの後、この謎の人物は、捕らえようとする村人達を相手に、透明人間であったという事を利点に、服を脱ぎ捨て、大暴れをしながら村から逃げ出す。たまたま道で見かけた浮浪者のマーヴェルを脅かし、自分のアシスタントとする。彼に、宿に置いてきた、実験の記録を綴る3冊の本を取ってこさせるのだが、マーヴェルは、本を抱え、更には盗んだ金も持って、透明人間をまいて、港町まで逃げる。怒った透明人間は、マーヴェルの隠れる居酒屋へ乗り込むが、町民の一人にピストルで撃たれ、命からがら、近くの屋敷に逃げ込む。この屋敷がたまたま、ロンドンの大学で共に学んだドクター・ケンプの家であった。透明人間は、ケンプに、宿と食べ物を請い、自分はグリフィンであると告げ、いかにして透明人間になるに至ったかを説明する。

グリフィンの話によると・・・彼は、ロンドンのグレート・ポートランド・ストリート周辺の貧民街に宿を借り、身体を透明にする研究に日夜励んでいた。金が尽きた際、父から金を盗み、必要な道具や薬品を購入する事までする。この盗んだ金は、父が借金した金であったため、返済のできなくなった父は自殺。父の葬式に参列しながらも、事実を告げ、父の汚名を晴らす事もせず、後悔を感じるでもなく、夢中で研究を続ける。透明になる術をマスターしたグリフィンは、宿の大家と不和になると、宿に放火をし、洋服を脱ぎ捨てた透明の姿で、ロンドンの町へ消える。寒さの中、食べ物と、洋服の必要性から、初めは、ロンドン内の大きなデパートへ乗り込むが、警備が硬く失敗。のち、劇場衣装小物などを扱う小さな店に紛れ込み、衣装で身を包んだのち、アイピングへ。そして、アイピングのインで、透明の姿から元へ戻る術の研究を行っていた。

グリフィンは、ケンプに、共同で研究を行い、透明である事を利用して、時折、殺人などを犯しながら、恐怖により世界を支配しようと誘う。グリフィンがすでに、人道を逸していると感じたケンプは、グリフィンが寝ている間に、警察等に連絡。裏切られたと知ったグリフィンは、一度逃げるものの、ケンプへの復讐のため、再びケンプ宅に戻る。ケンプは、命からがら、透明人間から、逃げ回る事となるが、やがて、地元の人間達の助けも借りて、逆にグリフィンを追い詰め、グリフィンは、地元の人間達の手で殺され、死後、見えなかった身体が現れる。

エピローグでは、浮浪者マーヴェルが盗んだ金で「透明人間」なるインを開き、その主人となっており、グリフィンの実験記録を残した3冊の本を、秘密に、大切にとってあった事がわかる。マーヴェルは、室内に誰もいないのを確認しては、よくこの本を引き出し、読みながら、「自分が透明になれたら、彼のようなことはしない。自分だったら・・・」と色々と思いをめぐらすのであった。

*****

さて、私が、透明人間になれたら、何をしようかな。まず、頭に浮かぶのは、劇場やら展覧会、スポーツ大会、コンサートなど、「全て、ただで入って見れるぞっ」というせこい考えでしょうか。今年の夏のオリンピックでボルトが走るのも、見れる。チケット申し込んだのに当たりませんでしたから。見れるどころか、隣で(というか、後ろから)一緒に走る事もできるのです。ただ、透明を保つためには、洋服を着れないので、屋外のものは、夏の暖かい日に限られてしまうというのがちょっとマイナス。あと、あまり混んでいる場所だと、靴を履いていないので、他人に足を踏まれたりしたら、痛いでしょうね。都会は、割れた瓶やガラスなどが落ちていると危ないし。旅行も、無料でできますね。飛行機はシートベルトをせねばならぬので、だめでしょうが、船旅や、電車だったらいけるかな。パスポートも要りませんもん。シベリア鉄道などは、全身凍結してしまうかもしれませんが。

そして、「透明人間冒険日記」というブログを作り、「本日は、透明になって、こんなすばらしい事をした。普通の人間の君達には、どう転がってもできないであろうな。わっはっはっはっはっは!」と、びっくりするようなアドベンチャーをつづることもできるのです。

透明の身体でも、何でも、食事の直後しばらくは、食べたものが見えてしまうという事なので、食事の際は、どこかにこそこそ隠れて食べる必要があります。でも、食べたものが、身体に吸収されるまで見えてしまうのなら、逆に、腸に溜まってきたウンコなども、見えてしまうのではないか・・・と素朴な疑問が浮かんでくるのです。理屈をこいていたらSFは楽しめないので、あまり深く考えない方がいいですか。

これは、当然、何度か、映画化、ドラマ化されています。ストーリーそのものよりも、透明人間をどう表現するかが、作る側としては腕のみせどころでしょう。

私が見たことがあるのは、1933年のものだけです。映画公開当時、まだH.G.ウェルズは生きてましたから、それは古い映画ですが、今見ても、かなりいけます。透明人間が、椅子に座ると、ぽこっと、椅子の座る部分がくぼむ、頭も足もないガウンだけが動いて、パイプのけむりが、見えない口から吐き出される。

この映画の、出だしの部分は特に、金切り声を張り上げる宿の女将さんや、いかにも、頼りにならない風体の村のお巡りさん、単純な村人達の様子が、コメディータッチで、可笑しいのです。

映画では、グリフィンは、ケンプと共に、クレンリイ博士なる人物の下で研究をしていた貧しい化学者という設定です。そして、金と名声になる発見をしたいと、こそこそ透明人間になる研究をし、透明と化した後、元の姿に戻る術を見つけ出すため、姿をくらまし、田舎の村の宿で、研究を続けようとする。博士の娘フローラとは恋仲にあったという事になっており、フローラのためにも栄誉を得たかったというのも理由のよう。やっぱり、ロマンスをちらっと入れないとね、という慮りでしょうか。ケンプを説得して、相棒にしようと試みた後、裏切られると、グリフィンは、ケンプを殺す事に成功。グリフィンは、最終的には、警察に包囲され、撃たれてしまうのですが、死ぬのは、病院へ移されてから、愛するフローラに看取られて、後悔の念を告げながらとなります。グリフィンが透明人間になってから、残忍な行為に走る理由として、使用した薬品が影響しているというような説明も入っています。

マーヴェルの役柄が、映画では丸々削除されていました。このキャラクターは、味があるので、彼が出てこないのは、私は、ちと残念ですが、エンターテイメントとしては花丸映画です。

原題:The Invisible Man
監督:James Whale
言語:英語
1933年

コメント