修道僧になってもいい?

廃墟と化したイングランド内の中世の修道院を、過去、いくつか見て回りましたが、その中でも一番印象深かったのが、こちら、ノースヨークシャー州にある、マウント・グレース・プライオリー(Mount Grace Priory)です。カルトジオ修道会(Carthusian)により、1398年に創立されたもの。

カルトジオ会は、1084年、聖ブルーノにより、フランスのグランド・シャルトルーズ(Grande Chartreuse)に設立された宗派。カルトジオ修道会が他の宗派と異なるところは、修道僧たちの間ですら、あまり他者と交わらず、個別に祈りと労働に身を捧げる、隠遁者(ハーミット)的生活を旨とすること。初期の頃は、グランド・シャルトルーズの僧たちは、掘っ立て小屋の様な簡素な建物に住み、身につける衣もほとんど加工されていないようなもので、ほぼ一日独房にて祈りと瞑想と労働の日々を送ったとか。そんな厳しい生活ぶりから、「キリストの貧しい民」(Christ's Poor Man)の異名を取ったと言います。

イギリスに初めてカルトジオ会の修道院が設立されるのはサマセット州で、1178~1179年のこと。カンタベリー大司教であったトマス・ベケット暗殺への罪の意識から、贖罪の意味で幾つかの修道院を建てることとした、ヘンリー2世の招きによります。

隠遁者のように、個人が個別に祈りを捧げ生活するという、この宗派の特性から、マウント・グレースの修道院は、大きなクロイスター(回廊)の周りを取り囲むように、其々の僧達が住み、一日の大半を過ごす独房があるのです。修道僧が一堂に会して祈りを捧げ、共に生活する事を旨として作られているほかの宗派の修道院とは、かなり違う作りです。現在は、この部分も、ほぼ皆廃墟と化していますが、ひとつ、昔の独房の様子を再現して作り直してあるものがあり、内部を見学。

独房というと、暗くてじめじめして、狭い、牢獄の様なイメージですが、これが、庭付き2階建て小型屋風なのです。クロイスターからのドアを開け、中に入るようになっていますが、内部は暖炉つきの居間や、書斎、ベッドルーム、2階には、労働用の部屋で機織り機が置いてありました。そして、薬草などを育てる小さな庭(上の写真)と、庭の脇には、個別のトイレまである!食事も其々の独房に運ばれていたそうです。「キリストの貧しき民」が一人で住む場所にしては、悪くないのです。孤独を特に厭わない、学者肌の人なら、こういう所に住んで生活しても良いと思うのではないでしょうか。特に中世の一般貧民の生活に比べれば、これは、とんだラグジュアリーです。もちろん、1日何回も定期的にお祈りを捧げるのが嫌でなければ、ではありますが。

この写真は、2階の労働の部屋。わりと広々明るい感じ。うちのだんなが、上に座ってふんばっているふりをして取ったトイレの写真もあるのですが、そちらは、やはり、載せないでおきます・・・。

修道院内の、水道、下水システムも、画期的なものだったようです。修道院脇の丘の斜面にある泉(上の写真)から、水がクロイスター中心にあるウォーター・タワーに流れるしくみになっており、そこから更に新鮮な湧き水が、鉛のパイプにより、各独房に飲み水として給水されるようになっているのです。更には、泉からの水が、トイレの汚物を流す工夫もされています。こんなに早い時期から、水洗トイレを使っていたわけです。

マウント・グレースは、1539年に、修道院の解散により閉鎖されます。修道院長も僧たちも、国から比較的寛大な年金を受ける事となり、修道院を出ます。王が没収した土地は、売られ。17世紀には、当時の所有者が、以前の修道院のゲストハウスの跡地に上の写真のマナーハウスを建設。これは、後に、20世紀初頭の所有者が修復拡大し、部屋は、時のブームであったアーツ・アンド・クラフツ風にデコレーションされています。

現在はイングリッシュ・ヘリテジの管理下。同サイトはこちらまで。

寡黙な学者肌には良い生活かも・・・と書きましたが、だんなの昔の同僚のイタリア人で、最近いきなり修道院へ入り僧になってしまった人がいました。

彼のイタリアの実家は、会計事務所を経営。本来家業を継ぐよう期待されていたものの、クライアントから相談される内容といえば、「いかに税金を避けることができるか」という事ばかり。嫌になり、イギリスで、他の事をしてしばらく働いたものの、個人の熱意が報われないような組織や社会一般のシステム全てに嫌気がさしたか、いきなり、外界との接触がほとんど許されないというイタリアの修道院入りを決めたようです。新聞、ラジオ、テレビ、インターネットは一切無し、ニュースは修道院の上部から外で何が起こっているかを知らされるのみ。家族に会えるのも年1,2回とか。

この彼、修道院に入ったら、おそらくうちのだんなとももう会うことも無いだろうと思ったのか、イタリアへ帰る前に、だんなが入院している病院に見舞いに来て、使っていた手のひらサイズの福音書を記念に置いていってくれました。イタリア人にしては(失礼!)物静かな人で、前から、敬虔なクリスチャンだったのは知っていたのですが、さすがに、今の世の中で、知っている人間が修道院へ入ってしまうと、いささかびっくりです。行く先の修道院の写真など見ると、やはり、それは美しい所。彼も今は、こんなきれいな景色の中で、祈りと神学の研究で日々を送っているのでしょう。

私も、時に、そんな生活も良いかも、と思ったりもしますが、一生いるのは・・・浮世が恋しくなり、ちょっと、無理かな。

コメント

  1. こんばんは
    私も人付き合いが下手なほうで、高校時代は修道院にはいろうかと考えていました。シスターのファッションに憧れたりして、、。でも信仰が伴わなければいけませんよね。ずいぶん努力しましたが無理でした。同級生にひとりシスターになった友がいます。高校時代はソフトボールに夢中になっていて、いつも冗談で人を笑わせている愉快なひとでしたが、なにがあったんでしょうか?
    神様に出会う事が出来たんですね。きっと、、。
    3ヶ月前に母が亡くなったので、レクイエムを聴いたり、写経をしたり、座禅をくんだり、聖書を読んだり、母の供養をしています。私なりに宗教的?にしています。

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  2. 私は、宗教は一切しませんが、美しい景色の中、無料のお家があてがわれ、静かに読書したりできるのが魅力です。やがて、人とあまり喋れないのが苦痛になるでしょうが。中世の貧民に比べて、こういう場所での生活は、悪くなかったという気がします。

    生きている時間を大切にしたいですね。

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