なつかしのレース編みテーブルセンター
子供の頃、一時、私の母親の世代のママさんたちの間で、レース編みが流行したのを覚えています。特に円形の花のパターンのテーブルセンターは人気で、わりと多くの家庭で見かけた記憶があるのです。
お裁縫や編み物などの手芸タイプのものには、一切の興味を示さないうちの母親ですら、この流行の風にちょいと吹かれて、ピアノのふたの上に掛ける長方形カバーや、ピアノの丸いすの円形カバーなどを作ったのですから、その流行度は、たいしたものだったのでしょう。ただし、母親の作品は、きめ細やかなパターンとはかけ離れた、チェス板模様で、長方形も円形も、形がいささかひしゃげておりました。そして、この2つだけを作り、彼女は、すぐ、飽きて、やめてしまっていました。ママさん劇団の切り回しなどで、外で活躍するのが好きな人だったので、こういう事をやろうとしただけでも、「ちょっとは努力したで賞」ものです。
うって変わって、とても家庭的で器用なママを持った友人宅などへ遊びに行ったりすると、それは凝ったデザインの手製レースのコースターにのせて、氷入りカルピスなんぞを出してもらった記憶があります。そのせいか、レースで編んだコースターやテーブルクロスなどを見ると、今でもカルピスをストローでかき混ぜる時の、氷がカチンカチンとグラスにあたる軽い音などを連想したりします。そして何故か、それと一緒に、当時、日本の家庭に沢山かかっていた木製の玉のれんが揺れる様子なども頭に浮かんでくる・・・。うちの玄関口からちょっと入った廊下にもかかってましたっけ、この玉のれん。
記憶とは不思議なものです、ひとつ思い出すと、芋づるの様に、イメージがずるずると引き出されてくる。レース、カルピス、玉のれん・・・それぞれは、ほとんど無関係に思える物なのに。そしてまた、うちの母親のレース編み作品が2つともピアノ関係のものだったためか、開け放した窓から、どこかの誰かが、へたくそながらも必死にバイエルの練習曲を繰り返し弾いている音までよみがえってくるのです。
かぎ編みでレースのテーブルセンターなどを作る・・・というのは、当時のイギリスのママさんたちの間でも流行ったのか、うちのだんなのお母さんの遺品の中にも、こういったコースター、テーブルマットが幾枚もありましたが、最近はあまりこういうもので家を飾る人も少ないし、しかもレースのコースターなどは、ほとんど使う機会も無いので、袋につめたまま、トランクの奥にしまったままになっていました。参考までに、英語で、こうした円形のレースのテーブルセンターは、「ドイリー doily」といいます。そのまま、「テーブルセンター」と言っても、外人はわかってくれないと思いますので、ご注意あれ。
私達の母親の世代から、更に時代遡り、20世紀初頭に書かれた「赤毛のアン」シリーズの第2作「アンの青春」(Anne of Avonlea)の中に、こんな描写がありました。
"I'm going to begin crocheting doilies tomorrow. Myra Gilles had thirty-seven doilies when she was married and I'm determined I shall have as many as she had"
「私、明日から、ドイリーを編み始めるつもりよ。マイラ・ギリスは、結婚した時に37枚のドイリーを持って嫁いだんだから、私もマイラと同じだけ作ろうと決めてるの。」
これは、アンの親友ダイアナが、18歳で婚約をした時、まだ結婚は少し先だけど、準備は始める・・・とアンに打ち明ける場面の台詞です。物語の設定は19世紀後半ですので、当時のカナダでも、お嫁に行くときは、テーブルセンターやら、テーブルクロスなど、家庭を飾るのに必要と考えられたものは、お嫁さんが作っておく、という習慣があったのでしょう。同シリーズの3作目「アンの愛情」(Anne of the Island)にも、たしか、アンの大学の友人の一人が、「ちゃんとしたプロポーズも受けていないうちから、ドイリーを編み始めたりしない」・・・のような事を言っていたと記憶します。
さて、話を現代へ戻し、先日、本屋で立ち読み中、おばあさん世代のインテリア、小物のアイデアをまとめた本を手にとり、写真の愛らしさにひかれて購入しました。その本の中で、おばあさんが編んだセコハンのテーブルセンターやコースターを、糸でつなぎ合わせて、新しいテーブルクロス、テーブルマットを作ろう、というアイデアにご対面。「なるほどね」と、だんなのママの古いレース作品をテーブルに広げ、色々組み合わせを試し、「これはいけるか」と思ったアレンジを選んで、刺繍糸でちょいちょいとつなぎ合わせてみました。「おー、なかなかビューティフル!」
一時は、チャリティーショップにでも寄付してしまおうかと思ったこともあったレースたちですが、だんなのママが時間をかけて編んだものだし・・・と思いとどまったのです。思いとどまって良かった。ちょっとしたリフォームで、こうして不死鳥のごとくよみがえったのだから。それに、ファッションは巡る、で、少々年寄りくさいと思われていたものが、再び、時が経つと、人気になったりするものです。また、レースのテーブルセンター熱が巷を駆け抜ける日がくるかもしれない。そして、私の母親のような人まで、ちょっと作ってみようと思うこともあるかもしれない。
コーヒーテーブルの上に敷いたレースのお花柄を眺めると、かちんかちんとカルピスをかき混ぜる音が聞こえてくる、聞こえてくる。そして、木製の玉のれんを割って、友達のママが顔を出し、「おやつもいかが?」と聞いてくる。外からは、へたくそなピアノ練習曲が流れてくる・・・なつかしくも、ほほえましい気分に浸れるのです。
お裁縫や編み物などの手芸タイプのものには、一切の興味を示さないうちの母親ですら、この流行の風にちょいと吹かれて、ピアノのふたの上に掛ける長方形カバーや、ピアノの丸いすの円形カバーなどを作ったのですから、その流行度は、たいしたものだったのでしょう。ただし、母親の作品は、きめ細やかなパターンとはかけ離れた、チェス板模様で、長方形も円形も、形がいささかひしゃげておりました。そして、この2つだけを作り、彼女は、すぐ、飽きて、やめてしまっていました。ママさん劇団の切り回しなどで、外で活躍するのが好きな人だったので、こういう事をやろうとしただけでも、「ちょっとは努力したで賞」ものです。
うって変わって、とても家庭的で器用なママを持った友人宅などへ遊びに行ったりすると、それは凝ったデザインの手製レースのコースターにのせて、氷入りカルピスなんぞを出してもらった記憶があります。そのせいか、レースで編んだコースターやテーブルクロスなどを見ると、今でもカルピスをストローでかき混ぜる時の、氷がカチンカチンとグラスにあたる軽い音などを連想したりします。そして何故か、それと一緒に、当時、日本の家庭に沢山かかっていた木製の玉のれんが揺れる様子なども頭に浮かんでくる・・・。うちの玄関口からちょっと入った廊下にもかかってましたっけ、この玉のれん。
記憶とは不思議なものです、ひとつ思い出すと、芋づるの様に、イメージがずるずると引き出されてくる。レース、カルピス、玉のれん・・・それぞれは、ほとんど無関係に思える物なのに。そしてまた、うちの母親のレース編み作品が2つともピアノ関係のものだったためか、開け放した窓から、どこかの誰かが、へたくそながらも必死にバイエルの練習曲を繰り返し弾いている音までよみがえってくるのです。
かぎ編みでレースのテーブルセンターなどを作る・・・というのは、当時のイギリスのママさんたちの間でも流行ったのか、うちのだんなのお母さんの遺品の中にも、こういったコースター、テーブルマットが幾枚もありましたが、最近はあまりこういうもので家を飾る人も少ないし、しかもレースのコースターなどは、ほとんど使う機会も無いので、袋につめたまま、トランクの奥にしまったままになっていました。参考までに、英語で、こうした円形のレースのテーブルセンターは、「ドイリー doily」といいます。そのまま、「テーブルセンター」と言っても、外人はわかってくれないと思いますので、ご注意あれ。
私達の母親の世代から、更に時代遡り、20世紀初頭に書かれた「赤毛のアン」シリーズの第2作「アンの青春」(Anne of Avonlea)の中に、こんな描写がありました。
"I'm going to begin crocheting doilies tomorrow. Myra Gilles had thirty-seven doilies when she was married and I'm determined I shall have as many as she had"
「私、明日から、ドイリーを編み始めるつもりよ。マイラ・ギリスは、結婚した時に37枚のドイリーを持って嫁いだんだから、私もマイラと同じだけ作ろうと決めてるの。」
これは、アンの親友ダイアナが、18歳で婚約をした時、まだ結婚は少し先だけど、準備は始める・・・とアンに打ち明ける場面の台詞です。物語の設定は19世紀後半ですので、当時のカナダでも、お嫁に行くときは、テーブルセンターやら、テーブルクロスなど、家庭を飾るのに必要と考えられたものは、お嫁さんが作っておく、という習慣があったのでしょう。同シリーズの3作目「アンの愛情」(Anne of the Island)にも、たしか、アンの大学の友人の一人が、「ちゃんとしたプロポーズも受けていないうちから、ドイリーを編み始めたりしない」・・・のような事を言っていたと記憶します。
さて、話を現代へ戻し、先日、本屋で立ち読み中、おばあさん世代のインテリア、小物のアイデアをまとめた本を手にとり、写真の愛らしさにひかれて購入しました。その本の中で、おばあさんが編んだセコハンのテーブルセンターやコースターを、糸でつなぎ合わせて、新しいテーブルクロス、テーブルマットを作ろう、というアイデアにご対面。「なるほどね」と、だんなのママの古いレース作品をテーブルに広げ、色々組み合わせを試し、「これはいけるか」と思ったアレンジを選んで、刺繍糸でちょいちょいとつなぎ合わせてみました。「おー、なかなかビューティフル!」
一時は、チャリティーショップにでも寄付してしまおうかと思ったこともあったレースたちですが、だんなのママが時間をかけて編んだものだし・・・と思いとどまったのです。思いとどまって良かった。ちょっとしたリフォームで、こうして不死鳥のごとくよみがえったのだから。それに、ファッションは巡る、で、少々年寄りくさいと思われていたものが、再び、時が経つと、人気になったりするものです。また、レースのテーブルセンター熱が巷を駆け抜ける日がくるかもしれない。そして、私の母親のような人まで、ちょっと作ってみようと思うこともあるかもしれない。
コーヒーテーブルの上に敷いたレースのお花柄を眺めると、かちんかちんとカルピスをかき混ぜる音が聞こえてくる、聞こえてくる。そして、木製の玉のれんを割って、友達のママが顔を出し、「おやつもいかが?」と聞いてくる。外からは、へたくそなピアノ練習曲が流れてくる・・・なつかしくも、ほほえましい気分に浸れるのです。
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