「年上の女」と「フロス湖畔の水車小屋」に思う女性美
シモーヌ・シニョレが、野心的な労働階級の若者と恋に落ちる中年既婚女性を演ずる映画、「年上の女」。原題は「最上階の部屋」(Room at the top)。
戦後間もないイギリスはヨークシャー州の工業都市。労働階級出身の青年ジョーは、安定してはいるが、高給ではない仕事につき、それを一生続けてささやかに生きていくつもりはない。町の産業界の有力者の娘スザンをなんとか誘惑し、逆たまを狙いたいところ。スザンの両親は、娘につきまとうジョーを良からず思う。どこの馬の骨とも分からぬ男を、娘の婿などには問題外。
スザンと2人きりになれるチャンスを作るため、彼女が属するアマチュア劇団に参加するジョー。そこで知り合った既婚で年上のフランス女性アリス(シモーヌ・シニョレ)に徐々に心を開き、恋仲に。ジョーは、他では虚勢を張り生きているものの、アリスの前では自然体になれるのです。
不幸な結婚生活を送るアリスと逢引を続けながら、やはり逆たまの夢捨てきれぬジョーは、スザンの誘惑に成功し、やがて妊娠させてしまう。スザンの両親は世間体を守るため、ジョーに良い職を提供し、娘と結婚させる事に。このニュースに傷ついたアリスは、泥酔したまま車を運転し、事故死してしまいます。心底ではアリスを愛していたジョーは、アリスの死に愕然。重い心で結婚式を迎える。夢見る夢子さんのような、精神的に幼く、単純なスザンと、裕福ながら、会話もなく、心満たされない結婚生活を送っていくのでしょうか。
男がうんと年上のカップルと言うのは、よーくある話ですが、女性が10以上も男性より年上だと、悲劇に終わる事が多い感じです。女の価値は、若さと美しさで計られる事が多いのは、昔から変わってませんから、いまだ、シワ取りクリーム業界は、大繁盛です。男は、かなりの年になるまで子供を作れるので、おじいさんになっても、子供を生める年の女性を本能的に好む、という生物学的理由もあるようですが。アリスも、ジョーが見ていないときに、鏡で、自分の顔に衰えが出ていないかチェックしたりするシーンもあり、これは、2人、もし結ばれていても、後々、彼女が、何かにつけて、体の衰えを気にして、辛い事になっていたかもしれません。自分の彼女にしわがあっても、ふけて見えても気にしない、彼女の精神が好きだ、などという男性は、素敵ですが。
原題:Room at the Top
監督:Jack Clayton
言語:英語
1959年
*****
シモーヌ・シニョレもそうですが、このころの女優さん、彫刻の様な、丸くしっかりした神々しい肩や二の腕の持ち主が多い。お痩せタイプにも、時に、少女的、中性的魅力はあるのですが、シミーズ姿やノースリーブで登場する時、たしかに、やせた肩と腕より、ボリュームがある方が、色気はでるのです。もちろんボリュームはあっても、肩も腕も、ふにゃっとたるんでいない事は必須。イギリスに多い、ビンゴ・ウィングス(bingo wings)の様な二の腕は、バツです。(このビンゴ・ウィングスというのは、ビンゴをするような太り気味年配女性に多い、持ち上げると、羽の様に、たるんだお肉がぺろんと下がってしまう二の腕の事を表現する言葉です。)私も、バーベル持ち上げ、神々しい肩と腕目指して体操でもしてみようかな。
そういえば、ジョージ・エリオットの小説「フロス湖畔の水車小屋」(The Mill on the Floss)内に、主人公マギーの美しい二の腕を描写するこんな一説があったのを覚えています。
Maggie bent her arm a little upward toward the large half-opened rose that had attracted her. Who has not felt the beauty of a woman's arm? The unspeakable suggestions of tenderness that lie in the dimpled elbow, and all the varied gently lessening curves, down to the delicate wrist, with its tiniest, almost imperceptible nicks in the firm softness. A woman's arm touched the soul of a great sculptor two thousand years ago, so that he wrought an image of it for the Parthenon which moves us still as it clasps lovingly the timeworn marble of a headless trunk. Maggie's was such an arm as that, and it had the warm tints of life.
マギーは、半分開きかかった大きなバラの花に気を惹かれ、腕を少しその方向へ持ち上げた。女性の腕に美しさを感じない者はいるのだろうか?くぼみのある肘に秘められた表現できない優しさ、やがては細い手首へとむけ変化する曲線、硬質のやわらかさに、それは微妙になされた彫り目。2000年以上も前、女性の腕は、偉大な彫刻家の魂を揺らし、彼は、パルテノン宮殿に、そのイメージを彫り残したのだ。時を経た大理石の、頭部を失った彫刻の胴体に彫り込まれたその美しさは、今でも我々の心を動かす。マギーの腕は、その様な腕だった、そして、その中には、生きた温かみも脈打っていた。
「フロス湖畔の水車小屋」(第6本、10章)
この後、側でこの様子を見ていた、マギーの友人の恋人、スティーブンが、その魅力にくらくらっときて、思わず、マギーの腕に接吻のシャワーをあびせる。そして、軽んじられた、と感じたマギーは、「傷ついた戦いの女神の様に」怒りを露にする、という場面が続くのでした。バルテノン神殿を飾った彫刻郡であるエルギン・マーブルは、19世紀初めには、すでに大英博物館に展示されていたので、ジョージ・エリオットも、きっと、実物を見ていたのでしょう。(写真上:大英博物館蔵、エルギン・マーブルの一群、写真はウィキペディアより拝借したものを加工)
ジョージ・エリオットは女性であるので、女性が女性美を描く文章ですから、多少男性の意見と違うという事はあり得るかもしれません。第一、「マギーは、胸もおけつもでかいので色っぽい」などと書いたりしたら、薫り高い文学作品が三文小説へと落ちてしまいますし。
この小説は、男女の年の差はありませんが、やはり悲恋と終わる、かなりせつない内容でした。
戦後間もないイギリスはヨークシャー州の工業都市。労働階級出身の青年ジョーは、安定してはいるが、高給ではない仕事につき、それを一生続けてささやかに生きていくつもりはない。町の産業界の有力者の娘スザンをなんとか誘惑し、逆たまを狙いたいところ。スザンの両親は、娘につきまとうジョーを良からず思う。どこの馬の骨とも分からぬ男を、娘の婿などには問題外。
スザンと2人きりになれるチャンスを作るため、彼女が属するアマチュア劇団に参加するジョー。そこで知り合った既婚で年上のフランス女性アリス(シモーヌ・シニョレ)に徐々に心を開き、恋仲に。ジョーは、他では虚勢を張り生きているものの、アリスの前では自然体になれるのです。
不幸な結婚生活を送るアリスと逢引を続けながら、やはり逆たまの夢捨てきれぬジョーは、スザンの誘惑に成功し、やがて妊娠させてしまう。スザンの両親は世間体を守るため、ジョーに良い職を提供し、娘と結婚させる事に。このニュースに傷ついたアリスは、泥酔したまま車を運転し、事故死してしまいます。心底ではアリスを愛していたジョーは、アリスの死に愕然。重い心で結婚式を迎える。夢見る夢子さんのような、精神的に幼く、単純なスザンと、裕福ながら、会話もなく、心満たされない結婚生活を送っていくのでしょうか。
男がうんと年上のカップルと言うのは、よーくある話ですが、女性が10以上も男性より年上だと、悲劇に終わる事が多い感じです。女の価値は、若さと美しさで計られる事が多いのは、昔から変わってませんから、いまだ、シワ取りクリーム業界は、大繁盛です。男は、かなりの年になるまで子供を作れるので、おじいさんになっても、子供を生める年の女性を本能的に好む、という生物学的理由もあるようですが。アリスも、ジョーが見ていないときに、鏡で、自分の顔に衰えが出ていないかチェックしたりするシーンもあり、これは、2人、もし結ばれていても、後々、彼女が、何かにつけて、体の衰えを気にして、辛い事になっていたかもしれません。自分の彼女にしわがあっても、ふけて見えても気にしない、彼女の精神が好きだ、などという男性は、素敵ですが。
原題:Room at the Top
監督:Jack Clayton
言語:英語
1959年
*****
シモーヌ・シニョレもそうですが、このころの女優さん、彫刻の様な、丸くしっかりした神々しい肩や二の腕の持ち主が多い。お痩せタイプにも、時に、少女的、中性的魅力はあるのですが、シミーズ姿やノースリーブで登場する時、たしかに、やせた肩と腕より、ボリュームがある方が、色気はでるのです。もちろんボリュームはあっても、肩も腕も、ふにゃっとたるんでいない事は必須。イギリスに多い、ビンゴ・ウィングス(bingo wings)の様な二の腕は、バツです。(このビンゴ・ウィングスというのは、ビンゴをするような太り気味年配女性に多い、持ち上げると、羽の様に、たるんだお肉がぺろんと下がってしまう二の腕の事を表現する言葉です。)私も、バーベル持ち上げ、神々しい肩と腕目指して体操でもしてみようかな。
そういえば、ジョージ・エリオットの小説「フロス湖畔の水車小屋」(The Mill on the Floss)内に、主人公マギーの美しい二の腕を描写するこんな一説があったのを覚えています。
Maggie bent her arm a little upward toward the large half-opened rose that had attracted her. Who has not felt the beauty of a woman's arm? The unspeakable suggestions of tenderness that lie in the dimpled elbow, and all the varied gently lessening curves, down to the delicate wrist, with its tiniest, almost imperceptible nicks in the firm softness. A woman's arm touched the soul of a great sculptor two thousand years ago, so that he wrought an image of it for the Parthenon which moves us still as it clasps lovingly the timeworn marble of a headless trunk. Maggie's was such an arm as that, and it had the warm tints of life.
マギーは、半分開きかかった大きなバラの花に気を惹かれ、腕を少しその方向へ持ち上げた。女性の腕に美しさを感じない者はいるのだろうか?くぼみのある肘に秘められた表現できない優しさ、やがては細い手首へとむけ変化する曲線、硬質のやわらかさに、それは微妙になされた彫り目。2000年以上も前、女性の腕は、偉大な彫刻家の魂を揺らし、彼は、パルテノン宮殿に、そのイメージを彫り残したのだ。時を経た大理石の、頭部を失った彫刻の胴体に彫り込まれたその美しさは、今でも我々の心を動かす。マギーの腕は、その様な腕だった、そして、その中には、生きた温かみも脈打っていた。
「フロス湖畔の水車小屋」(第6本、10章)
この後、側でこの様子を見ていた、マギーの友人の恋人、スティーブンが、その魅力にくらくらっときて、思わず、マギーの腕に接吻のシャワーをあびせる。そして、軽んじられた、と感じたマギーは、「傷ついた戦いの女神の様に」怒りを露にする、という場面が続くのでした。バルテノン神殿を飾った彫刻郡であるエルギン・マーブルは、19世紀初めには、すでに大英博物館に展示されていたので、ジョージ・エリオットも、きっと、実物を見ていたのでしょう。(写真上:大英博物館蔵、エルギン・マーブルの一群、写真はウィキペディアより拝借したものを加工)
ジョージ・エリオットは女性であるので、女性が女性美を描く文章ですから、多少男性の意見と違うという事はあり得るかもしれません。第一、「マギーは、胸もおけつもでかいので色っぽい」などと書いたりしたら、薫り高い文学作品が三文小説へと落ちてしまいますし。
この小説は、男女の年の差はありませんが、やはり悲恋と終わる、かなりせつない内容でした。
こんにちは
返信削除日本でも最近、年の差カップルの結婚が芸能ニュースをにぎわしています。45歳差なんて方もいます。私などすぐに遺産目当て?などと疑ってしまいますが、どうなんでしょ?確かに若い時は年上の人は頼れる存在ですが、保護者のように振る舞われるのも嫌ですよね。寿命が延びたのも影響しているかもしれませんね。
二の腕はテキメンに年齢が出てしまうような気がします。おそろしー。
男は金、女は美貌というカップルは多いですね。それで、本人達、幸せなら、良いでしょうが。45歳違いは、さすがにパスです。悪いけれど、普通は、異性としては見れない気がします。まあ、色んな人いますが。
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