英国総督 最後の家


「Viceroy's House」(英国総督 最後の家)という映画をDVDで見ました。舞台は1947年のインド。インドが、大英帝国から独立するにあたり、受け渡しのために、最後のインドの総督となったルイス・マウントバッテン(Louis Mountbatten)と、妻エドウィーナ、娘パメラは、デリーにあった豪華な英国総督館に滞在。マウントバッテンは、着任から18か月で、イギリスのインドからの撤退、インドの独立をスムースに執り行う役目を果たすために派遣されたわけですが、インド内に存在する宗教間の違いの打開策を見つける事ができず、最終的に、インドとパキスタンと、2つに分離しての独立にこぎつける過程を描いています。マウントバッテン夫妻は、非常にインドの独立に対しては同情的で、過去の総督が敵とみなしていたマハトマ・ガンジーとも、着任早々、会談。

マウントバッテン演じるは、ダウントン・アビーでお馴染みのヒュー・ボネヴィル、エドウィーナ夫人は、ジュリアン・アンダーソン。このマウントバッテンという人物は、現エリザベス女王の夫君プリンス・フィリップの叔父にあたり、女王とも遠縁。映画内でも、そうした王室との関係を思わせ、娘のパメラが、エリザベス王女(まだ父王健在の時ですので)が結婚するにあたり、ブライド・メイドの一人になる、という話も挿入されていました。マウントバッテンは、インドの独立からかなり時が経った、1979年、アイルランドでの休暇中にヨットに乗っている際、IRA(アイルランド共和軍)により、ヨットにしかけられた爆弾で暗殺死しています。

さて、当時のインドは、人口約4億人で、様々な宗教を信じる人民から構成されていた国。うち、2つの大きな宗教が、ヒンズー教とイスラム教で、ヒンズーが、大多数を占めます。それまで、イギリスという蓋の下で、異なる宗教に属する人間たちが、隣同士で、平穏に生きて来たわけです。が、イギリスの支配が消え、民主義国家として独立すると、どうしても大多数の宗教であるヒンズー教信者たちに政治が牛耳られ、自分たちは巨大国家の少数派として、差別を受けることを懸念した、インド・ムスリム連盟指導者で、後のパキスタン総督となるムハンマドー・アリー・ジンナー(Muhammad Ali Jinnah)は、イギリスが去った後は、インドとは別に、イスラム教信者の多い地域を、パキスタンというイスラム教徒の国として独立させるとがんばり、一切の妥協の様子を見せない。ジンナーは、イギリスで教育を受け、国際的で洗練された人物であり、宗教が社会を支配すると信じる、狂信派のイメージは皆無ですが、イスラム教徒とヒンズー教徒は基本的に違い、両者にとって、今まで唯一共通であったのは、英国による支配だけであり、それが無くなるとなると、宗教によっての分離が必然という姿勢。それに対し、インド独立運動指導者で、後初代インド首相となるジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru)と、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)は、宗教の差にこだわらず、まとまった一つのインドとしての独立を夢見て、それを目指したい。当初は、マウントバッテンも、ネルーとガンジーと同様、分離なしでの独立を願っていたようです。

国民間でも、この宗教的緊張と対立ムードが高まっていき、最初にそれが暴力沙汰へとエスカレートする地域が、インド北西部のパンジャーブ地方。パキスタン人が比較的多い地域でありながら、シーク教(ターバンをしている人たちです)信者もまた多数いる場所。まず、自分たちの地域が、パキスタンとしてイスラム教の支配下になってしまう事をおそれたシーク教徒とイスラム教徒の間で、殺し合いがはじまり、それが、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間にも飛び火。暴力の波は、そのうちに、インド各地に広がっていきます。

マウントバッテン夫妻は、実情把握のため、パンジャーブ地方のツアーを執り行い、広がって、壮絶さを増していく、宗教間での暴力沙汰を抑えるには、インドとパキスタンを分けるしかないと決断。ネルーも、これ以上の惨事を抑えるために、ついに分離独立に同意。マウントバッテンは、一時ロンドンへと戻り、イギリス国会からインド、パキスタン分離独立の方針の合意を受諾。当初の予定より、10か月近く早い、1947年8月15日に両国を独立へこぎつけるという事になります。また、問題地域であるパンジャーブ地方も、インドとパキスタン部へ分割される事が妥協策として決まります。

分離により、国の資産、富、インフラと負債も、インド80%、パキスタン20%に分ける事となります。これは総督邸内でも厳密に行われ、邸内の図書館の本から、楽器、食器、調度品にいたるまで、これはインドの物、これはパキスタンの物、と振り分けるシーンが、映画内でありました。また、館に務める者たちも、すべて、どちらの国に移りたいかを決め宣言していく必要も出てきて、今まで仲良く働いていた同僚間でも、国籍で袂を分ける、意見の違いでの口論も起ってくるのです。

どこがインドで、どこがパキスタンかと、線引きする係りは、イギリスから送られ、一度もインドに来たことが無かったという国家公務員、法律家のシリル・ラドクリフ(Cyril Radcliffe)。どちらの陣営からも、プレッシャーをかけられないように、隔離した部屋で、地図とにらめっこの線引き作業を、36日でこなすのです。

上の図は、ウィキペディアから拝借した、ラドクリフの分離図。緑の部分がパキスタンです。東パキスタンは、後の1971年に、更にパキスタンから独立し、バングラデシュとなりますが。

独立が起こった時に、違うエリアに留まり、殺されるのを恐れた市民たちは、ラドクリフの国境が発表される前から、すでに移動を開始するのですが、移動中にも、他宗教狂信派による惨殺が、各地で起こる始末。映画でも、安全なところに逃げようと、電車に乗ったはいいが、その電車が襲われ、乗客ほとんどが惨殺される話などがでてきます。この分離の結果、1千4百万人が大移動、100万人がその過程で殺されるに至ります。

8月14日に、まず、パキスタンが独立し、その12時間後、インドが独立。ネルーは、8月15日の真夜中を回った直後に、有名な独立スピーチを行います。

At the stroke of the midnight hour, when the world sleeps, India will awake to life and freedom.
真夜中を告げる鐘が鳴り、世界がまだ眠る中、インドは命と自由に目覚める・・・

かっこいいスピーチではあるものの、実際は、命と自由に目覚めるどころか、まだ、この段階で、命からがら、安全圏内へ向けて、逃げ惑う人民が沢山いたのですが。

映画では、この歴史的背景の他に、総督邸に仕えていた、ヒンズー教の青年ジートとイスラム教の女性アーリアという、宗教によって国籍を異にする可能性のある二人の、恋の物語が組み込まれています。最後、この二人が、結ばれる?という可能性を持って終わり、多少、くさみもありますが、悲惨なストーリーに多少の希望を持たせています。実際、同映画の監督の両親は、この分離独立の際の大移動経験者で、一時は、その過程で、お互いを見失い離れ離れになりながら、最終的に再開できたのだそうです。

映画内では、また、ソ連とインドという2大国家の間に、緩衝国を作り上げるため、ウィンストン・チャーチルとイギリス政府が、マウントバッテンには知らせずに、すでにジンナーに、内密にパキスタンの建国を支持することを約束していた、という筋が組み込まれているのですが、これは、歴史的根拠がない、ただの憶測のようです。まあ、この件を無視すれば、英国総督邸とその周辺で繰り広げられる出来事が、時のインドを反映する小世界として描かれていて、興味深かったです。それにしても、第3者による統治や、独裁者による圧力が無くなって、それはそれで、めでたいはずなのに、平和にみんな仲良くとはならず、今度は、それまで隣り合わせで暮らしていた人民が、宗教、人種の違いでの戦いを始める・・・というのは、世界の各地で良くある話です、残念ながら。

原題:Viceroy's House
監督:Gurinder Chadha
言語:英語
2017年

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