一生のうちに取る薬の量

近くに行く用事があったので、大英博物館へちょこっと入ってきました。パリでのテロ事件があったばかりなので、入館には、荷物検査など厳しくされるかな・・・と思いきや、検査など一切無く、入り口付近には、検査官すら見当たらず、皆、そのままどんどん入館と、おおらかなもので、少々、拍子抜けしました。

あまり時間がなかったので、今回は、地階にある1、2部屋見ただけ。入り口付近のイースター島の巨大モアイ像に誘われて、「Living and Dying 生きる事と死ぬ事」と題された部屋(現段階では、ルーム24)に入りました。色々な文化が、生きていくために、どうやって健康を維持するか、危険を逃れようとするか、死に対してどういう対処をするか、というのをテーマにした部屋のようです。

モアイ像の背後に回ると、腰の高さで上から覗く様になっているショーケースが置かれており、その中に展示されていたのは、「大英博物館に、こんなものが・・・。置き場所を、テート・モダンと間違えたんじゃないか。」と思わせるような、モダン・アート風の代物。私、いわゆるモダン・アートは、大したことが無いものをもったいぶって、いかにも深い意味が在るように見せているものが多い気がして、あまり好きではないのですが、これは、ちょっと面白かったのです。長い、2つの、薄い反物のようなものが広げられていて、その布地に、いくつもの薬の錠剤が縫い込まれています。「Cradle to Grave ゆりかごから墓場まで」というタイトルがついており、一反は男性が、一反は女性が一生のうちに飲む薬を、誕生から死まで、ずっとこの反物に縫いこんであり、先進国の人間が、健康維持のために、どれだけ薬を頼りにしているか、という展示。

説明のラベルを読むと、現在イギリス人が一生の間に飲む、さまざまな薬の数は、平均約1万4千。片端の誕生時から時間順に、ある人物が取った薬がずーっと飾られています。誕生後の赤ん坊の時のワクチン用注射器なども展示されていました。

子供のときも、今も、サプリは別として、さほど薬は飲まない方だと、自分では思っているものの、痛み止めや風邪薬など、過去取ったものを全て換算すると、やはり、かなりの量にはなるのかもしれません。白血病患者のうちのだんなに至っては、毎日飲む薬の量だけでもかなりのものがあります。それでも、医者に相談して、いらないものは減らそうと、できるだけ気をつかっているようですが。

男性側展示物の66歳を過ぎてから76歳で亡くなるまでの10年間の薬の量は、66歳になるまでの量と同じということ。女性の方は、乳がんの治療に成功した後、82歳でまだ健在という設定。男性より薬の量が多いのは、まず、女性の方が長生きをする事が多いのと、避妊用のピルを飲む人や、更年期障害対策用のピルを飲む人がいるから、という理由もあるようです。

医学の進歩のおかげで、モアイ像の時代などに比べれば、人間の平均寿命は大幅に伸びたわけで、それはそれで、ありがたいことです。100年前は、西洋諸国ですら、今では、完治できる病気に対し、効果的な薬が無いため、死んでしまった人なども多かったわけですから。

とは言え、昨今は、身体の健康を保つためだけでなく、ストレスを感じる人、うつ病気味の人が増えているため、ハッピー・ピルなどと呼ばれる欝を直す為のプロザックの乱用が話題になっています。嘘か真か、ロンドンはプロザック使用者が多いため、ロンドンの下水には、プロザックの要素が大量に混じっているのだとか。また、プロザックのみならず、ドラッグを使用した人間の尿から、その要素が下水システムに流れ出て、それが飲料水まで影響を与えつつあるなどという、気味の悪いレポートを聞いたことがあります。プロザックや他のドラッグの飲料水内の含有量は、非常に少なく、人体に影響を与えるようなものではないらしいですが、プロザックの要素は、なんでも下水処理場付近のミミズや蛆虫、ハエなどの昆虫の体内に蓄積される可能性があるらしく、それを食べる鳥への影響なども出てくる可能性があるのだとか。また、ドラッグの要素が川に流れ出た場合の魚への影響も懸念されており、避妊用のピルの要素の影響で、一部、雄と雌の区別が難しい魚なども生まれてきているなどと言います。人間は、自分達だけでなく、野生まで薬漬け。

一方、抗生物質なども、乱用のために、すでに存在する抗生物質に対して抵抗力のある病原菌などが発生しているわけですが、抗生物質の乱用は、一般人間社会内はともかく、農家で家畜に多量に与えられる事も問題であるようです。こうした病原菌の進化に対して、今のところ新しい抗生物質の開発は、かなり遅れを取っているようです。このまま行くと、せっかく達成した先進国の長寿が、逆に短くなっていく可能性もなきにしもあらずでしょうか。ルイス・キャロル作「Through the Looking Glass 鏡の国のアリス」内で、赤いチェス駒の女王とアリスが、ひたすら走り続けながら、周りの風景が一切変わらないというシーンがありました。立ち止まって、走り始めた時と同じ場所にいる事に気づいたアリスは、女王に、「私の国では、長い間、早く走ると、別の場所に着くのに。」と文句を言うと、女王は、「なんとも、のろのろした国だわね。」と答え、

Now, here, you see, it takes all the running you can do, to keep in the same place. If you want to get somewhere else, you must run at least twice as fast as that.
お聞き、同じ場所にいるためには、夢中で走り続けなければならないんだよ。どこか他の場所にたどり着きたいとなれば、さっきの倍の速度で走る必要がある。

既存の抗生物質が利かなくなる中、市民の長寿と健康を維持し続けるために、新たな対策を探して、サイエンスと医学は、赤いチェス駒の女王さながら、走り続ける必要があるのです。

健康を取り戻し、それを維持するために必要な薬の他に、気休めのために取ってしまう薬、副作用の方が効果より強すぎる薬というのはあるわけですが、時に、ある薬が、本当に必要かどうかの境界線を引きがたいものです。ただし、プロザックあたりは、取る前に、それ以外に出来ることはないのか、サプリなどで代用できないものかなど、よーく考えたほうがいいのでしょうね。もっとも、ビタミン剤などのサプリも、取りすぎは、体に害が出てくる場合があるというので、こちらも要注意。行き過ぎたピル・ポッピング・カルチャー(pill-popping culture 錠剤飲み込み文化)は、百害あって・・・という事もありますから。

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