ローサのぬくもり

人間は一人で生き、一人で死ぬものじゃ、などと言ってみても、一人はやはり寂しいのです。社会的動物ですから、他者との交流は生きるうえで大切。社交的な鳥だといわれるオームやインコも、一羽だけ檻に入れられ、誰も話しかけず、かまわないでいると、ノイローゼになり、頭を檻に叩きつけたりすると言います。

セビリアの、柄の悪そうな郊外の安アパートで一人生きる、心荒れたマリア。彼女のもとに、田舎の母ローサが、市内の病院に入院した父の見舞いの都合で、数日、泊まる事になる。その短い期間の母と娘、また同じ建物の階下のアパートに犬と住むやさしい老人との心の交流、新旧世代の感覚の違い、都会生活の孤独を描いた映画です。

どしんとした風情のローサは一世代前のスペインのお母さん。乱暴なだんなに、罵られ、時に手を上げられたりしながらも、じっと我慢し、忠誠を尽くし続けた彼女。父から教育を受ける事を許されなかったマリアは、自分は、父の言うなりで生きてきた母のようにはならない、と気負って都会に出たものの、心無い男に振り回され、生きがいも無く、掃除の仕事で生活をたて、アルコールで憂さをはらす。お腹にはその男の子供も身ごもってしまい。男は、結婚する気も、子供の面倒を見る気も全く無く、おろせと言う。

最初は、ローサへ刺々しい態度をとったマリアが、母の静かな暖かさに、徐々に、心がゆるんでいく。閑散としたマリアの部屋が、映画の終わりには、ローサの手で温かみのある部屋へ変わり、マリアの心の変化を見るよう。ローサの買ってきた花の鉢、彼女が拾ってきて、編み物をしながら座っていた椅子、彼女が編んでくれたカーディガン。大体、このアパート、安アパートと言いながら、廊下や床、室内の壁のタイルがなかなか素敵なので、お金と手をかけてあちこち修理すれば、お洒落アパートに変身しそうです。

ひょんな事から、ローサと知り合った階下の老人は、短期間でも、ローサとの交流が心の支えとなる。そして、彼女が、退院した夫と田舎に帰ってしまった後、老人は、今まで、口を利いた事がなかったマリアのドアをノックするのです。2人で、飲みながら語らううち、マリアは、老人に、都会の生活で、誰とも口を利かず、感情を内に溜め込むあまり、内臓が焼けそうだとぐちり、また、お腹の子供をおろそうかという話を老人に打ち明ける。老人は、マリアがもし子供を生んだら、その子のおじいさん代わりになる約束をする。自分は、息子が幼く死んでしまい、公園に連れて行ったり、おもちゃを買ったりしてやれる孫が欲しかったのだと言って。妻に先立たれた後、身よりも無く、愛犬だけを相棒に生きてきた彼も、寂しかったのです、やはり。残りの人生を、できれば、誰かと友情を育て、心の交流を取りながら生きたいのです。

ローサを自分の所有物の様に取り扱う、彼女のだんなや、マリアのボーイフレンドの身勝手ぶりに腹が立ち、2人に顔面パンチをくわせたくもなり、マリアの荒れた生活ぶりや、ローサの今までの人生を想像し、「暗い・・・」と思いながら見ていましたが、後半の展開は、春の日差しを感じました。マリアの両親が死んでしまった後、マリアと、ローサと名づけられた彼女の娘、そして老人は、田舎家に移り、3人で生きていくこととなります。子供の将来は明るいでしょうか。少なくとも、愛情を受けて成長することはできそうです。

最近入ったスペインからのニュースでは、現在のスペインの若者層の失業率は、なんと50%近いのだとか。前世代に比べ、高等教育を受けている割合は高いのに、大学を出ても、満足いくような職を得れる見込みは少ないのだそうです。いざとなったら、国外へ出て仕事を探す覚悟の若者も多いようで、頭脳流出の噂もあります。イギリスへも、良い将来を目指してやって来るスペインの若者が増えるでしょうか。マリアの子供は、家族と共に、農場でも営めば、大丈夫かな?

ところで、この映画の老人は、我家のすぐそばのニュースエージェント(新聞や、たばこ、お菓子、ちょっとした雑貨を売る店)の2階に住んでいるおじいさんにそっくりでした。彼も、一人暮らしで、暇をもてあましてか、映画の老人の様に、人との交流を求めてか、よく、ニュースエージェントの店内で時間を過ごしているのを見かけます。店の人が用事の際には、無償で、店番もやっている様子。それで、彼が楽しければ、店の人にも、彼にとっても、一石二鳥でしょう。

原題:Solas
監督:Benito Zambrano
言語:スペイン語
1999年

コメント