フランケンシュタイン
最近、テレビで、メアリー・シェリーとフランケンシュタインに言及するドキュメンタリーを2,3見ました。
この小説が書かれたきっかけは、今では伝説のごとく、かなり有名な話です。メアリー(旧名メアリー・ゴドウィン)は、1816年5月、妻子ある恋人、パーシー・シェリー、血の繋がらぬ妹のクレア・クレモントと共に、バイロン卿と、彼の主治医ジョン・ポリドーリが借りていたスイス、ジュネーブ湖(レマン湖)畔のディオダディ荘に滞在。連日の悪天候で屋内にとどまる事となる一行は、余興に、それぞれ、怪奇小説を書くことになる。こうして、メアリーは、「フランケンシュタイン」の出筆を開始。出版は、1818年となります。
このディオタディ荘での集いがある前年1815年4月には、インドネシアのタンボラ山が大噴火。噴出したガスが太陽光線を反射して、地球の気温は下がり、1816年は、低温で雨の多い「夏の無い年」となります。これが、バイロンと客人一行が、屋内に留まる原因となり、また、雨風と雷が、ゴシックのイメージを沸き立たせ、間接的に、フランケンシュタイン誕生に繋がります。
メアリーとパーシーは、1816年後半に、パーシーの妻が、ハイドパークのサーペンタイン湖で投身自殺した直後、結婚しますが、パーシーは、イタリア沖の帆船の事故で1822年に、若くして死亡。
テレビ・ドキュメンタリーの中で、メアリーのオリジナルの原稿を見せていましたが、ところどころに、パーシー・シェリーが修正や書き足しをした部分があるのが面白かったです。詩人としての感覚を生かした表現的修正の他に、シェリーは共和主義に共鳴していたようで、共和制のジュネーブと王制のイギリスを比べ、ジュネーブの方が、良い社会である、のような政治的な下りを書き足したりしています。
内容を知っているようで知らない小説、というのは多々ありますが、そのひとつであった「フランケンシュタイン」を、今回初めて読んでみました。出だしが、探検のため、北極へむかう船に乗り込む若者の話から始まるのが、意外でした。また、後の世の、色々な映画やテレビドラマのおかげで、フランケンシュタインのモンスターは、コミカルなイメージもあったりするのですが、これが、とても可哀想なのです。
小説は、この北極探検を試みる青年ロバート・ウォルトンが、イギリスの妹へ宛てた手紙としての形式を取っています。この青年が、北極へむかう船の中、凍え死にそうになっていた人物、ヴィクター・フランケンシュタインを発見。船へ引き上げ、看病をするうち、フランケンシュタインは、自分の身の上話、なぜ、こんな地の果てまでやって来たかの経緯を語り始めるのです。
ジュネーブの裕福な家庭出身のフランケンシュタインは、幼い頃から自然科学に興味を示し、ドイツ、インゴルシュタットの大学で、化学と自然科学を学ぶうち、電気ショックにより、人間を創造する事に執念を燃やし始めるのです。そして、墓場、屠場や解剖室から材料を集め、普通より一回り大きい人体を作りあげる。美しい人間を作るつもりでいたのが、実際に命を与えられ起き上がった創造物は、それは醜い様相。そのあまりの醜さに呆然となったフランケンシュタインは、その場を去り、戻ったときには、怪物はもういなくなっていたのです。自分のしてしまった事への後悔から、病気になり、悶々としながらも、怪物の跡を追うでもなく、人に告白するでもなく、時が経ちます。思ったのですが、電気ショックを与える前に、醜いか、美しいかなんて、わかりそうなものです。創作中は、興奮のあまり、醜さに気づかなかった?
やがて、ジュネーブの父からの手紙で、年の離れた幼い弟が何者かに絞殺されたと知らされ、故郷へ帰るのですが、弟を殺した犯人が、自分の創造した怪物である、と気がつく。周りの人間に言う事もできず、悲嘆にくれながら、気を紛らわせるため、フランケンシュタインは一人、シャモニーへ旅行に出る。周辺の荒々しいが美しい風景の中を歩くうちに、多少は、精神が高揚してくる彼。
ところが、メール・ド・グラース氷河まで辿り着いた時に遭遇するのが、この怪物。怪物は、この場所で、自分が、今まで、どうやって過ごしてきたかを、フランケンシュタインに物語るのです。
創造直後に、フランケンシュタインが去ってしまうと、怪物は、混乱の中、森へ逃げ、一人で飲食物を探し、身を守る術を学ぶ。遭遇した人間達の反応から、自分が恐れ嫌われている事に気づき、森の中に隠れ場所を見つけ、人目を避けて生活を送る。やがて、隠れ場所の側に住む、国を追われ、貧しい生活を余儀なくされた元フランス貴族の家族の日常と、彼らのお互いへのやさしさと、美しさにに魅せられ、壁の穴から室内をのぞくうち、彼らの語らいからフランス語を学び、歴史、地理、その他の教養を蓄えていく。そのうち、ただ、外から見ているだけでなく、自分も、この家族の一員となり、彼らから愛され、認められたいという願望がたかまり、ある日、ついに自己紹介をすべく小屋に乗り込んだものの、これが、大失敗に終わるのです。恐れた一家は、小屋を捨てて引っ越してしまう。誰からも愛されないという絶望は、やがて、怒りに変わり、怪物は小屋を焼き払い、怒りは、更に自分を創造しながら、見放したフランケンシュタインへ向けられる。生を受けた日に、フランケンシュタインの部屋から持ってきた彼の日記から、ジュネーブ出身だと知って、ジュネーブへと赴くと、弟ウィリアムを殺害するにいたるのです。
そして、モンスターは、自分を幸せにしてくれるように、伴侶として、「自分と同じくらい醜い女性の創造」をフランケンシュタインに依頼する。創造者としての、創造物への責任を、ここで始めて感じたフランケンシュタインは、女性を創造した後は、2人で人間が住まぬような地へ移り、人間界で悪を働かぬ事を条件に、モンスターの依頼を承諾。
フランケンシュタインが、約束の女性を創造を開始するのは、スコットランドの島にて。ほぼ作り終わった段階で、自分を追ってきた怪物が、にたにた笑いながら覗いている姿に、フランケンシュタインは、思わず、女性の怪物をばらばらに破壊してしまう。怒り狂ったモンスターは、フランケンシュタインと共に、イギリスとスコットランドを旅行していた、友人のヘンリーを絞殺。更に、復讐に燃える怪物は、ジュネーブへ帰ったフランケンシュタインが、幼馴染のエリザベスと結婚式を挙げた夜に、エリザベスを絞殺。フランケンシュタインの父は、相次ぐ悲劇に、意気消沈し、死亡。
こうして、愛する者を全て失ったフランケンシュタインは、怪物との格闘を心して、その行方を追ってあらゆる土地ををさまよう事になります。怪物は、その過程を楽しむかのごとく、フランケンシュタインが、自分を見失わない程度に、それでいて捕まらない速度で、色々な土地を横切り、ついには、北極へとむかうのです。そして、凍え死にそうなところを、船上へ助け上げられる事となった次第。
身の上話を語り終えた後、しばらくしてから、フランケンシュタインは、船内で息を引き取ります。すると、怪物が、フランケンシュタインの遺体の眠る船室に現れ、その死を嘆き悲しみ、自分も、自分の身体を焼き払い死ぬつもりである事を、ウォルトンに告げて、去るのです。
子供の頃に、誰からも顧みられず、社会のアウトサイダーとなった子供が、後、犯罪を犯しやすいというのは、何もモンスターに限らず、人間の世界でも同じ事。読みながら、フランケンシュタインに対する同情というのは、一切、沸かず、とにかく、怪物くんと、被害を蒙ったフランケンシュタインの周りの人間が気の毒でした。創造してから、一切、探そうともせず、誰にも言わない、というのは、いくらなんでも無責任でしょう。とても、品が良く、頭が良く、温和な人物として描かれているのですが。
Everywhere I see bliss, from which I alone am irrevocably excluded. I was benevolent and good; misery made me a fiend.
いたるところに至福を見ながら、己のみが、一切、そこから疎外されている。我が心は、慈善に溢れ善良だった。悲惨が我を悪者にした。
という怪物くんの嘆きには一理あるのです。
また、この小説は、闇雲にサイエンスの発展ばかりを追う姿勢への批判も投げかけているようです。神の様に、色々なものを創造しようとするのは良いが、その後、問題があったら、どうするのだ、誰が責任をとるのだ、と。GMフードなどが、フランケンシュタイン・フードなどと時に呼ばれるのも、そんなわけです。
*****
ここで使った写真は全て、だんなが、シャモニー周辺に登山に出かけた時、取ってきたものです。作品中、この周辺の自然を讃えた描写が多く出てきます。大自然に対する畏敬の念も、小説の別のテーマでもありますか。モンブランの名も何度も出てきます。
Mont Blanc, the supreme and magnificent Mont Blanc, raised itself from the surrounding aiguilles, and its tremendous dome overlooked the valley.
モンブラン、至上にして荘厳なるモンブラン、周囲の山々より更に高く、その偉大なる頂上は、谷を見下ろす。
上の写真は、モンブランを向いて立つ、シャモニーにあるオラス・ベネディクト・ド・ソシュールの記念碑。彼は、スイスの自然科学者で、登山の創始者とも呼ばれる人物。モンブランの初登頂は、1786年、他の人物によって成し遂げられていますが、彼自身も、翌年、登って成功。ついでに、頂上で、種々の科学観測も行っています。この時、彼、すでに47歳でしたから、登山用具なども、まだままならぬ時代に、たいしたものです。
この小説が書かれたきっかけは、今では伝説のごとく、かなり有名な話です。メアリー(旧名メアリー・ゴドウィン)は、1816年5月、妻子ある恋人、パーシー・シェリー、血の繋がらぬ妹のクレア・クレモントと共に、バイロン卿と、彼の主治医ジョン・ポリドーリが借りていたスイス、ジュネーブ湖(レマン湖)畔のディオダディ荘に滞在。連日の悪天候で屋内にとどまる事となる一行は、余興に、それぞれ、怪奇小説を書くことになる。こうして、メアリーは、「フランケンシュタイン」の出筆を開始。出版は、1818年となります。
このディオタディ荘での集いがある前年1815年4月には、インドネシアのタンボラ山が大噴火。噴出したガスが太陽光線を反射して、地球の気温は下がり、1816年は、低温で雨の多い「夏の無い年」となります。これが、バイロンと客人一行が、屋内に留まる原因となり、また、雨風と雷が、ゴシックのイメージを沸き立たせ、間接的に、フランケンシュタイン誕生に繋がります。
メアリーとパーシーは、1816年後半に、パーシーの妻が、ハイドパークのサーペンタイン湖で投身自殺した直後、結婚しますが、パーシーは、イタリア沖の帆船の事故で1822年に、若くして死亡。
テレビ・ドキュメンタリーの中で、メアリーのオリジナルの原稿を見せていましたが、ところどころに、パーシー・シェリーが修正や書き足しをした部分があるのが面白かったです。詩人としての感覚を生かした表現的修正の他に、シェリーは共和主義に共鳴していたようで、共和制のジュネーブと王制のイギリスを比べ、ジュネーブの方が、良い社会である、のような政治的な下りを書き足したりしています。
内容を知っているようで知らない小説、というのは多々ありますが、そのひとつであった「フランケンシュタイン」を、今回初めて読んでみました。出だしが、探検のため、北極へむかう船に乗り込む若者の話から始まるのが、意外でした。また、後の世の、色々な映画やテレビドラマのおかげで、フランケンシュタインのモンスターは、コミカルなイメージもあったりするのですが、これが、とても可哀想なのです。
小説は、この北極探検を試みる青年ロバート・ウォルトンが、イギリスの妹へ宛てた手紙としての形式を取っています。この青年が、北極へむかう船の中、凍え死にそうになっていた人物、ヴィクター・フランケンシュタインを発見。船へ引き上げ、看病をするうち、フランケンシュタインは、自分の身の上話、なぜ、こんな地の果てまでやって来たかの経緯を語り始めるのです。
ジュネーブの裕福な家庭出身のフランケンシュタインは、幼い頃から自然科学に興味を示し、ドイツ、インゴルシュタットの大学で、化学と自然科学を学ぶうち、電気ショックにより、人間を創造する事に執念を燃やし始めるのです。そして、墓場、屠場や解剖室から材料を集め、普通より一回り大きい人体を作りあげる。美しい人間を作るつもりでいたのが、実際に命を与えられ起き上がった創造物は、それは醜い様相。そのあまりの醜さに呆然となったフランケンシュタインは、その場を去り、戻ったときには、怪物はもういなくなっていたのです。自分のしてしまった事への後悔から、病気になり、悶々としながらも、怪物の跡を追うでもなく、人に告白するでもなく、時が経ちます。思ったのですが、電気ショックを与える前に、醜いか、美しいかなんて、わかりそうなものです。創作中は、興奮のあまり、醜さに気づかなかった?
やがて、ジュネーブの父からの手紙で、年の離れた幼い弟が何者かに絞殺されたと知らされ、故郷へ帰るのですが、弟を殺した犯人が、自分の創造した怪物である、と気がつく。周りの人間に言う事もできず、悲嘆にくれながら、気を紛らわせるため、フランケンシュタインは一人、シャモニーへ旅行に出る。周辺の荒々しいが美しい風景の中を歩くうちに、多少は、精神が高揚してくる彼。
ところが、メール・ド・グラース氷河まで辿り着いた時に遭遇するのが、この怪物。怪物は、この場所で、自分が、今まで、どうやって過ごしてきたかを、フランケンシュタインに物語るのです。
創造直後に、フランケンシュタインが去ってしまうと、怪物は、混乱の中、森へ逃げ、一人で飲食物を探し、身を守る術を学ぶ。遭遇した人間達の反応から、自分が恐れ嫌われている事に気づき、森の中に隠れ場所を見つけ、人目を避けて生活を送る。やがて、隠れ場所の側に住む、国を追われ、貧しい生活を余儀なくされた元フランス貴族の家族の日常と、彼らのお互いへのやさしさと、美しさにに魅せられ、壁の穴から室内をのぞくうち、彼らの語らいからフランス語を学び、歴史、地理、その他の教養を蓄えていく。そのうち、ただ、外から見ているだけでなく、自分も、この家族の一員となり、彼らから愛され、認められたいという願望がたかまり、ある日、ついに自己紹介をすべく小屋に乗り込んだものの、これが、大失敗に終わるのです。恐れた一家は、小屋を捨てて引っ越してしまう。誰からも愛されないという絶望は、やがて、怒りに変わり、怪物は小屋を焼き払い、怒りは、更に自分を創造しながら、見放したフランケンシュタインへ向けられる。生を受けた日に、フランケンシュタインの部屋から持ってきた彼の日記から、ジュネーブ出身だと知って、ジュネーブへと赴くと、弟ウィリアムを殺害するにいたるのです。
そして、モンスターは、自分を幸せにしてくれるように、伴侶として、「自分と同じくらい醜い女性の創造」をフランケンシュタインに依頼する。創造者としての、創造物への責任を、ここで始めて感じたフランケンシュタインは、女性を創造した後は、2人で人間が住まぬような地へ移り、人間界で悪を働かぬ事を条件に、モンスターの依頼を承諾。
フランケンシュタインが、約束の女性を創造を開始するのは、スコットランドの島にて。ほぼ作り終わった段階で、自分を追ってきた怪物が、にたにた笑いながら覗いている姿に、フランケンシュタインは、思わず、女性の怪物をばらばらに破壊してしまう。怒り狂ったモンスターは、フランケンシュタインと共に、イギリスとスコットランドを旅行していた、友人のヘンリーを絞殺。更に、復讐に燃える怪物は、ジュネーブへ帰ったフランケンシュタインが、幼馴染のエリザベスと結婚式を挙げた夜に、エリザベスを絞殺。フランケンシュタインの父は、相次ぐ悲劇に、意気消沈し、死亡。
こうして、愛する者を全て失ったフランケンシュタインは、怪物との格闘を心して、その行方を追ってあらゆる土地ををさまよう事になります。怪物は、その過程を楽しむかのごとく、フランケンシュタインが、自分を見失わない程度に、それでいて捕まらない速度で、色々な土地を横切り、ついには、北極へとむかうのです。そして、凍え死にそうなところを、船上へ助け上げられる事となった次第。
身の上話を語り終えた後、しばらくしてから、フランケンシュタインは、船内で息を引き取ります。すると、怪物が、フランケンシュタインの遺体の眠る船室に現れ、その死を嘆き悲しみ、自分も、自分の身体を焼き払い死ぬつもりである事を、ウォルトンに告げて、去るのです。
子供の頃に、誰からも顧みられず、社会のアウトサイダーとなった子供が、後、犯罪を犯しやすいというのは、何もモンスターに限らず、人間の世界でも同じ事。読みながら、フランケンシュタインに対する同情というのは、一切、沸かず、とにかく、怪物くんと、被害を蒙ったフランケンシュタインの周りの人間が気の毒でした。創造してから、一切、探そうともせず、誰にも言わない、というのは、いくらなんでも無責任でしょう。とても、品が良く、頭が良く、温和な人物として描かれているのですが。
Everywhere I see bliss, from which I alone am irrevocably excluded. I was benevolent and good; misery made me a fiend.
いたるところに至福を見ながら、己のみが、一切、そこから疎外されている。我が心は、慈善に溢れ善良だった。悲惨が我を悪者にした。
という怪物くんの嘆きには一理あるのです。
また、この小説は、闇雲にサイエンスの発展ばかりを追う姿勢への批判も投げかけているようです。神の様に、色々なものを創造しようとするのは良いが、その後、問題があったら、どうするのだ、誰が責任をとるのだ、と。GMフードなどが、フランケンシュタイン・フードなどと時に呼ばれるのも、そんなわけです。
*****
ここで使った写真は全て、だんなが、シャモニー周辺に登山に出かけた時、取ってきたものです。作品中、この周辺の自然を讃えた描写が多く出てきます。大自然に対する畏敬の念も、小説の別のテーマでもありますか。モンブランの名も何度も出てきます。
Mont Blanc, the supreme and magnificent Mont Blanc, raised itself from the surrounding aiguilles, and its tremendous dome overlooked the valley.
モンブラン、至上にして荘厳なるモンブラン、周囲の山々より更に高く、その偉大なる頂上は、谷を見下ろす。
上の写真は、モンブランを向いて立つ、シャモニーにあるオラス・ベネディクト・ド・ソシュールの記念碑。彼は、スイスの自然科学者で、登山の創始者とも呼ばれる人物。モンブランの初登頂は、1786年、他の人物によって成し遂げられていますが、彼自身も、翌年、登って成功。ついでに、頂上で、種々の科学観測も行っています。この時、彼、すでに47歳でしたから、登山用具なども、まだままならぬ時代に、たいしたものです。
こんばんは
返信削除今日の夕食はさんまです。秋にはこれが美味しいです。
フランケンシュタインは怪物の名前ではないのですね。知りませんでした。そして書かれたのが19世紀とは驚きました。生き物を創りだす人間の野望は今もあります。ES細胞はその象徴でしょうか?あらゆる臓器を創りだせる、それも自らの細胞から、拒絶反応もない。医学の進歩発展は人類の願いである。が、どのような重荷を背負うことになるのか、は未知である。
フランケンシュタインのモンスターは、気の毒に、パパから名前もつけてもらわなかったのです。
返信削除科学や医学の進歩はありがたいものです。特に、だんなの治療なども、リサーチが現在進行形のものですし。ただ、新しいテクノロジー等を実際に生み出し、使用する際、責任、後の影響などを熟考する必要はあるでしょう。リスクがあるのを公には、秘密にするなんていうのは、やめて欲しいですね。