毒薬と老嬢

ハロウィーンも近づいてきたところで、こんな映画はどうでしょう。

「Arsenic and Old Lace」(毒薬と老嬢)は、同名舞台劇の映画化で、舞台劇の方も、ブロードウェイで人気だったようです。最初の結婚登録所のシーン以外は、ほとんどが、老嬢たちが住む館の同じ室内が舞台の、スリラーを装った、はちゃめちゃコメディー。純粋に、笑わす事が目的の娯楽映画ですので、人物描写などは、超表面的、主役のケーリー・グラントの演技は、歌舞伎役者もびっくりなほど、大げさですが、気にしない、気にしない。突拍子もない展開とギャグを楽しめば、それでいいのです。

結婚に批判的であった劇批評家のモーティマー・ブルスター(ケーリー・グラント)が、叔母達の家から墓場を越えたむかいに住むイレーン(プリシラ・レイン)と、ハロウィーンの日に、人目を忍んで、結婚登録所で結婚する。2人は、即座に、ナイアガラの滝へのハネムーンに出るはずが、叔母達の家に戻り、イレーンの出発準備ができるのを待つ間、モーティマーは、虫も殺さぬような、愛らしい慈善家の叔母達が、実は連続殺人犯であると気づくのです。

彼女ら、寂しそうな天涯孤独の男性を接待しては、ヒ素や青酸を混ぜたエルダーベリー・ワインを出し殺害。彼女らにしてみれば、それは、老人達を、寂しい余生から開放する慈善行為のつもりなのです。そして、ちゃんと、キリスト教徒としてのお祈り等を捧げてから、館内の地下室へ埋め、その死体の数はすでに、11人。12人目の死体が、窓の下の箱に隠されているのを見つけたモーティマー。叔母達が、平気のへいざで、自分達が殺したと告げると、モーティマーは、大パニックに陥るのです。地下室の墓掘りの手助けをするのは、ちょいと頭のおかしいモーティマーの叔父のテディー。自分を、セオドア・ルーズベルト大統領だと信じる彼は、地下室で穴を掘る事で、パナマ運河の建設をしていると思い込み、また、叔母達の殺人の被害者を、黄熱病の被害者と思い、埋葬するのです。

そして、その夜、現れるのが、叔母達のもう一人の残虐な甥っ子、ジョナサン。長い間、故郷を離れ、殺人なども犯してきたジョナサンは、整形外科医のアインシュタイン医師と共に、叔母達の家に居座ろうとする。人相を変えるために、何度もアインシュタイン医師により整形手術を受けてきたため、ジョナサンの顔は、フランケンシュタインの怪物の様。彼の顔を見る者たちは全て、「あれ、映画で見たような顔だ・・・」ともらし、「あ、そうだ、ボリス・カーロフに似てるんだ!」ボリス・カーロフは、フランケンシュタインの怪物役で当時有名だった俳優です。なんでも、舞台では、本物のボリス・カーロフが、このジョナサン役を演じていたという事なので、余計可笑しいギャグだったことでしょう。

イレーンは、モーティマーが、なかなかハネムーンへ連れて行ってくれないのに、業を煮やし始め、モーティマーは、ブルスター家の狂気の血が自分にも流れている事が気になり、そんな自分が家庭を作って良いものか悩み始めるのです。

叔母達が、自分と同じ数の殺人を犯したと気づき、もう一人殺して、自分の方が上になろうと、ジョナサンは長年憎しみを持っていた弟モーティマーを殺そうと試みる。そのうち、館には、警官が現れ、テディーを連れて行くために精神病院の館長が現れ、最後は、ジョナサンと警官の取っ組み合いの闘争の末、ジョナサンは無事、逮捕。

テディーが精神病院に入ってしまい、家にいなくては寂しいからと、彼と共に精神病院へ入る事を合意した叔母達は、モーティマーに、実は彼はブルスター家の血が入っておらず、船上で料理人をしていた男の子どもだ、と知らされる。ブルスターの狂気の血が入っていない、と、イレーンに、大喜びで抱きつくモーティマーでした。めでたし、めでたし。

第26代アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルト(任期1901年~1909年)は、今では、特に外人にとっては、どんな人物であったか記憶に薄い大統領ではあります。映画内で、精神病院内には、自分をルーズベルトと信じる患者がいっぱいだ・・・といったくだりもありましたので、当時は、まだ人気の歴代大統領だったのでしょうか。

この人は、パナマ運河建設で知られる他、大統領となる前の、1898年、主として、キューバのスペイン統治をめぐって起こった米西戦争で英雄となった人。以前から、幾度か、スペインからの独立を試みる反乱があったキューバ。その独立賛成派に組してスペインを相手に戦ったアメリカ。アメリカは、もともと、自国のそばで、ヨーロッパの国が幅を利かせるが面白くなかったでしょうから。キューバ以外でも、太平洋、カリビアンで、両国は戦う事となります。戦後のパリ条約で、キューバはスペインからの支配を離れ、一時的に、勝利国アメリカの管轄下に入ります。また、アメリカは、当条約で、グアム、プエルトリコ、フィリピン等もスペインから獲得。植民地を失くし、過去の帝国と化したスペインでは、植民地支配に使われてきた大きな軍隊が、以後はほとんど国内事情の処理にあたる事となり、後、スペインが内戦へとむかう要因のひとつともなったようです。

この戦争で、ルーズベルトが名を上げた有名な戦いは、キューバのサンチャゴ・デ・クーバ付近の、サン・ファン・ハイツの戦い。アメリカの義勇兵、ラフ・ライダーズを率いてスペイン軍の守る高台の砦へと突進したルーズベルトをまねて、映画の気違いテディー叔父さんは、階下から2階へ行くたび、「チャージ!(突撃!)」と叫んで、階段を駆け上がるのです。

原題:Arsenic and Old Lace
監督:Franc Capra
言語:英語
1944年

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