マーシャルシー監獄
イギリス人は、多額の借金をする事に対して、あまり抵抗の無い国民性という印象を受けます。クレジットカードを多用し、毎月最低限だけの返済をして、利子がどんどんついても、お構いなしの様な人も結構いるようです。また、一般的に、借金を返せない人間に対しても、比較的寛容な国の気がします。返せなければ、破産宣言して、出直せばいいじゃん、とそれで終わり。
昔はそうではなかった・・・昔は、借金を返せない人間には、泣く子も黙る債務者監獄(debtor's prison)があったのです。その中のひとつ、ロンドン南部のサザーク区にあったマーシャルシー監獄(Marshalsea Prison)は、チャールズ・ディケンズが12歳の時に、父であるジョン・ディケンズが、パン屋への借金が返済できずに、3ヶ月投獄された場所。また、ディケンズの小説「リトル・ドリット」の舞台ともなっています。
A prison taint was on everything there. The imprisoned air, the imprisoned light, the imprisoned damps, the imprisoned men, were all deteriorated by confinement. As the captive men were faded and haggard, so the iron was rusty, the stone was slimy, the wood was rotten, the air was faint, the light was dim. Like a well, like a vault, like a tomb, the prison had no knowledge of the brightness outside; and would have kept its polluted atmosphere intact, in one of the spice islands of the Indian Ocean.
牢獄の腐敗は、内部のあらゆる物に感じられた。閉じこめられた空気、閉じこめられた明かり、閉じこめられた湿気、閉じこめられた者達、その全てが、閉鎖によって腐敗していっていた。投獄された者たちが、萎え衰えてゆくように、鉄は錆び、石はぬるりとし、木材は朽ち果て、空気は薄く、明かりはわずかであった。井戸の様に、地下室の様に、墓の様に、牢獄は、外部の明るさを知らない。そして、インド洋のスパイス・アイランドの島同様、むせかえる大気を、そのまま保っているのである。
「リトル・ドリット」より
悪名高きフリート監獄や、マーシャルシー監獄は、多少、他の罪に問われた者も投獄されていたものの、大半は、借金が返済できず、債権者の意思により、投獄されてしまった人間の住処。こういった債務者監獄は、営利目的の個人経営であったため、投獄された者は、アパートを借りるがごとく、監獄費を払う必要があり、食事、衣服、その他諸々の必要物資全て、自分で賄う必要がありました。もともと、借金も返済できない状態なのに、牢屋にいる事で、働く事もできず、金はかかるばかり。そんなこんなで、非常に長い間、牢獄を出られない人間も多かったといいます。牢獄内には、囚人達が経営する、コーヒー店、雑貨屋、床屋などまであったという話です。
一家の大黒柱が投獄されてしまった場合は、家族全員、牢獄に移り住む、という事もあったようで、「リトル・ドリット」の主人公エイミーも、父がおそらく一生、牢獄を出られないだろう、という状況で、マーシャルシー監獄内で生活。エイミーの様に、父ちゃんが働けないので、子供が日中、外に働きに出るという事も、良くあったようです。牢獄の中にいても、外に住んでいても、貧しい家族は、大黒柱を牢獄に入れておく費用を払うために働く・・・という理不尽な事となっていた次第。ディケンズも、父が投獄された際に、工場へ仕事に送り出される事となります。
最初に建てられたマーシャルシー監獄は、14世紀あたりまで遡るという事。最初のマーシャルシーは、ある程度の金がある人物用と貧民用の2種の牢獄に別れ、前者は、家賃を払い、まあまあのコンディション(それでも、部屋は相部屋)。後者は、牢獄費も払えない様な人物も多く、ぎゅうぎゅう詰めの不潔な部屋。当然、食べ物も買えないような人物も多く、そのまま餓死・・・という事もあり。また、牢獄費を払えずに、拷問を受けた後、更に酷い部屋に放り込まれ、そのまま死んだりすると、即、ねずみにかじられる・・・などというケースもあったようです。
1811年に、この牢獄がぼろくなり、マーシャルシーは、少し離れた場所に再建。ディケンズの父が送られたのも、リトル・ドリットの舞台も、こちらの第2のマーシャルシーです。こうした債務者監獄に投獄される恐怖もさることながら、あまりにも長い間、監獄を住処として、監獄内である程度の日常を得た人間にとっては、外の世界に出て、そこで再び一般社会生活を始める事が恐ろしいという事情もあったようです。
徐々に、非人道的な債務者監獄は社会問題として取り上げられるようになり、1842年に、マーシャルシーは、ついに閉鎖されます。1869年には、借金返済のできない者を投獄する事自体が、違法となります。
現在、第2マーシャルシー監獄の面影は、レンガの塀が残るのみ。以前、教会の墓地だったこの公園の後ろに見えるのがマーシャルシーの外壁だったもの(上の写真)。
塀の背後には、今では、シャードがそそり立って見えます。
公園から門を抜けて細い路地へ出ると、そこは、以前、マーシャルシーの中庭だった場所です。牢獄のあったあたりは、今は図書館。
昔はそうではなかった・・・昔は、借金を返せない人間には、泣く子も黙る債務者監獄(debtor's prison)があったのです。その中のひとつ、ロンドン南部のサザーク区にあったマーシャルシー監獄(Marshalsea Prison)は、チャールズ・ディケンズが12歳の時に、父であるジョン・ディケンズが、パン屋への借金が返済できずに、3ヶ月投獄された場所。また、ディケンズの小説「リトル・ドリット」の舞台ともなっています。
A prison taint was on everything there. The imprisoned air, the imprisoned light, the imprisoned damps, the imprisoned men, were all deteriorated by confinement. As the captive men were faded and haggard, so the iron was rusty, the stone was slimy, the wood was rotten, the air was faint, the light was dim. Like a well, like a vault, like a tomb, the prison had no knowledge of the brightness outside; and would have kept its polluted atmosphere intact, in one of the spice islands of the Indian Ocean.
牢獄の腐敗は、内部のあらゆる物に感じられた。閉じこめられた空気、閉じこめられた明かり、閉じこめられた湿気、閉じこめられた者達、その全てが、閉鎖によって腐敗していっていた。投獄された者たちが、萎え衰えてゆくように、鉄は錆び、石はぬるりとし、木材は朽ち果て、空気は薄く、明かりはわずかであった。井戸の様に、地下室の様に、墓の様に、牢獄は、外部の明るさを知らない。そして、インド洋のスパイス・アイランドの島同様、むせかえる大気を、そのまま保っているのである。
「リトル・ドリット」より
悪名高きフリート監獄や、マーシャルシー監獄は、多少、他の罪に問われた者も投獄されていたものの、大半は、借金が返済できず、債権者の意思により、投獄されてしまった人間の住処。こういった債務者監獄は、営利目的の個人経営であったため、投獄された者は、アパートを借りるがごとく、監獄費を払う必要があり、食事、衣服、その他諸々の必要物資全て、自分で賄う必要がありました。もともと、借金も返済できない状態なのに、牢屋にいる事で、働く事もできず、金はかかるばかり。そんなこんなで、非常に長い間、牢獄を出られない人間も多かったといいます。牢獄内には、囚人達が経営する、コーヒー店、雑貨屋、床屋などまであったという話です。
一家の大黒柱が投獄されてしまった場合は、家族全員、牢獄に移り住む、という事もあったようで、「リトル・ドリット」の主人公エイミーも、父がおそらく一生、牢獄を出られないだろう、という状況で、マーシャルシー監獄内で生活。エイミーの様に、父ちゃんが働けないので、子供が日中、外に働きに出るという事も、良くあったようです。牢獄の中にいても、外に住んでいても、貧しい家族は、大黒柱を牢獄に入れておく費用を払うために働く・・・という理不尽な事となっていた次第。ディケンズも、父が投獄された際に、工場へ仕事に送り出される事となります。
最初に建てられたマーシャルシー監獄は、14世紀あたりまで遡るという事。最初のマーシャルシーは、ある程度の金がある人物用と貧民用の2種の牢獄に別れ、前者は、家賃を払い、まあまあのコンディション(それでも、部屋は相部屋)。後者は、牢獄費も払えない様な人物も多く、ぎゅうぎゅう詰めの不潔な部屋。当然、食べ物も買えないような人物も多く、そのまま餓死・・・という事もあり。また、牢獄費を払えずに、拷問を受けた後、更に酷い部屋に放り込まれ、そのまま死んだりすると、即、ねずみにかじられる・・・などというケースもあったようです。
1811年に、この牢獄がぼろくなり、マーシャルシーは、少し離れた場所に再建。ディケンズの父が送られたのも、リトル・ドリットの舞台も、こちらの第2のマーシャルシーです。こうした債務者監獄に投獄される恐怖もさることながら、あまりにも長い間、監獄を住処として、監獄内である程度の日常を得た人間にとっては、外の世界に出て、そこで再び一般社会生活を始める事が恐ろしいという事情もあったようです。
徐々に、非人道的な債務者監獄は社会問題として取り上げられるようになり、1842年に、マーシャルシーは、ついに閉鎖されます。1869年には、借金返済のできない者を投獄する事自体が、違法となります。
現在、第2マーシャルシー監獄の面影は、レンガの塀が残るのみ。以前、教会の墓地だったこの公園の後ろに見えるのがマーシャルシーの外壁だったもの(上の写真)。
塀の背後には、今では、シャードがそそり立って見えます。
公園から門を抜けて細い路地へ出ると、そこは、以前、マーシャルシーの中庭だった場所です。牢獄のあったあたりは、今は図書館。
上の写真は、すぐ側にある、セント・ジョージ教会。この教会も、「リトル・ドリット」に何度か登場します。エイミーは、この教会で、洗礼を受け、マーシャルシー監獄の門が閉まってしまい、外で一夜を過ごす事になった時、ここで眠り、また、最後に彼女が結婚するのもここ。内部には、リトル・ドリットを模したステンド・グラスもあるということ。
ディケンズの作品で、他に債務者監獄が登場するのは、半自伝と言われる「デイヴィッド・コパフィールド」。陽気なおとぼけ者、ミコーバー氏は、いつも、何とかなる、と借金をどんどん使い込み、一時は、投獄されるのです。彼の不朽の名言は、
Annual income twenty pounds, annual expenditure nineteen nineteen and six, result happiness. Annual income twenty pounds, annual expenditure twenty pounds ought and six, result misery.
年収20ポンド、年間出費19ポンド19シリング6ペンス、結果は幸福。年収20ポンド、年間出費20ポンド6ペンス、結果は悲劇。
「デイヴィッド・コパフィールド」より
ミコーバーは、ディケンズの父、ジョン・ディケンズがモデルだったという話。ジョン・ディケンズは息子によると「金銭感覚ゼロの、陽気な日和見主義者」。ミコーバーは、最後、家族と共にオーストラリアへ移住し、そこで成功するのです。
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時が経って、いまや、イギリスは、借金はごく普通の事。もともと、ミコーバー的に、「何とかなる」風の感覚の人が多いところへ、返済できない事に関する罪と恥の意識がなくなったことで、責任を持って返す、という姿勢が欠如した社会となりました。個人レベルでもそうなら、国としても、借金が増えたら、インフレ起こして、借金自体の価値をさげてしまう、というこそくな手段を取りますから。
イギリスだけに限らず、現在のギリシャ等のモラルの無さにはびっくりです。思慮無く、借りた金で大盤振る舞いした挙句、自分達でそのつけを払おうとしない、こういった国の借金の肩代わりをさせられるとしたら、ドイツの納税者は本当に気の毒です。ちなみに、ギリシャは、ヨーロッパ諸国の中で、フィリピン等東南アジアからの家政婦を自宅で使っている割合が一番高い国なのだそうです。あれー、お金無いんじゃなかったのー?退廃と怠慢・・・ですね。
中世やヴィクトリア時代初期の様な、債務者監獄を再オーブンしろとは言いませんが、「何とかなる」と無い金で贅沢せず、借りたものは極力返す努力をする、モラルを持った社会を取り戻して欲しいものです。ただし、極貧に生まれてしまった子供、個人の努力を超えた、不幸災難に見舞われた人間が生きていける安全ネットを備えておく事は国として必要でしょうが。以前、あまりに酷く、理不尽だった事を、改革改善する過程で、個人の自由尊厳を重視しすぎ、義務責任を全く無視するような仕組みを作ってしまうというのは、この国の過去の歴史を見ていて、大変多い気がします。両者のバランスが取れる、調度いい仕組みを持った社会を作るのが望ましいのでしょうが。
こんにちは
返信削除借金の返済がどれほど人を苦しめるかは、その人によって受け取り方が違うのでしょうか?何か頂いても、お返しの事を考えてストレスに感じる私など、借金ができる器ではないようです。もっと大様に構えたいものです?
お金にまつわる人の生き様には本当に様々で、まさに面白い?なのかもしれません。
個人経営の債務監獄というのを初めて知りました。でも生活保護受給者が急増している日本で、彼らをめあてに民間経営による牢獄に近い施設などが生まれつつあるようで、おそろしい事です。
仕方がなく借金というより、借金があるのに、更にホリデーへ行くため、新しい家具や流行のファッションを買うための借金をする、という人、この国かなりいる感じです。お金がないので、多少のきりつめをする、という感覚が、日本に比べ希薄。以前の職場の日本人駐在員の同僚は全員、クレジットカードの返済は、30日間の無利息期間に済ませていました(私もそうですが)。こちらは、ずるずると、払えるのに払いきらないという傾向があります。お国柄ですかね、これも。
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