ドルリー・レーン劇場

ロンドンはコヴェントガーデンにほど近い、ドルリー・レーン劇場(Theatre Royal Druly Lane)は、現在も興行を続けている世界で一番古い劇場のひとつだと言われています。この劇場内のツアーがあると聞いて、先月、参加してきました。現在の建物は、1812年に遡るものです。内部は当然、修繕改造されているわけですが、外見は、この時から、ほぼ同じということ。この現在の建物に至るまでの、ドルリー・レーン劇場の歴史を、ざっと書くと・・・

この場所に、最初の劇場が建てられ興行が開始したのは、1660年の王政復古(レストレーション)も間もない、1663年の事。オリバー・クロムウェルの共和制時代には、劇場やお祭りなどの余興、ひいてはクリスマスなんぞも、無駄な物、神の意に反する不真面目なものと見られ、禁止となります。メリー・モナーク(陽気な王様)の異名を取ったチャールズ2世が、クロムウェルの死後に、亡命先から呼び戻され、王座に着くと、王は、2つのグループに、特許状を出し、芝居をかける権利を与えます。そのうちの一つが、トマス・キリグル(Thomas Killigrew)の率いる劇団で、当劇団はキングス・カンパニー(King's Company)と呼ばれるようになります。彼が、この場に最初の劇場を建設。

チャールズ2世もこの劇場に足しげく通います。もともとは、当劇場で、オレンジの売り子として働き、やがて、キングス・カンパニーのメンバーとして、舞台に立つようになった女優のネル・グウィンは、チャールズ2世お気に入りのお妾さんとなるのです。当劇団おかかえ劇作家として、王政復古喜劇(リストレーション・コメディー)を代表する劇作家の一人として知られるジョン・ドライデンなどがいます。

ようやく、楽しい余興がイギリスに戻って来た数年後の1665年夏に、ロンドンを襲うのが、黒死病(ペスト)。猛威を振るったこの病魔が必要以上に広がるのを抑えるため、約18か月、劇場などの大人数が集まる場所は閉鎖となります。ロンドンのシティー西圏外にある当劇場は、その翌年の9月にロンドンのシティーを焼きつくした、ロンドン大火からは、免れますが、1672年に、別の火災で焼失。

2番目の劇場は、1674年に再建。18世紀のもっとも有名なイギリス俳優、デイヴィッド・ゲイリック(David Garrick)は、1747年から1770年の間、当劇場のマネージャーとなり、シェイクスピアを好み、数多くのシェイクスピア劇を当劇場で公演。

やがて、ゲイリックは、アイルランド出身の劇作家で政治家でもあった、リチャード・ブリンズリー・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan)に当劇場の株を売り、1809年まで、リチャード・シェリダンが劇場のオーナーとなり、「Comedy of Manners」 「The School for Scandal(悪口学校)」などの彼の代表喜劇は、当劇場でプレミア。また、1745年に、イギリスの国歌、God Save the Queen / King (神よ、女王・王を守りたまえ)が最初に演奏されたのも、この2番目の劇場となります。時の王様は、ジョージ2世。

シェリダンは、ぼろぼろになってきた2番目の劇場の再建を1791年に行っています。なにせ、100年以上も前に建てられたものであったため、劇場再建の話が決まった時は、構造的に、かなり危ない状態にある、と噂されており、時の風刺画家、トマス・ローランドソン(Thomas Rowlandson)は、これを受けて、この2番目のボロ劇場が、公演中に、崩れ落ちる風刺画(上)を残しています。

こうして、せっかく再建した、第3番目の、シェリダンのおニューの劇場なのですが、建築から20年と経たない、1809年に火災で焼失。この際、「お前の劇場が燃えている」の知らせに、火災を見に駆け付けたシェリダンは、それを見ながらワインを飲み、「自分の暖炉の火に当たりながら、ワインを飲んだっていいだろう。(A man may surely be allowed to take a glass of wine by his own fireside.)」と豪語したとか。

ドルリー・レーン劇場ロビー
そんな、はったりとは別に、シェリダンは、この火災で破産。劇場とそのマネージメントは、友人で醸造業を営んでいたサミュエル・ウィットブレッド(Samuel Whitbread)の手に渡り、ウィットブレッドの投資により、1812年、第4番目の、現存の劇場の建設となるのです。じゃじゃーん!ちなみに、サミュエル・ウィットブレッドが醸造会社として創始したウィットブレッド社は、現在もホテルやレストラン・チェーンの経営をする企業として存在しています。

さて、この新しい劇場ができたのは、ジョージ3世の時代。以前、「狂ったジョージと太ったジョージ」という記事でも書いた様、ジョージ3世と、彼の長男で後にジョージ4世となるプリンスは、犬猿の仲。2人とも、当劇場に時折足を運んだものの、この二人が劇場で、顔を合わせようものなら、両者と、両者のおつき者たちの間で、大変なもめごと、こぜり合いとなったため、劇場側は、二人のために別々の入り口と、2つのロイヤル・ボックス(劇場などでの王室用のボックス席)を儲けることとなります。劇場ロビーから一歩中に入り、客席へと向かう階段の下に、

こうして、「王様側」と書かれた、ジョージ3世とそのおつき用の入り口と、

「プリンス側」と書かれた別のドアが2つ設置されたものが残っているのです。

ツアーでは、それぞれこの両者のロイヤル・ボックスにつながる待合室のような場所もみせてくれます。そのうちのひとつ(おそらく王様側の方)は、現王室メンバーによっても使用されているそうで、エリザベス女王を初め、他の王室メンバーが訪れると、

ここで芝居前、または幕間に、リフレッシュメントや軽食を取ったりするのだそうですが、案内をしてくれた人の話によると、食べ物、飲み物はすべて、王室側が用意して持ってくるのだそうです。いろいろな人が出入りする劇場内でのサービスに任せて、飲食物に毒を盛られたり、食中毒起こしたりしても困るからでしょう。女王も座るという、この赤い椅子に座ってもいいよ、と言われたので、高貴なポーズで座った写真も取ってきました。

ロイヤル・ボックスは、こんな感じです。

舞台上では、装置などのテストをしていましたが、案内の人に、舞台上の写真は撮らないで欲しいと言われたので、ここに映っているのは客席のみ。

舞台裏ならぬ舞台下はこんな感じとなっています。舞台の一部を上に押し上げたり下げたりする巨大設備。

また、この劇場は、ロンドン内の劇場で最も頻繁にお化けが出没するのだそうです。ホントかい。

当劇場、第2次世界大戦中は、わずかな被害を受けただけで終わり、戦後は、特に、比較的大きな舞台を有効に生かして、ミュージカルの公演が盛んに行われてきました。ロジャース&ハマースタインによるミュージカルのうち4作(オクラホマ、回転木馬、南太平洋、王様と私)は、当劇場で、ロンドン・デビューを果たしています。ブロードウェイでのオリジナル・キャスト(ジュリー・アンドリュースとレックス・ハリソン)による「マイ・フェア・レディー」のロンドン・デビューも当劇場。レックス・ハリソンは、「マイ・フェア・レディー」の映画版でのイライザ役に、舞台で共演した、歌唱力抜群のジュリー・アンドリュースではなく、オードリー・ヘップバーンが起用されたのには大反対であったという話を聞いたことがあります。当劇場での一番のロング・ランは、ミュージカルの「ミス・サイゴン」だそうで、1989年から、1999年と、約10年間。

現在、当劇場は、ミュージカルの作曲家、アンドリュー・ロイド・ウェバー所有。ツアーの終わりに、来年から、しばらく、内部の一大改造を執り行うため、しばらく閉まるのだと聞かされました。改造工事が始まると、終了まで1,2年は軽くかかるかもしれません。修理後のこけら落としは、すでに、ディズニーの「フローズン(Frozen、アナと雪の女王)」と決まっているのだそうです。

という事で、この修理工事が始まる前にと、現在、ドルリー・レーンでかかっているミュージカル、「42nd Street (42番街)」を見に行ってきました。42番街は、ニューヨークはブロードウェイの中心で、ミュージカル・シアターの代名詞。もとは、1933年に制作された、同名の白黒映画を土台にして、1980年にお目見えしたミュージカル。普通は、まず、ブロードウェイでのショーが成功してから、映画化というのが多いようですが、これは、その反対のケース。

「42番街」の、ロンドンでのプレミアは、やはり、当劇場で行われ、1984年の事。英語版ウィキペディアの情報によると、この際の興行で、人気テレビ「ザ・ダーリン・バッズ・オブ・メイ」でイギリスお茶の間の人気者となる前の、17歳のうら若きキャサリン・ゼタ・ジョーンズが、コーラスガールメンバーの一人として舞台に立っていたのだそうです。そして、主役のペギー・ソーヤーを演じていた女優と、さらにはその代役が病気となり、ゼタ・ジョーンズが急遽、ペギー・ソーヤ役を任せられ、それが好評であったため、しばらく主演を続けたのだと。この話が本当だとしたら、この物語の筋書にも似た逸話。

時の設定は1933年。幕が上がる前に、「42番街の時代は、スマホなどありませんでした。携帯はオフにして、写真はご遠慮ください」のアナウンス。話は、田舎からブロードウェイを夢見て、ニューヨークへやって来たペギー・ソーヤーが、大勢の中の一人のダンサーとして、「プリティー・レーディー」というタイトルの新しいショーのプロダクションに参加。ところが、初日わずかという時に、ベテラン主演女優がケガをする。急遽バトンタッチで、無名のペギーは代役を任せられ、大急ぎで歌に振付を覚えて、見事にショーを成功させ、スター誕生!となるものです。

きらきらの衣装、1930年代の雰囲気をかもしだす舞台装置、大勢での迫力ダンスと、ノスタルジア漂う「42番街」のメイン・メロディー。クリスマスシーズンにはぴったりの観劇となりました。

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