かき氷の旗に誘われて

暑い日は、引き寄せられる、かき氷の旗
昨日は、イギリス南部もついに30度に突入し、ヒースロー空港では、今年最高の34度を記録。慣れていないと、30度でも、暑い・・・のです。もっとも、熱波も一日で終わり、本日は、おとなしく、25度くらいにとどまってくれるようですが。

日本に前回帰国したのは去年の6月だったな、結構暑かったな、とその時取った写真に、久しぶりに目を通し、ふと気になったのが、上の写真。アスファルトも熱する街中を歩き回っている時、かき氷の旗に、涼しさを感じて、写したのだと思います。(ちなみに、旗は裏側から取っていますので、氷の字はひっくり返っています。)これを、しげしげ眺めていているうち、デザインの中に、波のしぶきのようにして、千鳥が組み込まれているのに、今更気が付きました。氷という字は赤で、涼やかさを連想させる色ではないのですが、遠くからも良く見える。涼感は、旗の下の、北斎の波のような、青いうねる海のデザインをもってして、かもし出しています。考えてみるに、こういう、全国つづうら浦、定番のデザインで、ぱっと見て「お、あの店でxxを売っている。それ行け!」と、わかるようなもの、イギリスでは考え付きません。遠くからでも、それとわかる、このかき氷の旗は、かなりのすぐれものです。こういうのを見ると、日本は、デザインや図形で、簡潔に、言いたいことを伝達をする術が、優れた国なのだと思います。今では、すっかり英語にもなっている、「絵文字」なんてのも、発祥が日本というのは、こうした文化が背景にあるからですね、きっと。

この写真をきっかけに、かき氷、ひいては、氷というものの歴史をちらっと調べて見ました。

かき氷の事を、一番最初に書きしたためてある文献は、清少納言の「枕草紙」であると言います。冷蔵庫などが無い時代は、真夏の都市で、氷を入手する事、しかも、それをかき氷にして食べる、などというのは、富裕階級、貴族階級のみができた事。雪国では、冬季に、凍った池や湖などから氷を切り出し、氷室に貯蔵することなどが可能であったものの、それを、溶かさないように移動するのは、大変です。よって、雪国から遠く離れた都会に住む一般庶民には、かき氷は、長い間、ほとんど縁のない食べ物であったわけです。

時代すすんで、江戸時代の鎖国が終わると、はるばるボストンから、天然氷のボストン氷なるものが、輸入され、横浜港に荷揚げされるようになったそうです。当然、そんな、半年近くかかって、遠路はるばるやってくるボストン氷は、かなり高価であり、ここに、商売のチャンスを見たのが、中川嘉兵衛という実業家。彼は、国内で、商業用に天然氷を切り出せる場所を探索し、はるばる北海道へ行き、五稜郭を拠点として、函館氷という天然氷で商売を打ち立てることに成功。横浜に荷揚げし、横浜の馬車道などでも、販売されたそうです。ボストン氷などの海外からの天然氷よりも安価に手に入るとあって、氷使用も、これで少しは広がり。

1869年に、町田房蔵なる人物が、やはり横浜の馬車道に、函館氷を使用して、「氷水屋」なる店を開店。これが、日本人による、かき氷屋・アイスクリーム屋の第一号と言われています。彼は、ここで、当時はアイスクリンという、掃除に使う洗剤の様な名で呼ばれたアイスクリームの販売も開始。アイスクリンは、今でいうアイスクリームというより、シャーベットに近い代物であったというので、使用する牛乳の量が少なかったのでしょうが、具体的に何が入っていたか、どういう作り方をしていたかは、どこを探しても載っていないので不明です。氷は、アイスクリームを冷やすためだけに使われたのか、砕いて中にも入れたのか、それもわかりません。

上の絵は、1882年から1899年の間、日本に住んで活躍したフランス人画家、ジョルジュ・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot) によるもので、かき氷を食べる、というか、氷水をすすっている若者が、氷の旗の下に座っています。このグラスの中には、氷の他に何が入っていたのでしょうか。

テクノロジーの発展で、1870年代末から、すでに、機械での製氷も始まり、天然氷に代わって、人口の氷が普及すると共に、かき氷、ひいてはアイスクリームなどを一般人が口にする機会も多くなっていったのでしょう。中川嘉兵衛も、天然氷切り出し業から、やがては、氷生産業へと移行したそうです。


上記情報の大半と、ジョルジュ・ビゴーの絵は、下の子供用のサイトから拝借しました。子供用・・・などと言っても、大人も十分ためになりました。逆に、こんな事を知っている子供はすごい。
https://kids.gakken.co.jp/rekishi/first/vol005/03.html


「農場の少年」内、ガース・ウィリアムズによる氷切り出しのイラスト
ボストンから湖で切り出した氷を輸入していたという話を聞いて、アメリカ開拓家族の奮闘を描いた、ローラ・インガルス・ワイルダーの「小さな家」シリーズの一冊「農場の少年」に、冬季に池から氷を切り出し、氷室に蓄える描写があったのを思い出しました。19世紀後半のニューヨーク州北部が舞台。場所的に、ボストンとは緯度も大体同じで、(アメリカの規模からすれば)さほど遠くないので、ボストン氷を切り出していた光景は、この本のイラストに出てくるのと同じ感じではなかったかと思います。本では、農場のある自宅から約1マイル離れた池に出かけ、氷を切り出し、それを馬に引かせて、床に、おがくずを厚く敷き詰めた、自宅の氷室へ運び、貯蔵しています。積み上げた氷の塊と塊の間にも、おがくずをぎゅうぎゅうにつめ。この方法で貯蔵された氷は、暑い夏の日も溶けないのだと書かれています。氷は、一家のお母さんが、アイスクリーム、レモネード、冷たいエッグノッグ(牛乳、卵などを使用した飲み物)作るのに使用した、とあります。

同書内には、農場の子供たちが、両親が留守の間に、みんなで、氷室から氷を少々取り出し、アイスクリームを作る様子もありましたが、こちらは、シャーベット風のアイスクリンとは違い、正真正銘の牛乳たっぷりアイスクリームです。砕いた氷と塩の入った桶に、牛乳、クリーム、卵白、砂糖などの材料を混ぜた入れ物を入れて凍らせて、できあがり。要するに、氷は、アイスクリーム材料を冷やして凍らせるためだけに使用されています。

イギリスのかつての貴族の館の庭園などでも、昔の氷室が残っているところがあります。イギリスでは、人口製氷が始まる前は、氷は、北欧などから輸入されていたようです。小氷期(1300-1850年)の期間は、テムズ川が凍りつくことなどもあったわけですが、汚染されていたテムズ川の氷など、飲食用に使ったら、病気になりそうですね。

少々早い、暑中見舞い
イギリスで、涼感を得るために暑い日に外で食べる食べ物は、アイスクリーム・ヴァン(アイスクリームを売るワゴン車)などから購入するアイスクリームか、棒つきアイスキャンディーなどですが、さすがに30度過ぎると、食べると喉が渇くアイスクリームより、日本風かき氷が食べたくなります。温暖化が進み、30度を超す日々が、イギリスでも増えるようなら、涼し気な旗をひらめかせて、かき氷を出す店なども、誰か初めてくれないでしょうか。

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