ブレーブ・ニュー・ワールド

Brave New World (邦題:すばらしい新世界)は、Aldous Huxley(オルダス・ハクスリー)著の、1932年に出版された、未来社会を描いた一種のSF小説。

日本にいた時は知らず、こちらに来てから頻繁に話題にあがるので読んだ、という本はわりとありますが、これもそのひとつ。つい最近も、ラジオで、この本をテーマにした討論番組があったので、思わず、またパラパラとめくり返し。

世界国家によって統治される新世界。時代は米のフォード自動車会社が、一般庶民用の車、モデルTを世に生み出した年を紀元とし、それ以前はBF(フォード前)、以後はAF(フォード後)。小説の設定はAF632年のロンドン。

フォードのモデルT以前に建っていた教会の十字架などは、モデルTのTの字になるよう、上の部分をちょん切られます。そして、人は、十字を切る代わりに、両手でTの字を形作る。

驚いた時などに、
「Oh, Lord!」 とか、「Oh, God!」などと言いますが、これも
「Oh, Ford!」と変えられ。
高貴な人をさして、Lordshipなどと言うのも、 Fordshipと呼ばれるようになり。

要は、キリスト教の神が、フォードにすり替わってしまったわけです。ここで、神のごとく敬われるフォードが代表するものは、機械と大量生産、個人の特異性の否定と消費社会。
世界国家が目指すものは、消費社会に支えられた生産の継続と万人の満足感を達成する事による社会の安定。

肉親、夫婦、恋愛感情などの個人への執着を促す関係は、憎しみ、心の痛みを生む不安定分子と見られるので、人間は親を持たず、試験管で生まれます。人々は、不特定多数との感情を伴わない交際と肉体関係を奨励され。

また、生まれたときから、階級とそれに付随する職業が決められおり、全ての階級の者が、自分の運命に満足でいられるよう、それに見合った洗脳と催眠教育を受ける。下級階級が不満をもって革命など起こしたら、安定もあったものではないので。

階級は、上から、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロン。ホワイトカラーの職に就く上部の階級はアルファとベータ。上流階級は、他階級の者より、頭も良く、背も高く、美形になるよう作られています。残りの階級は、チャップリンのモダンタイムズよろしく、工場等、同じ作業をする大量の人材が求められる場で働く人員。脳の発達をわざと抑えたイプシロンにいたっては、許される職業は、掃除機をかけることと、エレベーターのボタンを押すだけ。

消費好きになる様に行われる洗脳で、寝ている子供達に何度も繰り返される催眠教育のフレーズのひとつが、
I do love having new clothes. But old clothes are beastly.
We always throw away old clothes.
Ending is better than mending, ending is better than mending・・・
新しい服を買うのは大好き。でも、古い服は醜い。
いつも古い服は捨ててしまう。
処分は修繕より良いこと、処分は修繕より良いこと・・・

なんだか、最近のアングロ・サクソン社会そのものです。借金で首までどっぷりひたりながら、更なる消費の奨励で経済危機をきりぬけようなんて、狂気の沙汰としか思えませんが。

また、子供たちは、本と自然を嫌うように条件付けされます。本や自然を楽しむメンタリティーでは、人はあまり消費に走らないからだそうで。シェイクスピアなども、世界国家では、禁本とされます。

この社会では、また、ソーマと呼ばれる、幸福感を引き起こすドラッグを常用する事を奨励。方法はともあれ、皆が幸福を感じるように。
小説の主要登場人物のひとりは、そんな世界から疎外感を感じるアルファ・プラスの男性、バーナード。アルファ階級にしては背が低く見栄えも今ひとつで、劣等感にさいなまれる彼は、自然を愛する事をタブーとする世界で湖水地方を愛し。また、個人間のロマンスも良からず思われる中、ベータの美人女性レニーナに思慕を寄せ。

もう一人の主要人物は、ニュー・メキシコの野蛮人保護地域から連れて来られる、美しき野蛮人ジョン。試験管からではなく、人間の父母を持ち、シェークスピアなども愛読しながら、保護地区内で、世界国家の人間達とはまったく別の生き方をしてきたジョンは、世界国家を案内され、同じような人間が同じように行動する異様さに、嘔吐を催します。そして、彼の頭を過ぎるのが、シェイクスピアのテンペストからの引用。

O brave new world that has such people in it.
「ああ、果敢なる新世界、このような人々を抱えて。」

ハクスリー描く新世界では、人は死ぬまで若い外見を保ち、ソーマと洗脳のおかげで、不幸も無い。全ては規則正しく動き、清潔で。この、痛みと恐怖、不満足を取り除き、万人が自分の地位と運命に満足して、安定の中、争い無く続く社会は、ユートピアか。それとも、個人の可能性の開花と、表現の自由が許されず、物の購入と、ドラッグで偽の幸福状態を感じることで一生を終えるディストピア(悪夢社会)か。

ジョンの暮らした、野蛮人保護地区の生活ぶりも、貧困と老い、偏見と暴力に満ち、理想社会からは程遠い状態で描写されており、白黒の判断が難しいところです。万人が個人の自由を制限されること無く、最大限の幸福を達成できるような社会、真のユートピアとは、存在しえるのでしょうか。

*余談:トーマス・ハクスリー

著者の祖父、トーマス・ハクスリーは、チャールズ・ダーウィンと時代を共にした生物学者。比較的温和であったというダーウィンに代わり、ダーウィンの進化論を、公に、好戦的に援護した事から、「ダーウィンのブルドッグ」のあだ名を取った人物です。

過去の記事「ダーウィンが迎える博物館」でも言及したリチャード・オーウェン氏とも、火花を散らして議論を戦わせたと言います。

トーマス・ハクスリーはまた、agnosticism(不可知論)という言葉を作った人物でもあります。これは、「神がいるかいないかは、科学的に証明することはできない、よって、いるという可能性は否定しないものの、存在を証明できない限りは、信じることもしない」という立場。全く、神はいないと否定するatheism(無神論)とは異なります。

コメント

  1. 小説の中だけではなく、イギリスは階級社会と聞きますが、やはりそうなのでしょうか。Mr.Toadが時折階級のことを口にします。
    最近の悲惨な火事のことが話題になったとき
    「あそこに住んでいるのはアンダークラス」と言っていました。
    たぶん日本にも、どの国にも見えない階級は存在するのでしょうね。

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  2. ここ階級社会ですね。お金の有無はともかく、興味の対象、野心、親の教育に対する態度とかが全く違う。格差は広がってる感じです。中流はそれこそアンダークラスの近くに住みたくないから、良いエリア、悪いエリアなども別れ、それぞれの隔離された世界も生み出してる気がします。

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