ムーアを渡る風

ムーア・・・高台の荒地。高い木々がほとんど無いため、一般に、遥かかなたまで景色を見渡すことができます。

ヨークシャー州北東部のノース・ヨーク・ムーアを車で縦断したのは、とある晩夏。

エリア一帯は国立公園に指定され、雷鳥(グラウス)の生息地としても有名です。学校も始まった平日、前後に車の陰は全く無く、ヘザーを食む羊が点在するばかり。暢気な羊たちは時折、道のど真ん中にぼおっと立っているので轢かないように、それは本当のとろとろ運転。景色と静けさを楽しみながら行くので、時々降りたりもしながら、のんびりペースでいいのです。一番高い地点からは、視界を遮るものも無く、天気が許せば、ヨークシャーの東海岸線まで望むことができます。

イギリスとアイルランドは、その比較的湿った天候の影響で、ムーア大国。スコットランドに至っては、領土の半分以上がムーアランドだということです。

ムーアランドでは、地面が常に湿っている事が多く、植物は腐らずに積み重なり、圧迫され、地上に黒い層を作っていきます(ピートと呼ばれるものです)。雨量の多さで土のミネラル分は流れ出てしまい、ヒース、ヘザー等、不毛な地に育つような植物に覆われる事となります。

英国文学で、ムーアと言ってすぐ思い浮かぶのは、シャーロック・ホームズの「バスカビル家の犬」の事件が起こるデボン州のダートムーア。また、小説「嵐が丘」の舞台となり、ブロンテ・カントリーとも称されるヨークシャー州西部ハワース周辺。(ハワースに関しては、過去の記事「ハワースの石畳」まで。)

さて、その「嵐が丘」(原題:Wuthering Heights)を、今朝、読み終えたところです。

子供の頃、日本語で読んだはずなのですが、何せ大昔。しかも、飛ばし飛ばし読んだ記憶もあります。要は、あまり覚えていなかった。有名なので、当然ヒースクリフとキャシーが荒涼としたムーアを背景に展開する情熱的ロマンスの印象はあったのですが・・・。

読み直してみると、恋愛ものどころか、偏執狂男ヒースクリフの一生をかけた復讐劇。キャサリンも美貌以外は愛すべきところがひとつも見つからない様な自己中女。ヒースクリフに偏愛されるこの1代目キャサリンよりも、娘の2代目キャサリンの方が、じゃじゃ馬性とやさしさを共に持ち合わせ、ヒロイン的素質には溢れているような気がします。情熱的と称されるキャサリンとヒースクリフの性質も、ただのヒステリー発作としか思えない。

逆境を乗り越えて立派な人になる、といった小説はわりとあるので、自分を酷い目に合わせた人間と自分の恋愛の対象を奪った人間が許せずに、次世代にまで復讐する、というこの小説の筋立ては斬新ではあったのでしょう。ムーアを背景に、2軒の屋敷と、そこに住む2家族しか存在しない様な、他世界から疎外された毎日では、偏執狂にもなりやすい?特に本も読まず、他者との会話もほとんど無いヒースクリフは、夜などは悶々と恨みつらみを考える以外は、やる事も無いわけで。「嵐が丘」の中での様な、いとこ同士の結婚なども当時は普通にあったのでしょう。特に、こういう、あまり他の人間がいないような場所では。

物語の語り手であり、他の登場人物よりも常識を持った普通の人、ネリー・ディーンの気持ちに同感しながら読み進みました。召使として登場人物たちと生活を共にしてきたネリーが、自分が仕える人間達の、時にあさはかなな行動を制御出来ないように、読む側も、「これは後で酷いことになる」と予想しながら、展開を変える力の無さに憤りを感じ。

ムーアの長い厳しい冬が終わり、陽射しもやわらかい再生の季節がやって来るようなラストに辿りつくと、それは、ほーっとしました。まあ、面白かったです。読み返してよかった。

ひとつ参ったのは、読みながら時折、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」のメロディーが頭の中を繰り返し流れてしまい、ケイト・ブッシュが目を大きく見開いて踊る様子が、キャシーの亡霊のイメージとだぶってしまった事。脳裏に残るポップ・カルチャーの力強さにはびっくりです。

後は、召使ジョーゼフの強烈なヨークシャー訛りの英語が非常に読みつらく、彼の喋りが出てくる部分はちょっと閉口しました。ヨークシャー出身の主人に何と書いてあるのかと聞いても、ちょっと手間取ってました。「もうこんなしゃべり方する奴いない」とぶつぶつ言いながら。これ、日本語だと、東北の方言でも使って訳してあるのでしょうか。ふと気になりました。

キャサリンやヒースクリフの気性とは正反対に、内気ではにかみやだったというエミリー・ブロンテ。ムーアを歩くと心が自由になった、などと言ったという事です。ムーアを渡る風に吹かれて、遥かかなたまで行けそうな気分になったのでしょうか。「嵐が丘」が出版されるのは、彼女が1848年に、30歳の生涯を終える1年前。

小説内で、ヒースクリフの病弱な息子が、天国の幸福を想像して描写している場面があります。

“・・・the pleasantest manner of spending a hot July day was lying from morning till evening on a bank of heath in the middle of the moors, with the bees humming dreamily about among the bloom, and the larks singing high up over head, and the blue sky and bright sun shining steadily and cloudlessly. That was his most perfect idea of heaven’s happiness-”
暑い7月の一日の一番快適な過ごし方は、朝から晩まで、ムーアの中のヒースに覆われた斜面に横になること。蜂が花の間を飛び回る眠たげな音がし、ひばりが頭上高く歌い、雲ひとつない青い空と明るい陽光が絶え間なく射して。それが彼の思う最も完璧な天国での幸福。

そんな至福のひと時を味わいに、また夏のムーアに出かけたくなりました。

コメント

  1. 日本語で読むのと、英語で読むのとでは印象が違う場合があるのですが、やはり二人とも性格が悪そうなのですね。昔嵐が丘を読んだ時、どの人物にも感情移入できなかったように思います。こんど図書館でジョーゼフのしゃべりをチェックしてきてお知らせしますね。モーアではないのですが、アイルランドでMagがヒースの名所に案内してくれました。私が訪れたときはすでに時期が過ぎていましたが、夏は一面がヒースの色に染まるそうです。いつかそんな情景を見てみたいものです。

    返信削除
  2. ジョーゼフのセリフ見られたら教えてください。気になるところです。文学の翻訳などもちゃんとやろうと思うと、大変でしょうね。

    ヒースの色一面は良さそうですね。やっぱりせっかくなら、冬より、夏に遊びに行ったほうが良いのではないかと・・・。

    返信削除
  3. 『嵐が丘』は作品の名前は知っていても、なかなか読む機会がありませんでしたが、ジョセフの台詞がヨークシャー訛りで書かれていると知り、俄然興味を持ちました。

    それにしても素敵なお写真。一度現地を訪れてみたいです。

    返信削除
    返信
    1. 真夏をはずした秋の初めなどに訪れると、人も少なくなり、良いですよ。

      削除

コメントを投稿