ジキル博士とハイド氏の奇怪な事件

ジキルとハイドと言えば、二重人格者や善と悪の権化、の代名詞として、日本でも、また、世界中で、もはや慣用句的に使われている感じです。

小説「Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde ジキル博士とハイド氏の奇怪な事件」を書いたのは、「Treasure Island 宝島」で有名な、スコットランド出身のロバート・ルイス・スティーブンソン。比較的短く、それは良く書けているので、「宝島」同様、あっという間に読めます。ジキルとハイドがいかなる人物でどういう関係にあるか知らない出版当時の読者は、推理小説風な話の展開も楽しむ事ができたことでしょう。ロンドンの霧が何度も言及され、ガス灯の明かりがちらつくロンドンの路地に、霧が立ち込め、その中を、こつこつと靴音を立て歩く人影のイメージが、全編に流れる小説です。

出版は、1886年。1887年には、すでに舞台版が登場し、アメリカのボストンで幕が開き、その後、芝居はブロードウェイでも開き、1888年の夏には、ロンドンの舞台にかかるのです。そして、その後すぐに東ロンドンで起こるのが・・・「切り裂きジャック」による殺人事件。マント姿で、夜を徘徊するハイドの姿は、切り裂きジャックのイメージと重なり、読者と、芝居の観客に、さらなる恐怖を引き起こすのです。本人の、ロバート・スティーブンソンは、戯曲版をあまり好意的には見ていなかったようではありますが、作品の著名度を更に押し上げるのに貢献。

さて、話のあらすじは、

弁護士のアターソンと、彼の遠縁にあたるエンフィールドが、ロンドンの一角を散歩している際、2人は、荒れた感じのとある建物のドアの前を通りかかる。エンフィールドは、その家のドアで起こったある事件をアターソンに語り始める。

エンフィールドの話とは・・・ある冬の明け方、界隈を歩いていた時、道の角で、不快な人相の小男と、逆方向から駆けて来た少女がぶつかり、小男は、転んだ少女の体を残酷に荒々しく踏みつけたのだ。それを目撃し、すぐに小男を捕らえたエンフィールド。少女の周りには、少女の親を含んだ少数の人だかりが出来ていた。小男は、警察へ訴えられる代わりに、幾らかの金を、少女の両親に慰謝料として払う約束をし、エンフィールド達を、この家のドアの前に連れて来る。そして鍵を使いドアを開け中へ入り、小切手を持って再び現れた。小男の手渡した小切手のサインの名は、人格も温和、すらりと背が高い美男子であり、著名な医師でもあったヘンリー・ジキル博士のものであり、このドアは、ジキル博士の館の裏口。

ジキル博士の友人でもあり、彼の弁護士でもあるアターソンは、このエンフィールドの話と、ジキルが作製し、自分に託した遺書の内容を結びつける。ジキルの遺書の内容は、「自分の死後、遺産を全てエドワード・ハイドへ譲る。自分が失脚、または3ヶ月を越す原因不明の行方不明となった際には、やはりエドワード・ハイドが自分の全ての権利を引き継ぐ。」と言うもの。アターソンは、友人として、この不可解な遺書が気になっていたところであった。

アターソンは、もう一人のジキルの親友であった、ラニョン医師を訪れ、彼にジキルの話を持ちかけると、医師は、「サイエンス上の見解の違いで、彼とは、長らく会っていない」と言う。また、エドワード・ハイドなる人物を知っているかの問いに、ラニョンは、「そんな男は聞いたことも無い」。

そして、アターソンは、例のドアの前で待ちぶせし、小男と対面、彼が、エドワード・ハイドである事を確認。このハイドの人相については、「嫌悪と恐怖を引き起こさせ、奇形では無いのだが、なぜか、奇形だと思わせる顔」という感想を抱く。アターソンは、また、ジキルの館の正面玄関を訪れ、執事のプールから、ハイドが裏口から自由に出入りする事実と、ハイドが館内にいる時は、召使達は、彼の指示に従うよう言いつけられている事を知る。過去の些細な過ちが理由で、この卑劣漢ハイドにジキルは、恐喝されているのだと信じるアターソンは、数週後に食事に招かれたのを機に、ジキルに、ハイドとの関係を聞くのだが、ジキルは、私的な事だから、と胸を割らない。

そのうちに、ある紳士が、夜道、激しく投打され、殺害される事件が起こる。目撃者の人物描写から、アターソンは、すぐにそれがハイドだと気づく。再び、ジキル宅を訪れたアターソンに、ジキルは、「もう自分はハイドとの関係を切った、彼は二度と現れない。」と告げる。事実、懸賞がかかったにも関わらず、ハイドの行方は消えていた。そして、しばし、以前の快活さを取り戻したジキルは、アターソン、ラニョン医師を、再び昔の様に頻繁に家に呼び食事を共にするようになっていた。

が、数ヵ月後、ジキルは再び、非社交的となり、姿を現さなくなる。心配になったアターソンは、ラニョン医師を訪れると、医師は、何事かのショックのため、やつれ果て、死が近い形相。ジキルの件に触れると、ラニョンは「あんな道を踏み外したやつの事は2度と自分の前で口に出すな」と告げる。そして、間もなく、ラニョン医師は死亡。アターソン宛てに、医師からの手紙の入った封筒が残され、封筒には、「ジキル博士の死か、行方不明の後にのみ、開けるべし」の覚書が。

クライマックスは、ある日、アターソンの家へ、ジキルの執事プールが現れ、「実験室にこもったジキル博士の様子がおかしい。実験室に人はいるのだが、声がジキル博士のものではない。彼は、誰かに殺された気がする。」と、助けを求める。二人は、共にジキルの館に駆けつけ、鍵のかけられた実験室のドアを押し開ける。中には、薬をあおり、自殺したばかりのハイドの死体と、アターソンに宛てたジキルからの手紙があった・・・。

と、ここまでが、推理小説風の前半で、後半は、まずは、ラニョン医師からのアターソンへの手紙、そして、ジキルからの手紙の内容で、謎解きとなり、読者は、ジキルとハイドが同一人物であった事を知るのです。

悪と善の入り混じった混合体である人間から、純粋に悪だけを抜き出し、ハイドという人間の形で開放する薬を調合し、成功したジキル博士。ハイドの背丈が、ジキルよりずっと低い事に関しては、今までの人生の中で、悪は、自分の中で押し殺され制御されてきたからであろう、という理論付けがしてあります。そして、酔っ払いが酒に依存するように、薬を飲み、ハイドと化して開放感を得ることがやみつきとなってしまうのです。最初は、ジキルからハイドへ変身する方が大変であったのに、徐々にハイドが強くなり、ジキルである事の方が困難になり、やがて、薬を飲まずとも、ハイドと化してしまうようにまでなる。そして、実験室にこもり、必死に元の姿に戻る薬の調合を行ううちに、様子がおかしいことに気づいたプールとアターソンがドアを打ち破って入り込み、ハイド(ジキル?)は自殺するのです。

スティーブンソンの絶妙な物語の持って行きかたには、「上手い!」とうならせられます。筋が何となくは、わかっていても、読んでいて十分面白いのです。

舞台のみならず、何度か映画化されているようですが、全て、筋は原作から離れているという事です。一番評判が良いと言われる、1931年の映画版については、映画記事、「ジキル博士とハイド氏」をご参照下さい。

それでは、自分の中に潜むハイド氏を、上手く制御し、あまり栄養とパワーを与えすぎて、身体をのっとられないよう気をつけましょう。

コメント

  1. こんばんは
    人間とは二面性のある物と思います。最近の私など善人ぶってるだけじゃないか、などと考えてしまいます。いじわるばあさん風になりつつあるのかしら?いつも楽しい話題で読み応えがあります。楽しみにしています。紅葉がきれいな季節です。イギリスでも紅葉狩りなんて出かけたりするのですか?

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  2. 以前、非常に暴力的な犯罪を犯す人物は、脳の感情や怒りをコントロールする部分が、通常の人間に比べ、幼い頃の育てられ方、食べ物などの関係から、未発達だという話を聞いたことがあります。ハイドは大きくならないよう、コントロールする必要があるのでしょう。こちらも、紅葉を楽しみながら歩く人は沢山います。

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