ロンドンのセブン・ダイアルズ今昔

ロンドンの大英博物館から南へ下り、西はソーホー、更に南はコヴェント・ガーデンに挟まれたエリアに、7つの細い道路が、星のように集まる場所があります。その星の中心にはコラムが立ち、車がこのまわりをぐるぐる回る小型ラウンドアバウトとなっています。ここが、ロンドンのセブン・ダイアルズ(Seven Dials)。日本語カタカナ表記では、セブン・ダイヤルズと書くほうが普通でしょうか。

コラム上には、6つの日時計が掲げられています。英語でダイアル(ダイヤル)を名詞で使う場合は、「(時計などの)面」の意味がありますので、正式には、シックス・ダイアルズなのです。なんでも、この地が開発された当初の計画では、ここに集まる道は7つではなく、6つだけの予定であり、最終段階で7に増やしたため、コラム上に掲げてある時計は、6つのままとなったのだそうです。

オリジナルのセブン・ダイアルズのコラムがこの地に設置されたのは、遡ること1694年。1689年の名誉革命でイギリスの王座についた、オランダ人の王様、ウィリアム3世の時代の事。政治家であり実業家でもあり、名誉革命を達成するためにも一役買ったと言われるトーマス・ニール(Thomas Neale)が、この周辺の開発にあたるのです。

当初は、セブン・ダイアルズ一帯をファッショナブルな住宅地にする意図があったようですが、18世紀、19世紀と、周辺のガラは向上どころか、更に悪くなり、思惑とは裏腹に、ロンドンでも屈指の、貧困と犯罪がはびこるスラムとなり、気がつくと、セブン・ダイヤルズは、犯罪者の待ち合わせ場所となり果てていました。そんなこんなで、コラムは、1773年には除去されてしまいます。

大型目抜き通りのチャリング・クロス・ロードと、シャフツベリー・アヴェニューが近くに建設されてから、スラムの一部は取り壊されたものの、残ったエリアは、その後も長い間、ほったらかされて、シャビーな状態でありました。私がはじめてこの国に来た時も、まだ、チャリング・クロス・ロード北部の東側というと、かなりばっちい感じでしたから。セブン・ダイアルズに、現在のコラムが設置されたのは、1989年。名誉革命の300年記念の年であったため、当時のオランダのベアトリクス女王が、オープンの日の記念式典に参加。

コラムは、最初のデザインを忠実に再現しているそうです。

今では、この一帯、やはり再開発された後、観光のメッカとなったコベント・ガーデンの延長の感があり、最初の開発者トーマス・ニールの名に由来するニール・ストリート、ニールズ・ヤードなども含め、お洒落っぽくなっています。セブン・ダイアルズのコラムの下には、ピカデリー・サーカスのエロス像の下ほどの賑わいはないですが、待ち合わせのためか、座っている人たちがいました。昔のような、犯罪者たちの待ち合わせではなく、皆、ごく普通の市民風でしたが。

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